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20230201 祭がありがたがられるようになったのはいつ?

  最初この論文に注目したのはタイトルにGISの文字があって,山車のルートをGISを使って検討しているのは面白そうだと思ったからでした。
 
蟬塚咲衣・佐々木理子・稲垣森太・手塚 薫 2019 北海道南西沖地震における奥尻島青苗言代主神社例祭の復興過程をめぐる考察 : GISによる祭礼ルートと時間の変化が意味するもの. 歴史都市防災論文集(立命館大学歴史都市防災研究所), 13, 163 – 170.

 
 しかし,読み進めてみると私がかなり関心を持っていることについて検討した研究だとわかり喜びが倍増しました。
 私がかなり関心を持っているけど明確な根拠を示せていないこととして「東日本大震災のちょっと前くらいから祭に対するポジティブな捉え方が強くなってきていて,東日本大震災では復興の象徴として祭が取り上げられることが多く,そうした祭を良いものとする傾向は現在でも全国的に共通している。」というのがあります。文科省の指導要領などにも関連する気がしていて,そうした動きの背景が何であるのかを説明した論文とかあればいいのになあと思いつつまだこれといったものを見つけられておりません。
 
 この論文は,1993年に起きた北海道南西沖地震で甚大な被害を受けた奥尻島青苗地区の言代主神神社例祭を研究対象とし,祭の復興プロセスを理解する時の視点として「東日本大震災との違い」を用いています。その中の記述をもとにすると,やはり1993年の北海道南西沖地震の頃には祭への注目があまりなされていなかったのに対し,2011年の東日本大震災では祭への注目が高かったことが示されているので,コミュニティにおける祭の意義の重視はこの間に起きたことが明示されていると思います。
 
 そうした違いの要因について詳しくは本文を読んでいただくとして,テキストの引用ができないので自分の言葉で乱暴にまとめると,青苗地区での祭の復興は自主財源で行われたため,ある意味「経済が復興した結果としての祭の復興」であったと思われます。しかし東日本大震災の場合,震災の直後から祭の復興に対する外部からの資金援助が行われたため,ある意味「地域復興のための手段としての祭の復興」という動きがあったのだと思われます。この「結果」から「手段」への変化というのが確かにこの時期に急激に起きた気がするので,今後その原因や背景が何であったのかをまとめていきたいと思っています。
 
 GIS方面に関して言えば,博多松ばやしではいまどこ+のシステムを導入してくれたおかげで三福神様がどこにいるかがリアルタイムで分かってものすごくうれしかったのを記憶しております。

 また,博多松囃子の場合はどこを「祝うたあ!」していったかのリストが毎年存在しているので,過去のものを松囃子振興会などでみせてもらうと支援の規模などの経年変化をみることができそうだなあと。

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