大好きな映像制作をしてたら「うつ病」になった話

私ごとですが、実はタイトルの通り「うつ病」と診断されまして、この2,3月はほぼ休養していました。
よく聞く「まさかこの俺が…」状態でしたが、周りの理解やフォローのおかげで何とか短期間で回復し、復帰することができました。
支えてくれた家族、友人、本当にありがとう。今はすっかり元気です!

「うつ病」ってなるまでよくわからなかったですし、いちサンプルとしてまとめておきたいと思ったので書くことにしました。

うつ病になるまでの経緯

①意識が先行し、スキルが追いつかない日々。

2022年の春ごろから映像ディレクターとしてレベルアップを目指して、尊敬する師匠の元、修行する時間が増えました。これまでの個人完結型の仕事から、師匠からのチェックバックを含め、これまで以上に自分に厳しく、自分を疑い、負荷をかける日々を送るようになりました。
おかげさまで成長は実感する一方で、自分ができないところばかりに目が行くようになりました。
また理想の映像制作への意識は高くなる一方、それを実現するための業務遂行スキルが追いつかない場面が目立ち、結果的に業務時間を増やすことでスキル不足をカバーするような日々が多くなりました。

②解決策が根性論になる。

業務の時間が増えていることに何の疑問を持たなくなってくると、だんだんすべての解決策が「気合で頑張ればいい。」になってきます。
1日2日の徹夜レベルであれば、クリエイティブの現場ではあるあるでなんとかなります。ただそれが、1週間、2週間、3週間と長期にわたってくると徐々に体とメンタルが崩壊してきます。もちろん個人差はあると思いますが、絶対にどこかで限界がきます。
反省はもちろん、遂行不可能な仕事量を「頑張ればいい」と言う安易な根性論で、こなそうとしてしまったこと。これがすべての始まりだったなと思います。

③大好きなものに、心が動かなくなる。

②のような状態が異常なレベルで続いていくと、好きなことを楽しむ余裕がなくなってきました。プライベートで遊ぶ時間は取ろうと思えないですし、大好きな映像制作も心が動きません。
末期の時はパソコンを触ると手が震えました。
そしてなにより1番ショックだったのが、大好きな我が子(3歳)を見ても何の感情もわかなくなった瞬間。
今振り返ってみてもあのときのショックは忘れられないです。
「何のために仕事をしてるのか」「自分は何をしてるのか」がわからなくなり部屋に駆け込み、涙を流しました。
気づけばその数日前から、家族が寝静まった静かなリビングで夜な夜な自分の不甲斐なさに泣くような日々が続いていました。泣いて発散しないとメンタルが保てなくなっていた状態でした。

今振り返ってみると当時はもう時すでに遅し。「重度のうつ病」でした。

最初のひと言が、死ぬほど救いになる。

窮地に追い込まれていた自分でしたが、幸運にも救われた出来事がありました。1つ目の救いは、妻からの言葉でした。

「生活が続けられなくなってもいいから、楽しいお父さんでいて欲しい。」

「もう限界かもしれない」と最初に妻にカミングアウトしたときに、この言葉を投げかけられ、救われました。肩の荷がスッと落ち、一度すべての仕事をストップし、迷惑をかけることになるクライアントに謝罪の連絡を入れることができました。
「自分が抱えていた責任を全て手放し、すぐに休む。」といった決断をすることはとても勇気が必要。自分の限界を認めるようでも辛かったし、信頼を失う恐怖心、罪悪感などいろいろ。休むことを決めたにもかかわらず、たった数秒のメッセージを送るまでに何時間も迷いましたが、最終的に仕事を中断することができました。

2つ目の救いは、クライアントからの言葉でした。

「一度休みましょう。こちらは全然大丈夫です。」

この一言に「救われた…」と心から思ったのを覚えてます。
「じゃあそれでどうするの?」と聞き返すわけでもなく、とにかく状況を理解して「休む」ことだけを尊重してもらえるか。

追い込まれている人が、何を1番恐れているかと言うと「信頼の喪失」や「相手への迷惑」だと思っています。自分がこの仕事をストップすることで、とんでもない迷惑をかけて、罵倒されてしまうんじゃないか。「なんて言われるんだろう」などネガティブなことを想像して、ビクビクしています。
だからこそカミングアウトへの第一声は、とんでもない破壊力を持っています。
大袈裟でなくここが『早めに回復できるか』『地の果てまで堕ちるか』の運命の別れ道なんじゃないかと個人的には思っています。
自分で「俺はもうダメだ。勘弁してください。」と白旗上げて瀕死状態なところに、トドメを刺される感覚。
今回の僕は運良く、トドメを刺されずに救出された状態だったなと感じてます。

言葉は凶器にも、救いにもなりうる。

この経験での学びは、これに尽きるなと思います。
あのときとんでもない言葉を投げかけられて、罵倒され、休むことができなかったら、おそらく今も回復することができていなかったし、心に深い傷を負ったまま、長く続く人生の中で大きな足枷になっていたんじゃないかと思います。想像するとゾッとします。

逆の立場になってみると、相手の精神状況に向き合わずに、
投げかけてしまった一言で相手に深い傷を負わせてしまうことも十分にあり得るのだと理解しました。
また、うつ病といっても個人によって症状はバラバラで、ひとくくりに考えることができないことも学びました。「話を聞く姿勢」って大事です。

今回は1つの例として「自分のうつ病は例はこんなだったよ」と書かせてもらいました。
周りに「うつ病ぽい?」という人がいたら、ぜひ優しい言葉を投げかけて欲しいです!
きっと救われます!

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