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勘違いするな、おれはマナーを守ってるんじゃない貴様らを守ってやっているんだ!【社会不適合者のためのマナー講座】

おれは儀礼やマナーが好きではない。
幼いながらも様々な国のルールを見てきたが、深く関われば関わるほど意味不明だったからだ。だがしかし、だからと言って従わないわけにはいかない。

郷に入りては郷に従えだ。どの国にもその国なりのルールがあり、異端者は警戒され、社会からのけ者にされる。
無意味なくせにそれを守らないやつを見下せるシステムが儀礼だ。
だが、それは同時にそのことが弱点でもある。儀礼をやっているやつらはその意味を知らずにただ長年やっていることだけに価値を感じてしまっている。

小さい頃、とってもピュアだったおれは「いただきます」というのは、食材となったあらゆる生命に対する感謝の言葉だと思っていた。
ある法事で坊さんが同じような説明をしたときに、親族たちは「今までそんなこと考えたこともなかった」と感心していたのに驚いた。
ほとんど誰もがいただきますを言うのに、その意味を気にしていなかったのだ。
おれは気づいてしまった。
「さてはこいつら何にも考えてねぇな?」


マナーとかいうものの中にはわりと最近になって出来たものもある。新しめの儀礼なので「何故やっているのか」を掘り返しやすい。
物事には枝葉と幹がある。「みんなでやる」ことは枝葉だ。「何故やっているのか」こそが幹だ。それを理解すれば儀礼は自分のものになる。

よく言われる日本のマナーのひとつに「畳のフチを踏むな」というのがある。これは畳のフチを踏むと床下に漏れる光がさえぎられて位置が把握されるからだという説がある。つまり床下から暗殺されるのだ。

あるいは来客があったときは目の前で座布団を折ってから用意せよというマナーもある。非効率な行為だが「座布団の中になにも仕込んでいませんよ」ということを示しているのだという。

これはアメリカの一部地域で黒人が「銃を隠してません」アピールのために右足のズボンをまくっていたエピソードにも通じる話だ。
他にもヨーロッパの貴族が銀食器を好むのは、ヒ素系の毒に銀が反応するので毒物が入っているかを見抜ける、とかいう話もある。
最近ネットで話題になった徳利で酒を注ぐときに注ぎ口を下にしないというのも、注ぎ口に毒が塗られていることがあるからだとか。

このようにマナーを何故やるのか? ということをつきつめていくと、アホらしいけど命に関わる問題に直面するのである。
今そこにあるマナーは昔は真剣にやる意味があったから、張りぼてになるまで守られて残っている。逆に言えばマナーを守らなかったやつらは全員死に絶えたからこそマナーは呪いのように未だに残っているのだ。


合気道にも同じようなことが言える。
合気道では素手であっても剣を構えるように立ち、そして相手の攻撃が当たる前に大げさに転がりながら避ける。
これはガチで殺し合いをする時には剣を持っているし、剣が当たってから避けていたら死ぬという当たり前な理由からなのだが、なんと現代にはそもそも剣がない。

すると合気道の稽古はよくわからんけど両手を前に構えて、何か知らんけど大げさにすっ転がるという意味の失われた儀礼になっていく。
何の意識もなく構え、何の危険もないのに転がることが「みんな」がやっているから正しいとされるようになるのだ。

だがおれは違う!大真面目に存在しない剣を握っているし、相手のなんでもない攻撃で殺されない為に真剣に転がって避ける。
おれは殺せるが、やつらには絶対におれは殺せない!これがとても重要なことである。


おれは畳のフチを踏むアホを床下から仕留められる。
座布団を相手が来る前から毒針を仕込んでほっぽりだしておく。
その気になればズボンの裾に銃やナイフを忍ばせることができるし、銀じゃない食器の調味料にヒ素を加えることができる。
気をつけろ!おれは徳利の注ぎ口に毒を塗るぞ!

何も知らずにマナーをしているやつらは、マナーを守る度に命拾いしていることを知らない。これを知っていればマナー違反を偉そうに指摘するなどできるはずがないのだ。

お箸の持ち方がおかしいだと? それはてめぇの眼球にお箸を突き立てて脳幹まで貫き通すためなんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。お箸を正しく持たないとこんなことができちまうんだぞぉ。

だがやつらがこの事実を知ることはない、マナーを守れと言うのは偉そうな命乞であり、それは自分が無知で無害な家畜であると自己紹介しているに過ぎない。
やつらは家畜で、いずれハムになるのだ。殺す必要もない。

同様にマナーが守られなかったとしても相手はやはり無知な家畜であり、ハムになるまでは育ててやらなければいけない。
だから無礼講でも構わないのだ。無礼講とは殺せるものなら殺して見やがれということだ。
無知なやつにおれは殺せはしない。だからおれはおいしいハムになれよと思いながら、微笑んでいればいいのだ。

そう、おれはマナーを守っているんじゃない、愛を持って貴様らを守ってやっているのだーー



どうせ何も考えてないんだから、嘘でもいいので儀礼に意味を与えてやればいいんだ!みんながどうせこいつハムになると思ってるような優しい世界だってあり得る。などと過激なことを考えてたらどんな儀礼もやれる気がしてきた。



おわりだ。



【注意】この記事を書いた人物は嘘つきなので内容に嘘が含まれている可能性があります。鵜呑みにしないようにしましょう。

参考文献


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合気道化師マツリくん
マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?

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