「手の倫理」と最近のみえるようになった合気道について
最近のことなんだけど、人と稽古しているとお互いの力と力がぶつかって二人の力が棒のように一本になっているのを感じるようになった。
一本の棒が自分と相手のつながりになっている。
この棒の変化は相手に伝わるので、押してもいけないし引いてもいけない。
一緒に動くように使うと相手を崩せる。
手が感じる倫理
人から勧められて「手の倫理」という本を読んだ。
盲目のランナーとロープを通して伴走するブラインドランについての記述がとても面白い。
盲目のランナーと一緒に走っていると、疲れや驚き、不安といった感情がロープを通して伝わってしまうのだという。
盲目のランナーは時に伴走者がいることも忘れて道路を感じることもあるし、伴走者の反応から子供が飛び出してきたのを感じたりもする。
つないだ一本のロープがまるで新たな神経にでもなったかのように相手と自分の情報を互いに伝達するわけだ。
人と身体
合気道をやっていると人間の頭脳がいかに都合のいいように現実を捻じ曲げているかがわかる。
頭で考えている理想の動きは現実ではぶつかりを生み、力でしか解決できない動き方をしてしまう。
つまるところ人の身体も「もの」なのだ。
情報というのは物を通して伝わる。
脳が一番近くで感じている「もの」は肉体だ。
肉体という物体
人は自分の肉体が身近にありすぎてそれを物だと思えないのかも知れない。
合気道を通して、相手と自分の肉体がぶつかってつながった時にそこに「もの」を感じる。
肉体を「もの」にした時にはじめて、ブラインドランナーがロープで繋がるように相手の情報を感じることができるんじゃないだろうか?
身体は「もの」なのにそこから一番遠い。
自分の様々な感情に肉体は反応する。
場合によっては肉体の方が身体よりも先に動く。
だから、人は身体を「もの」として扱うことができないのだけれど、たぶん「もの」になったときに初めて「つながる」ことができる。
そんなことを感じた。