本当の生産性革命の時代がきた_生産性の奴隷解放宣言
トヨタがえらいことになっている。
グループ会社の日野自動車やダイハツ工業、豊田自動織機で相次ぐ不正。生産性を究極まで高めるトヨタの改善への飽くなき姿勢の負の側面が露見しているのだ。それはモノづくりに関わる人間として他人ごとではない。
ジャストインタイム、カンバン方式というようなトヨタの生産性を高めるための生産管理方式。わかっていてもまねできないといわれるけれど、それはまねできない理由があるのだろう。必要なものを必要なタイミングで生産するために、下請けの部品会社の作業員は発注のランプが付くのを全員が立ったまま待っているというにわかには信じられない話もある。彼らは生産性の奴隷たちだ。
そんな生産性の奴隷がトヨタに限らず、モノづくりの現場にはあふれかえっている。
より速く、より多く、より少ない人間でより効率的に。
働く人間の都合ではなく、大企業の生産性向上が優先される世界。働き方改革、残業時間上限規制で何が起きているかと言えば、「その分生産性をあげろ」という明らかに理不尽な上からの指示。それを実現しようとして疲弊する現場や下請け。何をやっているのかさっぱりわからない。
今までのやり方の延長ではない、抜本的な生産性革命が必要だと思う。
革命。これまでの価値観をひっくり返すこと。
私の実現したい生産性革命は、生産性を大きく落とす革命だ。
生産性は高いほど良い。
モノづくりをする人間はそれを前提条件として受け入れる。
でもよく考えれば生産性が高いほど良いなんて何の根拠もない。「生産」とは21世紀前半の現時点では「地球環境の破壊」とほぼイコールであり、生産性が高いというのは地球の環境を効率よく破壊していくプロセスでしかない。
そんな生産性なら低ければ低いほどいいはずだ。
でもそんなことを今の会社や職場で公言したらどうなるかは火を見るほど明らかだ。気が付けば自分の仕事はなくなり、「おかしなことをいうおじさん」の称号を得ることになる。
天動説から地動説への革命的プロセスは、長い時間が必要だった。
一言で言えばすべての学者が真実を理解し納得して地動説になったのではなく、天動説を信じ、その学説に依拠することで権威を得ていた学者たちがみんな年をとって死んだのだ。
生産性革命のプロセスも同じ道をたどると私は信じている。
生産性向上をモノづくりの前提条件として信奉し、その高さを誇り、それを周りに強制する人たち。それが地球環境を破壊していることはまあ目をつぶろうと考えている、地球環境より自分の立場や権威が大切な、もうすぐ死ぬ年寄りたち。
彼らの考えを変えることなんてできないのだ。
彼らがいなくなったとき、私たちが生産性の奴隷のままでいるのか、革命を起こすことができるのか、それは私たちやもっと下の若い世代の力にかかっている。若い彼らのために今自分ができることを戦略的に考えていかなければと切実に思う。
地球の環境のため、地球ではたらく人たちの健康と幸福のための生産性の奴隷解放。
20年後、そのために自分が少しは貢献できたと、そう思えるようなサラリーマン人生を送りたいと、私は思う。