【随想】 邯鄲の栄華なる夢
最近、世界情勢を伝えるニュースに触れるたび感じるのは、「1人の富豪を味方にする為政者より、100人の労働者を味方にする為政者の方が国家に強い影響力を及ぼす」という現実。まさに、「数」こそが“真の力”であるという政治が世界各地で展開している。
「数」の“力”とは恐ろしい。
小早川秀秋の寝返りが歴史を動かしたのは、1万5000という「数」があったからに他ならない。もしアレが100や200の小人数での寝返りだったら、たちまち返り討ちに遭ってしまったに違いない。「多勢に無勢」とは、昔の人はよく言ったものだと感心する。
だからという理由ではないが、為政者は、労働者が圧倒的多数を占める「民衆」を侮っては不可ない。古今東西、変わらぬコトは、「国家を動かすのは民衆の力である」というコト。
けだし、民衆諸氏が間違えてはならないのは、「労働者の味方」を謳う為政者が労働者のための政治をするとは限らないというコト。「労働者の味方」と「労働者のため」とは、まったくの別次元の話なのである。
“道徳なき為政者”は甘い言葉で民衆を惹きつける。まるでホタルを誘い込むかのように。そして権力を手に入れた途端、民衆の力を削ごうと躍起になるのダ。なぜなら“道徳なき為政者”が恐れるのは、己を権力の座に押し上げた民衆の力が“新たな為政者を担ぎ出すコト”である。
私欲に塗れた為政者は、栄華の夢を未来永劫みつづけようとする。
この世の栄華なんぞ、“邯鄲の夢”だとも知らずに……。