人生はお遍路と同じ 超えられない試練を天は与えない
あれこれ迷うよりも、今を大事にすることで人生がひらけてくるということについて書いています。
選択するのは自分
四国遍路1400kmの道のりは、決して単純な一本の道ではなく、実際には途中でいろんな道に分かれていて、どの道を歩かなければならないというキマリはない。
峻険な峠を一つ越えるにしても、比較的平坦だけど暗くて危険なトンネルを歩いていくのか、あるいは山を越えていくのか。その選択をするのは自分だ。誰に強制されるわけでもない。
そこで面白いのは、歩きはじめてからその道を選択した自分との対話があることだ。トンネルを歩く道を選択した人は、薄暗くて汚れた空気の中を延々歩いているうちに、山道を選択しなかったことに後悔をしてしまうかも知れない。そう考えるうちに、中には不幸にもトラックにはねられて命を落としてしまうお遍路さんもいる。
トンネルという平坦な道を歩けば、時間も短縮できて楽もできるという浅はかな考えが、自分を苦しめていく。
あるいは、山越えの道を選択した人でも、木々が覆い茂るような道に入っていって、藪漕ぎしなければならないような状態、あるいは蜂に追われ、蛇に襲われたりするうちに、トンネルを選ばなかったことを後悔しはじめる。
しかし、どちらの道を選んでも、もう後戻りはできない。
人生も遍路と同じようなものだと、僕は思う。長い人生にはいろんな選択をしなければならない状況があるけれど、一度選択してしまった道を、時間の流れにさからって後もどりすることはできない。
こころの持ち方一つで、見える景色が変わる
そうであれば、僕はこう思う。自分が選択した道なんだから、迷うことなく精一杯歩こうと。
そういうふうに考えているうちに、ふと、道ばたに目をやると、きれいな花が咲いていて、はっと気付かされることがある。このみちを迷うことなく歩いて行こうと決心した瞬間から、見える景色が違ってくるという体験を、僕は今まで無数に経験してきている。
どんな道を選ぶかではなく、どう歩くのか
とにかく前へ向いて進むことだ。それがたとえ遠まわりで困難な道だとわかっていても、この今という瞬間を、精一杯生きることで、道は自然とひらけてくる。大切なのは、どんな道を選んだかではなくて、その道をどう歩くかだ。それによって人生は大きく変わってくる。僕はいつもそう思っている。
以下に私の歩きへんろ体験記である「空海の残した道」のAmazonのリンクを貼っておきます(松坂義晃は当時のペンネーム)。すでに絶版となっていますが、中古本がAmazonで流通しています。