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歌舞伎座にも進出した「房の駅(ふさのえき)」千葉の価値を上げる〝ワクワク感〟を創る

2024年夏、東京・銀座、歌舞伎座。

お土産屋さんが並ぶ地下2階へエスカレーターを降ります。
ふと右の壁を見ると……(取材時2024年8月11日)

歌舞伎座(地下2階)のお土産屋さんコーナーに新顔が加わりました。
その名も、歌舞伎茶屋「房の駅(ふさのえき)」

歌舞伎座といえば、東京・銀座に構え、明治22年(1889年)から脈々と歴史を紡いできた「伝統芸能の聖地」と言える場所です。

そんな場所にグランドオープンしたのが「房の駅(ふさのえき)」でした。

これは「房の駅」を営んでいる
「株式会社やます」代表取締役・諏訪 聖二(すわ せいじ)氏が持つ、千葉への情熱を素朴な好奇心で構成した記事です。

取材の冒頭、
この言葉を聞いた瞬間、諏訪氏がなぜ千葉に尽力しているのか、その「理由」を知りたくなりました。

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ローカルな道の先に

2024年8月1日。
千葉県の内陸を走る、のどかなローカル線、小湊鉄道「上総村上(かずさむらかみ)」駅で下車、のどかな風景の中を歩いていきます。

市役所通りを左に折れると、目的地が見えてきました。

株式会社やますとは

会社のホームページにはこんな文章があります。

やますは千葉のリーディングカンパニーとして
千葉を世界一の観光地にすることに本気で取組んでいます。

千葉のおいしいを大切にする/何気ない日常を特別にするを
軸に千葉の食の豊かさや風土、文化を最大限に活かし……

もともとは「諏訪商店」という海産物を扱う小さなお店でした。
しかし1980年代から急成長を続け、1990年には卸先500店舗を達成。
90年代後半、商売をさらに加速させる出来事が起こります。
それが1997年、東京と千葉をつないだ「東京湾アクアライン開通」
これに伴い、卸部門をさらに拡大していきます。
2002年、市原市糸久(いとひさ)に新生房の駅(ふさのえき)がオープン。
落花生をはじめとする千葉の特産品を生かした新商品を次々と開発します。

東京・秋葉原にある全国の美味しい味がそろった「日本百貨店しょくひんかん」では、北海道、名古屋、大阪、博多が居並ぶ中で、一番広い販売面積を任されています。

今回、取材を受けてくださったのが、
株式会社やます代表取締役/やます房の駅代表、諏訪 聖二(すわ・せいじ)さん。

諏訪さんプロフィール

1977年生まれ 市原市出身
高校まで地元・市原で育つ。
大学進学と共に上京、某スーパーマーケットで働いた後で、実家にもどり「房の駅」の運営を任される。
現在は、兄の寿一(としかず)さん【株式会社諏訪商店 代表取締役】と共に、地元千葉の魅力と美味しさを広めるべく、地元農家・漁師と手を取り、商品開発とPRに尽力している。

房の駅(ふさのえき)
……全国21店舗を展開する株式会社やますの中心事業。
地元千葉の海産物、農産物を生かした魅力ある商品を次々と開発している。
房の駅の房(ふさ)は「房総半島の房」。
千葉県から広がっていったので「道の駅」ではなく「房の駅」としている。
名付け親は、諏訪さんご本人です。

きっかけは「青唐がらし味噌」

元放送作家、今はしがないKindle作家。
かたや「株式会社やます代表取締役」です。
両者に接点は全くありません。

今回の取材のきっかけとなったのは、この商品でした。

TBSお昼の情報バラエティ「ヒルナンデス!」を見ていたら、秋葉原の「日本百貨店しょくひんかん」を紹介していました。
VTRの中で、一人のおばさまが「青唐がらし味噌」の美味しさについて熱弁をふるっていたのです。
「一度食べたら病みつきで、ずーーっと探してやっと見つけたの!」

「そんなに美味しいの!?」と思って、さっそく自転車で秋葉原へ一走り、
買って食べてみたら……。まあ、美味いこと美味いこと。
あまりの美味さに後日再訪して、懇意にしているKindle作家仲間へのお土産として追加購入しました。
(みなさん、大絶賛していました。
 「家族で食べたらすぐに無くなりました!」という声も……)

パッケージを裏返すと……

販売者:株式会社やます、という文字が。
HPを見せていただくと、なにやらとっても美味し楽しそうな雰囲気です。
……ということで、取材を申し込みました。

どこの馬の骨とも知れないヤツからの取材をよくぞ受けてくださったものです。
この場を借りて御礼申し上げます。

もともと千葉に愛情はなかった


取材のメインテーマは決めていました。
諏訪さんのXのプロフィールはこちらです。

名前の横の肩書き
「千葉が好きすぎる やます房の駅代表」
……ということで、早速うかがいました。

Q:Xの肩書き「千葉が好きすぎる やます房の駅代表」
  
どうしてそこまで千葉が好きなんですか?

すると、諏訪さんは少し困ったような顔で話し始めました。

諏訪さん
昔はそこまで千葉に対して愛情はなかったんですよ。
高校まで市原市にいましたけど、大学進学と同時に上京しました。
父からも「お前の人生だ、好きにしなさい」と言われていました。

Q:そうなんですか。
てっきり子供の頃から地元千葉への愛があって、それが高じて今の仕事をなさっているのかと思いました。

諏訪さん
いえいえ。
地方出身者が集まると、地元の自慢話って始まるじゃないですか。
「北海道だとカニが美味いだ、福岡だと明太子が最高だ」みたいな。
でも、その話の輪に積極的に参加できない自分がいたんです。
胸を張って千葉を自慢できないというか……
当時はきっと、どこかで千葉を卑下していたんだと思います。

Q:大学卒業後、お仕事はどうなさったんですか?

諏訪さん
東京の某スーパーマーケットに就職しました。
たぶんこれ、ぼくだけだと思うんですけど、就職にあたって「家族5者面談」というのが行われたんです。

家族5者面談とは……

Q:家族5者面談ですか??
どんなメンバーで、どんな話し合いがあったのですか?

諏訪さん
メンバーは、ぼく、両親、兄、そしてスーパーの社長さんです。
何を話したかというと、やますの大事な跡取り候補に就職してもらうにあたって、「双方合意の上なんだ」ということを確認するための面談でした。
スーパーの社長にしてみれば「あとで手のひら返しはしないでね」という念押しの面談と言いますか……

Q:ものすごい話ですね。
そのぐらい期待をかけられていたんですね。

諏訪さん
その社長さんには本当によくしていただきました。
新商品の開発に関わらせてもらって、全国を飛び回って美味しいものを食べてました。「これは勉強。交通費や食費はどんどん経費にまわせ」とおっしゃってくれました。「全国の美味しいものを食べて、商品開発にフィードバックする」現在の活動の礎になっていますね。

Q:当時はどんな気持ちで、スーパーで働いていたんですか?

諏訪さん
当時は明確な夢とか展望はなかったですけど、
ぼくなりに、この会社(スーパー)に骨を埋める覚悟で働いていましたね。
商品開発の仕事にも面白さを感じていました。

家族5者面談からの大逆転

Q:そこからどんな流れで、地元に戻られたんですか?

諏訪さん
原因は「兄」です。
いま僕が代表をつとめている「房の駅(ふさのえき)」事業を立ち上げるにあたって「市原に帰ってきて手伝ってくれ」という話になりました。
(※諏訪さんの兄・寿一(としかず)さん【株式会社諏訪商店 代表取締役】)

Q:……え、でも「家族5者面談」をやって、双方のコンセンサスをとった上で、スーパーに就職されたんですよね? 面談にはお兄さんも同席されていましたよね?

諏訪さん
兄の言い分は、こうです。

Q:おおおおお。それはすごい。
でも、スーパーの社長からしたら「それは約束が違うぜ」って話ですよね?

諏訪さん
かなり、すったもんだがありました。
それでも最後にはわかっていただきました。
もう亡くなられてしまったんですけど、本当にお世話になりました。
今となっては、感謝しかありません。

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大学卒業後、諏訪さんがスーパーで働いた期間は3年。
ふたたび地元・市原にもどった時には25歳でした。
この時点で、まだ千葉への愛情は芽生えていません。
このあと、一体どんな展開が諏訪さんを待っていたのでしょうか?
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ゼロからのスタート

Q:すったもんだのあげく、地元市原に戻られたわけですが、
新規事業の立ち上げ、まさにゼロからのスタートですね。

諏訪さん
今でこそ房の駅(ふさのえき)は、全国に21店舗ありますけど、当時の感覚でいえば「ベンチャー」もいいところでした。
品物を出してくださる方も30人ぐらいしかいなくて、取り扱う商品数も250品目ぐらい。(現在は10倍以上の3000品目)
まず、取り掛かったのは商品作りに協力してくださる「地元農家の開拓」でした。最初は「大根一本仕入れるのもタイヘン」という状況でした。

Q:そこからどうやって生産者の信頼をつかんでいったのですか?

諏訪さん
近道はありません。
とにかく「通い続けました」
そうするうちに、少しずつ取り引きをしてくださる生産者が増えていったんです。

肩を落とす落花生農家

Q:これまでたくさんの生産者とお付き合いをされてきたと思います。
特に印象に残っている方はいますか?

諏訪さん
本当にたくさんの方にお世話になりました。
そんな中でも印象に残っているのは「落花生農家の方たち」ですね。

Q:千葉といえば「落花生」ですね。
先ほど店舗で見せていただきましたが、落花生商品がたくさんならんでいました。

諏訪さん
そうなんです。落花生に関する商品は、全3000品中、500を占めています。
やますの「生命線」とも言える、主力商品ばかりです。
でも、2004年頃、落花生部門の売り上げは全体の30位、低迷していました。

Q:そうなんですか?
「千葉といえば落花生」というイメージを持つ人も多いですよね。
なぜ、そこまで低迷したんでしょうか?

諏訪さん
「千葉といえば落花生」というイメージが仇になった部分もあります。
農家の方たちは自分たちの主力商品ですから、熱心に落花生をすすめるワケです。でも、そんな時に決まって言われる言葉がありました。
それが……

Q:これはツラいですね……

諏訪さん
千葉県の落花生は本当に美味しいんです。
粒もよくて、風味も濃厚、おおまさりなど品種によって味わいも違います。
それでも、観光客にしたら「また落花生? 他にないの?」という感覚なんです。
そんな声を聞くたびに、落花生農家は少しずつ自分たちの作っているものに自信を失っていきました。
……いつしか、落花生以外の商品をすすめるようになってしまったんです。
この時、ぼくの中に芽生えた「思い」がありました。

看板商品に胸を張れる

諏訪さん
そこからは落花生農家の方たちと協力して、商品開発とPRに力を注ぎました。
なんとしても「千葉の落花生をかっこよくしてやる」という思いにつき動かされて
走り回っていた記憶があります。
一つ形になったのが2005年です。
「ジェフユナイテッド市原・千葉」とのコラボ商品でした。

ジェフユナイテッド市原・千葉
……
ホームタウンの千葉県市原市・千葉市を拠点とするJリーグクラブ。
1993年開幕期からJリーグに加盟している。

諏訪さん
「房の駅」とコラボして「臨海魂ピー。(りんかいだまぴー。)」という落花生商品を作って、スタジアムで販売したんです。
原材料は100%千葉県産の落花生です。
「から」をとってあるので、そのまま渋皮ごと食べられる、シンプルな商品です。

「臨海魂ピー。」の商品パッケージ

Q:落花生農家の方たちの反応はどうでしたか?

諏訪さん
喜んでいましたね〜。
こんな風に思えたそうです。
「ジェフ市原のスタジアムで売っているピーナッツは、自分が作ったんだ」
ちょっと前まで、看板商品(落花生)に自信を持てず、みずから看板を後ろ手に隠してきたワケです。
それが堂々と「この落花生は自分が作ったんだ」と胸を張れる……
「誇らしさ」って、仕事をする上で大事だと思うんです。
それを取り戻すお手伝いが少しでも出来たのかと思うと、嬉しかったですね。

Q:そこからどんどん商品が増えて、今では3000品目中、500が落花生商品という話でした。現在、売り上げ順位は全体で何位なんですか?(2004年時は30位)

諏訪さん
堂々の1位です。

落花生商品はやますにとっても、大事な看板商品になりました。

Q:「また落花生?」なんて言われて肩を落としていた農家が、自分の商品に胸を張れる。素晴らしいですね。

諏訪さん
千葉の生産者は、皆さん良いものを作っているんです。
そこは自信を持って欲しいと思っています。
みなさんの目が、少しずつ輝きを取り戻していくのを見るのは嬉しかったです。
今にして思えば、
この頃から少しずつ千葉への愛情が深まっていったのかもしれません。

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これで取材の目的は達成されました。
もともと千葉に大きな愛情がなかった諏訪さんが、なぜここまで千葉のために尽力しているのか。お分かりになったと思います。
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取材時間も終わりに近づく中、気になる話を諏訪さんが始めました。

千葉の生産者の後継者問題

諏訪さん
千葉の生産者って後継者問題があまりないんですよ。
ちゃんと後継が育っているんです。

Q:……え?
第一次産業って、どこも後継者に悩んでいるのかと思っていました。

諏訪さん
手前みそな話ですが、そこにもお力をお貸しできているのかなと思います。

Q:力を貸すとはどういうことですか?

諏訪さん
簡単にいえば、販路を増やしているということですね。
生産者さんの多くは、JAさんや漁協を通して商品を販売するワケです。
すると、どうしても収入に上限ができてしまいます。
でも、ぼくらと一緒に商品を作っていけば、他にも販路ができます。
もちろん、JAさんも漁協も生産者にとっては大事なプラットフォームです。
それでも販路を一つに絞らないことで、収入も増えます。
そこに「やりがいを感じる」次の世代が着々と育っている、というワケなんです。

Q:収入の柱を増やそうという話は最近よく聞きますが、それはどんな職種であっても同じなんですね〜。

諏訪さん
たとえ今は忙しくて収入があったとしても、いつまたコロナのようなことが起こるかわからないじゃないですか。
そんな時にオンラインに自分の商品があれば、そちらから収入が入る可能性が残ります。ぼくらも一生懸命お手伝いしますので、もっともっと千葉の魅力が溢れた商品を作っていきたいですね。

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最後に気になることを聞いてみた。
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〝ワクワク〟を創るには

Q:仕事をする上で大事にしていることはなんですか?

諏訪さん
やますの精神にこんな一文があります。

諏訪さん
特別とはなにか?
ぼくは「ワクワクさせること」だと思うんです。
ただ美味しいだけじゃない、その場所で食べることで、気分が高揚して生きる気力が湧いてくる。そんなものを、千葉の生産者と協力して作りたいと思っています。

Q:そのヒントを探すために、日々いろんな場所で美味しそうなものを食べているんですね!

※※※※※※※※ 以下、諏訪さんのXのタイムラインより抜粋 ※※※※※※※※

諏訪さん
会社側にも了解をもらっているんですが、
「週に1日の取材時間」を取るようにしています。
どんなに忙しくとも、週に1日はどこかに出かけて、ワクワクする食べ物やサービスに触れています。
千葉の中に閉じこもっていても発想は広がりません。
たくさんの人の「知恵」と「熱意」に触れることで刺激をいただき、ぼくたちも負けないぐらいのワクワクを作っていきたいと思っています。

Q:展望や夢、教えていただけますか?

諏訪さん
……ここでなにか具体的に言ってしまうと、やますと千葉の伸び代(限界点)を自分たちで決めてしまうような気もしますので、敢えてこう言います。

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こうして取材にいただいた45分が、あっという間に過ぎました。
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ある時、取材の帰りにいただいた「ピーナツキング」

……ピーナッツの一粒一粒が美味い。
今までだったら「美味しいな〜」で終わってしまうところです。
でも、この商品にたどり着くまでに、諏訪さんと落花生農家の道のりを思うと、
より甘味が増していくように思えました。

このたびは、株式会社やます様、諏訪様。
取材を仕切ってくださった広報部の責任者・柴崎様。ありがとうございました。

「株式会社やます」
「房の駅(ふさのえき)」のますますの発展を祈っております。








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🎈ミツ@変な本を書く作家
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