#1 12月29日 出発の朝 …と言い訳
その日は予定していた時刻の一時間後に目覚めた。
飛行機の出発時刻には十分に間に合う時間だ。慌てず支度をし、年の瀬の割に暖かな空の光を浴びながら出かけてしまえば、それはポジティブな画として僕の記憶に残るだろう。しかし僕の気分はこれから旅行に行くそれではなかった。昨日の仕事納めの飲み会でのお酒が残っていたというのもあるだろう。やれやれ、好きでもない仕事で気の合わない職場連中との飲み会にも関わらず、どうして量もペースも考えない飲み方をしてしまったのだろう。あるいは、飲まないとやってられないといったところだろうか。何れにせよ僕自身の責任だ。
ただ、それでなくともいつもの憂鬱な朝に輪をかけてこれから未開の地に向かう恐怖感がきっと、その二日酔いの症状をさらに悪化させているということは言うまでもないだろう。
数か月前に決めたときには、一抹の不安を抱えながらも高まる期待の方が圧倒し、勇敢に計画を立てていたにもかかわらず、今の僕はなんと脆弱なことであろう。
僕は今日、イタリアに向かう。
大げさに書いたが、ただの旅行だ。
「やれやれ」だの「あるいは」など、ハル〇ストに怒られる(使い方が下手過ぎて)。勿体付けた割に、冒頭「旅行」だと言っちゃっているし。格好つけようとし過ぎていて何もかもちぐはぐだ。
やはり向いていないな。もっと口語的で素直に、その時思ったことを書いていけたらいいと思う。「あるいは」格好つけたい時はそれもいいと思う。ナル入るのもいいじゃない。フィクションも交えてみたり、笑いあり(文章で笑わせたら大したもんだ!出来んのかこら!)、涙あり(おいおい、ハードル上げんな!)、そうだ!文体なんか知らん知らん!感情のままに書きなぐった方が絶対面白いわい!
とまあ、本題に入る前に言い訳ばかりだが、僕にはそれが必要だ。そうでもしないときっと僕の膨大に貯め続けた自意識が爆発し、自宅周辺が立ち入り禁止区域に指定されることになってしまうだろう。近隣住民に多大な迷惑をかけてしまう。いや、そもそもこの言い訳の書き方が痛いのか…ブツブツ
本当はわざわざnoteを始める必要などはないのだ。
僕はただ、旅行中に見たもの、感じたもの、そして、留まらなかった頭の中のお喋りを記録として残しておきたかった。絶対に見られないように。
家族、友人、会社関係、その他少しでも知っている人に僕のこの悍ましい内面を覗かれでもしたら、僕はそいつを殺さなければならない(おやおや随分バイオレンスでやんすね)。
ただ、ペンで書くなんて今どきじゃないじゃない。今はキーボードバチバチっしょ。(生意気だなオイ)
それに折角なら、、
いや絶対に見られたくないけども、、
もし、、もしも、このめんどくさくて、引っ込み思案で、気分屋で、内弁慶で、プライドが高くて、わがままで、器が小さくて、自意識過剰で、自己肯定感が地中深くに埋め込まれてて、妄想禿野郎で、クソメンの癖にナルシストで、、その他もろもろのクソ(うんこ)な記事を読んで、「その気持ちわかりみ」「共感汁がどぱどぱですぅ」なお方がいらっしゃるなんてことが万が一知ることができたら、、、
僕は家で一人でニヤニヤするだろう。
逆にアンチ的な人が出てきたら、
死にます。
は無理なので、速攻で全削除し5年くらい落ち込みます。
それほどに僕の本物は脆弱で壊れやすく、そのくせ厚かましい性格なのである。それでも僕は、他人に覗かれたい、ひょっとしたら見つけてほしい、コミュニケーションをとりたい、あるいは書いてネットに上げることで何らかの行動をすることの最初の一歩を踏み出してみようと思ったのかもしれない。
また、これは後から書くと思うのだが、旅行を通して、いい意味でも悪い意味でも、孤独だった。日本語を話したいと思った。もっと英語が話せたらいいのにと思った。もっと自分とお喋りしたいと思った。もっといろんな感覚を感じたいと思った。
だからあえてnoteに書いてみようと思った。あとnoteがなんか一番カッコイイと思った。
しかし出来るだけ誰にも読まれないことを前提にしないと、普段つけている厚手の仮面(ヴェネツィアも行ったからね)がこんなところでも出てしまう。
このnoteの一番の読者は僕だ。
誰から気持ち悪い、痛い、ダサいと思われようと、僕だけは味方でいなければ、僕はきっと100歳まで人間になれないままだ。
それでもどうか誰にも読まれませんように。
2018年12月29日、僕は単身イタリアへと旅立った。
、、、8日だけ。