前回は、自分が子供時代に記憶している読書体験を通じて感じた、暮学に臨む注意点のひとつについて考察してみた。 概要をオサライしてみる。 本・読書から得る体験や知識は、自分自身を培ってきたものである。言い換えれば、暮らしの中で現れる「外側の事柄」と対峙する際に使う「道具」のひとつであろう。 ただ、その「道具」には必ず何らかの「歴史」が内包されていることを意識しておかなければならない。 そして同時に「歴史」は、容易に「物語」と結びつくことも忘れてはならない。 なぜなら、「歴史」に
母親の生前、彼女から幾度も聞かされていた話がある。 昭和40年代初頭に私を産んでしばらく経って、経済的に生活が苦しかったらしい。それを何とかするべくパートを探したらしいのだけれど、乳児を抱えている状況で雇ってくれるところが見つからなかったそうだ。近所に親戚縁者もおらず、子供を保育所に預ける金などあるわけがない。あったら働かんわ。そりゃそうだ。なんか今この時に至っても脈々と引き継がれている問題やんか。 それはそれとして。 結局、母親のとった行動がなかなかのもんやった。 当
暮らしについて話をしたい。 私が「暮学(ぼがく)」と名付けた言葉についての話だ。 ウラを取っていないので、どこかの誰かが既に使っているかも知れない。 それならそれとして、私はこの言葉に新たな意味合いをひとつ加えてみたいと思う。 暮学とは学問の名前ではない。姿勢の名前である。 暮らしを営んでいくにあたり、「暮らしにおいて滲み出ている『外側の事柄』を見つけ、対峙し、そこから学んでいく姿勢」のことである。 暮らしを維持工夫・豊穣させ、次の世代へ伝えていく姿勢を意味する。 少し
おっさん暮らし、つまり人生後半から終盤にかけての暮らしを少しでも意義あるものにするためには、何をどうすれば良いのだろう?色々あるだろう答えのヒントをひとつでも多く残してみたい。 これがnoteにおける私のテーマである。 ヒトがおっさんになることについて語るとき、自分自身がおっさんに至るまでのことしか語ることが出来ない。しかもそれは、記憶の再構成にすぎないため、厳密な事実とは相当離れている可能性が高い。記憶のエエとこ取りと言い換えても良いだろう。なので、おっさん暮らしのこれか
今年2本目のnoteは、コワーキングスペース「カフーツ」で2023年12月2日に行われている「ブログJerry Vol.136」で書いてみることにします。 https://cahootz.jp/?p=2475 ここのところア◎の一つ覚えで政経の方々がおっしゃる「賃上げ」。 物価高で庶民の暮らしが大変だ。 物価高に見合う「賃上げ」をするのが解決へ向けた手段なのです。 だから社長のみなさんヨロシクね。 みたいな語調ですかね。ざっくり捉えると。 言う方は簡単。言うだけ。 社長
先日、2015年から私が所属している、神戸市の商店街支援施策「商店街・市場応援隊派遣事業」の「応援隊」。コロナ禍で長らく行われていなかった応援隊の意見交換会が開かれたので出席してきました。 意見交換の場で皆さんの色々な経験に基づくお話を伺いながら、ぼや~っと思い浮かんだことがあったので、思うままに綴っておこうと思います。 商店街・小売市場衰退の問題の肝は? 神戸市で8年ほど「商店街・市場応援隊派遣事業」に関わっているが、活性化に対する取り組みを継続出来ている現場には特徴
世の中の大きな変化は膠着状態になったようにも見え、知らないところで蠢動(しゅんどう)しているようにも思われ、しょうもないオッサン「松岡マサヒロ」の人生における「暮れ活」は、かつてない程の混乱に陥り、参議院選挙の選挙公報や政見放送を見ては、更に「途方に暮れた感」に包まれております。 前回の記事では 「まずは、身の周りを整理整頓するところから始めてみます。」 と書き終えました。 今日はその続きを書いてみます。 オッサン暮らしの「整理整頓」の話です。 きっかけは次男の独立
やはり自分にとって、ある国が隣の国へ武力を持って侵攻していった事実と、色んな国や人々の「事実らしい出来事」に対するアジャストに、「戸惑う」日々が続いています。 ヒトは100年前と変わっていないのか? いや、100年前に戻っていったのか? 変わっていないなら、オレ錯覚してたわ~と思い直せば良いだけなんです。だけど、戻っていったなら、ヒトの本質はそっちの方だと確定します。そうしたら・・・っと思索しだすと今まで生きてきた道程がアホみたいに思えてきて無力感が心を覆って嘔吐しそうに
先日、ツイッターを開いてみたら、どなたかが昨年TBSテレビで放映していたドラマ「ドラゴン桜」(第2シリーズ)の映像の一部を切り取って字幕付きで投稿しているのが目に入りました。 私も当時このドラマをリアルタイムで観ていて、とても印象に残った場面だったので、投稿された動画を思わず見入ってしまいました。 東大進学のために出来た「東大専科」に入って勉強を始めたばかりの落ちこぼれの生徒たちと、元々成績が良くて東大目指しているけど性格がメチャ悪い「藤井くん」が、同じ東大入学試験問題を解
ある日「怒鳴るひと」を3人も見た。 1人目は仕事の昼休みにライフ中崎町店へ買い物に行ったとき。 店内に入った瞬間、レジあたりからジイさんの怒鳴り声が聞こえた。 どないしたんや、と見に行ったらジイさんは叫び終えて清算済みの商品が山積みされたカゴをカートに載せてそのまま出て行こうとしていたところだった。 怒りの余韻もなく、やったったという得意げさもない、横顔の無表情感が印象的だった。 一方、怒鳴られた店員に別のジイさんが声をかけていた。 「大丈夫か?あいつ、いっつもあんなんやねん
暮らしの中で文章を書くことが増えました。 以前の仕事柄(ウェスタンショップのWebサイトやネットショップの管理)、普通の人より文章は書いていた方かも知れませんが、昨年から更に増えてきました。今も増える一方です。 Webデザインの勉強にのめり込んでいったときがきっかけでした。 デザインも大事やけど、そもそも画像や文章の魅力があってこそのものではないか、と。 Webデザインもエエけど、それより文章が大事やわ。 という脳内活動の流れで、自分の書く文章は一体どないやねん?と、今ま
もう6年以上考え続けていたことがありましてね。 何かというと、自分の「肩書」。しかも明快なヤツ。 きっかけは、ある年の「神戸市 商店街・市場 応援隊派遣事業」における「応援隊隊員」登録へ向けた面接の場面で、 「商店街や市場の人に、松岡さんを一言で紹介するとき、どう言えばよいですか?」 という質問を受けたときから疑問が始まりました。 内心「一言? それならアホのオッサンです。で済むやんけ。では、答えにならへんやんな~。」 オフィスビルの管理、ネットショップ、商店街活性
なりゆき離別してから30年くらい経ってる父親が死んだという電話を受けました。 2011年5月のことです。 私が住んでいるのは、兵庫県の神戸市で父親が結婚して暮らしていた場所。 父親が死んだのは、鹿児島県の徳之島で父親の生まれ育った場所。 連絡してきたのは、ギャーギャー泣いている姿しか覚えていないイトコの名前を名乗る男性からでした。 最初の電話があったのは、その年の3月ころ。 父親が肝臓の具合が悪くなって検査入院をしたところ、ボケの兆候が見られたという。なので、お前(私のこと
歳をとると持ち物が増えます。 私は増えています。 引っ越しのたびに「断捨離」の号令をかけて処分したつもりです。 それでも増えているんです。 たいがいは歳とってボケてしまい、捨てるのを忘れて溢れかえったモノです。 なぜだろう?と考えてみて気付いたことがありました。 捨てているのに増えていた持ち物には共通点があったのです。 それは自分の歩んできた人生において「つかずはなれず」な距離感を保ち続けている点です。 『疎遠なフェイスブックの「友達」』みたいに、切っちゃうと何かと具合悪い
私は、神戸市が実施している商店街・小売市場の振興施策のひとつ「商店街・市場応援隊派遣事業」において「応援隊員」をやっています。 神戸市のホームページ内「商店街・市場応援隊派遣事業とは」 https://www.city.kobe.lg.jp/a92777/business/sangyoshinko/shokogyo/shop/index.htm 現場で、どのような活動をしているかは守秘義務があるので一切書くことが出来ません。 オブラードに包んだ書き方をしても、読む人が読ん
人生はワンツーパンチ 3歩進んで2歩下がる 昭和の時代にそんな歌ありました。 しかし、50を過ぎれば、2歩下がった後に5歩くらい後退する出来事に見舞われることが、しばしばあります。 今日は、そんな出来事と向き合い、やり過ごすなり、取り組むなりする「人生の暮れ活」において切っても切れない「老い」に直面して、心に湧き上がったことを書いてみます。 先月受けた健康診断の結果が、封筒に入って帰ってきました。 年に1度のアレです。 今年は更に分厚く、重たくなっています。 開けてみた