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#8 当時31歳だった僕がプロ野球独立リーグ球団「堺シュライクス」を立ち上げた理由
10月24日にプロ野球ドラフト会議が行われ、堺シュライクスからは、松本龍之介(捕手)が東京ヤクルトスワローズ様から、育成4巡目で指名いただきました。
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NPBから指名をいただくのは、チーム創立以来初めてのこと。
堺シュライクスにとって記念すべき1日となりました。
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— 堺シュライクス【公式】 (@sakai_cityclub) October 24, 2024
球団初‼️
感涙の瞬間はコチラ😭
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続きは球団公式YouTubeにて⬇️https://t.co/wkOdxNkDUK#松本龍之介#堺シュライクス#ドラフト#ドラフト2024 pic.twitter.com/LtQa6YPOdi
10月24日にプロ野球ドラフト会議が行われ、堺シュライクスからは、松本龍之介(捕手)が東京ヤクルトスワローズ様から、育成4巡目で指名いただきました。… pic.twitter.com/kYQNPxxqVq
— 松本 祥太郎 (@matsumoto0710) October 25, 2024
堺シュライクスとは、2019年に私が立ち上げた関西独立リーグに所属するプロ野球独立リーグ球団です。
「夢を実現できる場所と、夢を諦められる場所を創る」とのビジョンを掲げて立ち上げた堺シュライクスですが、スタートから6年目でようやく1人の選手の夢を叶えることができました。
立派なビジョンだけ掲げて、夢を実現させてあげられなかった選手がこれまでたくさんいます。
毎年悔しい思いもしたし、「もうNPBに選手を輩出するのは無理かもな」と思った時期もありましたが、選手の頑張りのおかげで、こちらが夢を叶えてもらいました。
龍之介、本当におめでとう!
昨年の悔しい指名漏れからよく頑張りました。
シュライクスで夢を叶えてくれて、本当にありがとう。
シュライクスの歴史を作ってくれてありがとう。
でも、ここからが本番だと思うので、厳しい世界で揉まれながらもっともっと強くなってください。
今いる選手は、このチームでもNPBに行けるということが証明されましたので、必ず夢を叶えてください!僕はそのためのサポートを頑張りますね。
そして!
「絶対NPB選手を輩出してください!」という無茶なお願いを叶えようと頑張り続けてくれた大西監督と、球団創設時から支えてくれたスタッフには感謝の気持ちしかありません。
6年間選手の夢を叶えるこの瞬間のためだけに、いろんなものを犠牲にしてくれました。
各分野のプロフェッショナルを集め、各々メインでは別な仕事をしながら堺シュライクスの運営にどっぷりと関わってくれた球団の超中心メンバー。
このメンバーで悲願を達成することができて、本当にうれしいです。
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友人が限りなく少ない僕ですが、このメンバーは大人になってからできた、大切な友人でもあります。
とてもいいかたちでひと区切りがついたこのタイミングで、改めて、堺シュライクスの立ち上げからこれまでを振り返ってみようと思います。
(本記事は5,000文字以上ございますが、まだシーズン1年目もはじまっていないので、相当な長編シリーズになりそうです。予めご了承ください。)
野球に打ち込んできた人たちの、セカンドキャリアの難しさ
小学校から高校まで野球少年だった僕。
小さなころから夏の甲子園が大好きだったものの自分自身は甲子園に出場するほどのレベルにはなく、甲子園に出場した同級生や先輩、後輩たちは地元のヒーローだと思っていました。
いや、青森県八戸市という田舎町では間違いなくヒーローでした。
けれど不思議なことに、大人になってから見聞きする彼らの近況はあまりいいものではないことが少なくない。きっと、みなさんのなかにも思い当たる知人が一人二人はいるのではないでしょうか。「高校生のころはあんなに活躍してたのに、卒業後はちょっとね」と言われてしまうような元甲子園球児が。(もちろんそうじゃない人もいます!)
地元に帰ると「あんなに野球が上手かったスターが今はこんな感じなのか」と知ることが悲しかったし、純粋に「彼らには秀でた才能があるはずなのに、なぜそうなってしまうのだろう」と不思議な気持ちでいっぱいでした。
就職して以来ずっと採用支援に携わってきた立場からすると、甲子園球児に代表されるような「一つの物事にずっと取り組んできた人間」は非常に市場価値が高い人材です。
野球を頑張ってきた人を採用したいというニーズは絶対にあると思うんだけどな…と思っていたときに知り合ったのが、関西独立リーグ(2018年当時はBFL)代表でした。
多くの独立リーグ球団の目標はNPB選手を輩出することですが、理想の道を進める選手はほんの一握り。
独立リーグを辞めたあと、多くの選手がセカンドキャリアに悩んでいる現実を見てきたリーグ代表から「なにかいいアイデアはないか」と相談されたことが、僕と関西独立リーグの出会いとなりました。
参考URL:独立リーグとは
そうした相談を受け、まずは野球を頑張ってきた人を採用したいという企業と、関西独立リーグを卒業する選手を集めた合同説明会『WORK DRAFT』を開催することに。
私が採用支援をしていたクライアント様を招待して、引退する独立リーグの選手と、人材を採用したい企業のマッチングイベントを株式会社NOMALとして主催しました。
その場で就職が決まった選手もいましたし、周囲から「いいイベントだったね」と評価されるなど、自分としても手応えのあるイベントになりました。
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しばらくしてまたリーグ代表から呼び出され、来年のイベントの相談かと思っていたら突然「球団をつくらないか」と打診されました。
それが、堺シュライクス誕生のきっかけです。
リーグ代表は僕の考え方やイベントの実績を評価してくれたのか「選手が野球を頑張り抜いたあと、セカンドキャリアを見据えたチーム」をつくってほしいと言われました。
正直、最初は戸惑いしかありませんでした。
当時NOMALは創業して3年目で、売上は1億円にも達していない状態。球団運営で会社が倒産したら意味がありません。やりたいけどやめておいたほうがよさそう、というのが最初の感想でした。
でもとりあえずまずは話を聞いてみようと、経営者の先輩や、他の独立リーグの球団経営者に話を聞いて回ることに。その結果、めちゃくちゃ頑張れば倒産はしなさそうだと判断。
そしてなにより「31歳で球団オーナー」という珍しい機会が回って来ることなんて人生において滅多にあることではないし、チャレンジしてみたい!と、株式会社NOMALの子会社として球団設立に踏み切りました。
2018年7月10日に株式会社つくろう堺市民球団(堺シュライクス)を設立。
2019年4月からのシーズン開幕に向け、急ピッチで準備を始めました。
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大西監督が引き受けてくれたおかげで、今の堺シュライクスがある
実は当初、球団の本拠地は京都を考えていました。
当時の関西独立リーグには兵庫と大阪と和歌山の3球団があったので、本拠地のバランスを考えると京都がいいのではと思ったからです。
さっそく京都市長にも挨拶に行き、話を進めていきましたが、ある大きな問題に直面しました。
そもそも京都には硬式球を使える球場が少なく、シーズン中は高校野球で使われていたり、その他の季節も大学や社会人野球で埋まっていたりして、独立リーグが試合する日程を確保することは現実的ではなかったんです。
加えて、監督選びの問題もありました。
僕は「球団をつくる」と決めた瞬間から「絶対に大西監督にお願いしたい」と考えていました。
オリックスやベイスターズで活躍した大西さんと僕との出会いは、小学生の僕が不登校から脱出する機会をくれた、あの「PL学園対横浜の延長17回」の試合です。
「松坂大輔から同点打を打った男」として注目された大西選手を、プロ野球で活躍する姿はもちろん応援していたし、パワプロでもずっとスタメンで使い続けていたし、プロ野球チップスのカードも大切に取っておいてあるし、引退されたあともずっと追ってきました。
球団設立の説明にうかがったところ大西監督は終始真剣に話を聞いてくれ、ビジョンに共感もしてくれたのですが、大阪心斎橋で焼肉店『笑ぎゅう』を経営されていることもあって「京都は遠いわー」と言われてしまい、泣く泣く違う監督候補を探すことに。
しかしこれが、難航に難航を極めました。
NPBの本部から提供していただいた引退したプロ野球選手のリストをもとに、数々の候補者(元プロ野球選手)にコンタクトを取りましたが、こちらは新しく発足する独立リーグ球団。
答えはすべて「NO」。
中には現役時代のイメージを壊すような対応をされることもあり悔しい気持ちになったり、「この人が監督なんて嫌だ…」と思ったりしたことも一度や二度ではありません。
やはり大西監督がいいな…という気持ちを強くしていた矢先、堺市に新しい球場ができる予定があると耳にしました。
今の堺シュライクスのホームグラウンドである「くら寿司スタジアム堺」です。すでに大阪府内には東大阪市を拠点とする「大阪ゼロロクブルズ」がありましたが、エリアが離れているから問題ないだろうとの判断を受け、本拠地を堺市とすることに決めました。
そうなったらもちろん、改めて大西監督に打診するしかありません。
しかも大西さんは地元が堺市で、少年野球チーム「堺ビッグボーイズ」の出身でもあります。
なんだか運命めいたものを感じながら、「新しいチームを堺でやることになりました。どうですか?」と聞いたところご快諾いただき、めちゃくちゃホッとしたことを覚えています。
大西さんが監督を引き受けてくれたことは、球団にとって本当にラッキーな出来事でした。
例えば、大人気高校野球漫画『バトルスタディーズ』とのコラボレーションが実現したのも大西監督のおかげです。
バトルスタディーズの舞台はPL学園をモチーフにしているのですが、作者のなきぼくろ先生はPL学園野球部出身で、大西監督の後輩にあたります。
元々僕がバトスタ読者だったこともあり(今も連載中!めちゃめちゃおもしろいよ)、新規参入チームの話題づくりに活用させてもらいたく、ぜひ話を聞いてもらえないかと大西監督を通じてコンタクトを取ったところ、先生も出版社もまさかの快諾。
球団設立から現在に至るまで、堺シュライクス=バトルスタディーズのイメージが根付くほど、あらゆるシーンで活用させていただいています。
5年間続いた堺シュライクスの大イベント『バトスタデー』もこのご縁がなければ生まれておりません。
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▼バトルスタディーズ作者なきぼくろ先生と球団設立当時の対談記事
選手集めに関しても、大西監督の知名度が力を発揮してくれました。
設立記者会見に集まったマスコミを前に大西監督みずからがトライアウトの告知をしてくれ、おかげで、1年目の球団にもかかわらず全国から多くの選手がトライアウトに参加してくれました。
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そして、球団を倒産させないために同時に行わなければならないのがスポンサー集めです。
ここでも大西監督の影響力はすさまじく、焼肉屋のお客様や、現役時代のファンの方々がスポンサーになってくれました。
初年度からある程度の売上を創ることができたのは、間違いなく大西監督がこれまで積み重ねて来られたキャリアのおかげです。
創業当時からのスポンサーさんは今でもご支援をいただいている企業もあり、とにかく正直に言えば、今の球団があるのは大西さんのおかげだと言っても過言ではないです。
本当に頭が上がりません。
それこそ、大西さんのセカンドキャリアにおいて、「設立初年度の弱小独立リーグ球団の監督」をすることにほとんどメリットなんてないです。(誘っておきながらアレですが)
改めて復習しておきましょう。
大西監督は、PL学園 ー 近畿大学 ー 近鉄バファローズ ー オリックスバファローズ ー 横浜ベイスターズ ー 福岡ソフトバンクホークスと輝かしいキャリアを歩んでおります。
そのセカンドキャリアで、わけわからない球団の監督をやるメリットなんてないはず。
それなのに、焼肉屋のオーナー業と両立しながら、毎日練習に参加してくれるし、球団についても毎日SNSを更新してくれて、なぜこんなにやってくれるんですか。というくらい監督以外の仕事も積極的にサポートもしてくれました。
これは他の球団と比べると珍しいかもしれませんが、大西さんは監督でもあったし私たち現場スタッフでもあった感覚で、常に同じ目線で一緒に球団運営をしてきたような気がします。
まさに監督とスタッフが一丸となって走り続けたおかげで、今回のドラフト指名という1つの成果に繋がったように思います。
さて、話が逸れましたが。
そうこうするうち、あっという間に2019年春。
いよいよ、新球団「堺シュライクス」がスタートしました。
追伸:設立初年度に大変お世話になったKマンやHさんのエピソードなどを書きたかったところですが、公開できない内容が多いので泣く泣く削除しました。でも、心から感謝しています。この喜びがあるのは、創業当時に支えてくださったおかげです。届きますように。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。次回は「独立リーグの運営の裏側」について触れていこうと思います。フォローしていただけると、モチベーション保てますのでよろしくお願いいたします!
お知らせ📣
堺シュライクスと全く関係ないですが、2024年11月にアート×ビジネスのイベント「ART LIVE TOKYO」を開催いたします。オンラインでの参加も可能なので、ご興味がある方はぜひイベント詳細をご覧ください!
【拡散希望】来る11/21、日本最大級のアート×ビジネスイベント「ART LIVE TOKYO」を開催します!!!
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