【随想】 困窮撲滅の社会
「生活に困窮している人を助けたい」と思う気持ちは、「人倫の道」的にも間違ってはいない。そのこと自体は否定するつもりはない。
但し、「何もしなくとも誰が救ってくれる」「だから何もしない方がイイ」「それが賢い生き方だ」などといった“怠け心”を興させる支援では不可ない。
例えば、ただ単に「金品をバラ撒く」という施策は、其の場凌ぎの“偽善”に過ぎず、「生活困窮」に対する根本的な解決になってはいない──というか、“怠け心”を誘発する危険な施策である。
民衆の“怠け心”は国家を滅ぼす。
肝要なことは、「努力すれば報われる社会」という至って常識的な社会を構築することである。誰にも努力する「機会」が与えられ、その努力が正当に「評価」され、その評価に見合った「対価」が得られる。そのような社会を創ることが、「生活困窮」の撲滅に繋がるのではないか。
本能だけで生存している動物とは違い、人間は“努力”の結果、日常をより良く変えるコトのできる生き物なのだから。だからこそ、努力できる「機会」が必要なのダ。
しかし、現実社会はそのように親切にデキちゃいない。生活困窮者が益々ギスギスと痩せ衰えているのに対し、金満家は益々ブクブクとメタボリックになっている。そんな世の中である。