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【雑短歌】「子供の進む路」を詠む二首

 自分の望み通りの人生を歩んでいる人は幸福しあわせである。
 だが、そんな幸運しあわせな人は極僅かである。なぜなら、多くの人は人生の三叉路において、自分の意に反した障害に出遭ってしまうからだ。

 人生は障害物生存競争レース 

 幾多の強い圧力に屈し、自分の望まぬみちへと押しやられ、“はじめの一歩”を踏み出さざるを得ない子供たち。それから先は、ズルズルと底無し沼に引きずり込まれてゆく。
 でも、そんな人間を「意志薄弱な奴!」と罵るコトなかれ。皆がみんなが、己の意志を貫き通せる強い人間とは限らないからダ。

  らぬだれかがいた線路せんうえ
        はしつづけるこそかなしき

 人生の三叉路における最大の障害は“親の存在”であろう。
 古今東西、我が子の幸福しあわせを望まぬ親はいない。

 が!

 過保護は不可いけない。
 子供の選んだみち、その選択を最期まで信じてやるのが、本当の親心だと思う。子供の選択にいちいち干渉するのは、一見、愛情のように見えるが、そうではない。そのような親の常套句は、

 そんな将来では苦労する

 である。
 日本では古くから、

 若い時の苦労は買ってでもしろ

 
という言葉がある。「若い時は楽な方に立ち回ってばかりおらず、困難な事であってもそちらを敢えて選択し、苦労を経験しなさい」という意味らしい。この言葉自体、否定する気は毛頭ないが、問題はその苦労の“質”である。
 自分で選んだみちで苦労するのと、押し付けられたみちで苦労するのとでは、どちらがそのみちを歩む人間にとって幸福しあわせであろうか。

  おやのエゴ見栄みえしばられける
       未来みらいくし暗夜あんや彷徨まよ

 子供の未来を強制するのは、自分の子供を信じていないあかしである。「いちばん身近な肉親に信じてもらえない」と感じたときの子供の落胆は致命的である。自分の全人格を否定されたのと同じだから……。
 そして、親の“信”を失った子供の心は、己の運命を呪い闇に吠えるのダ。

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