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得意技とは何か?見つけ方と使い方:合気道で得意をハックする
合気道で稽古する技は1000を超えるけれど、根本的には同じ理屈の上に成り立っていると言われている。要するに1000の技も1の根本から成り立ってる。
てなわけで、おれも白帯のころは「得意技をつくった方がいいよ」などというアドバイスは「わかってねぇな!」と切り捨てていた。
だって得意技をつくってことは、その技に偏っちゃうってことじゃん?
という極端な思想を持っていたのである。
そんな偏りができたら、1000の技を1にすることなんてできない……。
(板垣恵介『バキ』より)
そんなふうに考えていた矢先……。
得意技が認定される
それは天地投げと呼ばれる技で、ある時から突然おれの天地投げはすごく自然に相手に決まるようになっていた。
(植芝盛平『武道』より)
こういうやつ
一緒に稽古している人達が技を受けて感心するし、まったく技にかからない偏屈な野郎にも天地投げだけはいともたやすくかかる。
そんなわけで、いつの間にか天地投げが得意というイメージがついたし、おれも天地投げだけはなぜか得意だということがわかってしまった。
そう、おれは間違っていたのだ。得意技って自己申告するダサいものってイメージだったけど、そんなのはおれの浅い浅い理解の得意技でしかなかったわけで、
真の得意技ってのは相手が勝手に決めるもんなんだ。
自分でいくら得意だって言ったって相手に認められてなけりゃ実際は得意でもなんでもないんだから。
得意技をどう使うか?
さてさて得意技ができたからといって、やったぜ!おれは天地投げの天才だってな感じで得意になったわけじゃない。
むしろ得意技があるということは問題だ。こういう時に生まれる「問い」は時には解決策よりも大事だったりする。
得意技がおれにもたらしてくれたのは「得意技とそうでない技は一体何が違うのか?」という問いだ。
どの技も平等に稽古してきたはずなのに、原理は同じはずなのに、なぜ?なにが?どうして違うのか?
そういうことを考えることで他の技も得意に変えていくことができる。
そこがおれの得意技に対する二つ目の思い違いだ。
合気道は1000以上も技があるんだから、何かしら得意技として引っかかることだってあるし、すべての技が同じ原理なんだから、逆もまた真なりで、一つの技を正しく磨けばすべての技に応用できるってわけ。
得意でバランスを取る
得意技があるということは偏りができたってことだ。
単純な話、何かの能力だけ飛び出してるような状態なわけで、それはバランスが悪い。
だけど、バランスが悪いなら整えればいいんだ。それを自覚できれば、今度は応用して得意なことで他の部分を補える。
偏りというのは他との違いだ。偏った時にはじめて、他との違いが見えてくるし、どうすれば同じになるかも見えてくる。
人と違うことをするのは偏りだけど、それを応用していけばまったく違うことに使うことだって可能じゃないだろうか?
何か得意なことがある人はそれを最大限まで上へ上へと伸ばしがちだけど、それだけじゃなくて、水平展開していくのも大事なはずだ。
そうすればバランスが取れる。生活そのものをよくできるかも知れない。
Tips
魔法の国ザンスシリーズでは魔法使いは一人一能力で中にはショボい魔法しか使えない人もいるが、その組み合わせで事業とかを営んでいたりする。
どういうものにせよ極端に良くても極端にショボくても組み合わせ次第だ。
てなわけでこれがおれが抱いていた「得意技」に対する間違いだ。
完全におれの理解が浅かった。もう得意技をつくることに否定もためらいもない。なんだって物事ってのは考えよう、使いようなんだ。
まとめ
自分の得意は他人を通してしか掴めない。
得意なものは他に応用できる。得意なものを使ってバランスを取っていく。
このnoteだって合気道好きという偏りまくったメガネで歪んだ世界を眺めているに過ぎない。
でもその歪み方がわかれいれば、良いスパイスになる。
おわり!
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