書くことについて語るときに私の語ること
暮らしの中で文章を書くことが増えました。
以前の仕事柄(ウェスタンショップのWebサイトやネットショップの管理)、普通の人より文章は書いていた方かも知れませんが、昨年から更に増えてきました。今も増える一方です。
Webデザインの勉強にのめり込んでいったときがきっかけでした。
デザインも大事やけど、そもそも画像や文章の魅力があってこそのものではないか、と。
Webデザインもエエけど、それより文章が大事やわ。
という脳内活動の流れで、自分の書く文章は一体どないやねん?と、今まで只々書きっぱなしだった自分の文章と相対する時間が増えたのです。
「そもそも、なんで文章を書くのか?」「読んで欲しいから。」
「なぜ、読んで欲しいのか?」「伝えたいことがあるから。」
「なぜ、伝えたいのか?」「少しは誰かの役にたつかも知れないから。」
「伝わっているのか?」「それは分からない。」
「伝わる文章を書けているのか?」「ぐはっ!」
どうすれば書けるのだろう?
何から始めたらよいのだろう?
わからない。でも、止めるわけにはいかない。
止めたらダメということだけは確信していました。
とりあえず思いついたら書くことにする
ひとまず、思いついたことを「書き留めてみる」のを始めました。
アイディアの類だけじゃなく、食べたくなったものと食べたときの感想、行きたくなった場所、日経新聞を読んでいて詰まったカタカナ経済用語の意味、今度100均ショップに行ったときの買い物リスト、政治家のおっさんが議会答弁で「◎◎◎したい、と思います。」って、こいつまた二重の感想を言いよった・・・という健忘録、他人に見せても意味不明な文章をひたすら書き留めることにしました。
何に書くかというと、個人差が大きいと思いますけど、私の場合は、今のところA5サイズのリングノートがベストです。
50を過ぎれば、いや過ぎる前から物覚えが悪くなっているので、ノートのページをさかのぼって「暗号」を読みかえしてみると、参考になることが多いのです。
おまえ、何回同じことを書いているのか、とか、たまにはエエこと書いてるやん、とか。稀に「暗号」がきっかけで新しい閃きが訪れることもあります。
このA5ノート、私は「思想帳」と名付けているのですけど、「思想帳」は過去の私から、未来の私へのヘイルメリーパス(引用参照)になりうる面白い財産になっています。
書けないのは「読めていない」からと気付く
これは、私が昨年読んだ本の中で「グッときた本」トップ3に入る、古賀史健さんの「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」で書かれていたことです。
この本を何度も読みかえすたびに、
「はい。すいませんでした。気を入れ替えて精進します。」
とココロで念じるのでした。
以降、「思想帳」遊びと並行して「読むこと」を暮らしの「当たり前」にしました。
オッサンの「読書術」
50を超えたオッサンにとって読書は、愉しくもあり、内容が脳内に留まらないという哀しみとも向き合い、共に歩んでいく行為ではないでしょうか。
私は、右から左へ「ダダ洩れ」状態になってしまいがちなオッサンの読書に、自分なりの作法を加えて「洩れ」が少しでも減らないかという試みを行っています。
以下にいくつかのポイントを記しておきます。
1日10~15分程度の読書時間を持つ。何回かあったら尚良し。その時は別の本を読んでみる。
本は本屋で買う。
本を買う時は何を買うか決めずに、買ってくれと呼んでいる本を探すこと。買う本を決めて店に行くときはもう一冊別のものを買うこと。
本にA4サイズの紙を挟んでおく。ここに不明の単語や、書かれた内容のあらすじをメモすること。
図書館の利用はほどほどに。新刊が入荷するのを待つほどオッサンに時間は残されていない。図書館で借りるのは「古典」だ。
とにかく、片っ端から読みまくる。それから、本はナメたらアカンくらいにアホほど種類が多いから、一度脳ミソをリラックスさせて本屋で「本の呼び声」に耳を傾けてみてください。
というふうです。
書けない人に寛容を
世の中デジタル化デジタル化と言ってますけど、結局のところ伝達手段は文章になっているなら、伝達内容の入力はアナログじゃないですか。
そうなると、普段気付いていなくても、「書くとダメな人」の存在がクローズアップされてくる時代だと思っています。
おばあちゃんのLINEみたいな操作ミスだと可愛げもありますけど、仕事のメールにも関わらず、常套句化されたメール文のコピペを送ってきて、「てにおは」や固有名詞が間違っているから全然伝わらない文章を送ってくる人が相当数いることに辟易します。
これは、文章と向き合っていない、向き合うことすら出来ていない、しようともしない人です。すなわち他者とコミュニケーションをとることに気が働かない人です。
しかし、そんな人たちを非難したところで世の中が良くなることはありません。
むしろ、その悪文の中から、その人の伝えたいことを「読み取るチカラ」を鍛えた方が物ごとを前向きに転がすチカラじゃないかなと思っています。
いよいよ、その悪文が何を書いているのか、何を伝えたいのかが分からなかったとき・・・
その時は、電話一本かけてコトを穏便に済ませておきましょう。
そんな人のうち、誰か1人でも「書くことの大切さ」に気付くきっかけになるように祈りながら。