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ウォノソボライフ(79):ウォノソボ出身の著名人たち(3)~映画監督イスマイル・バスベス~(神道有子)

〜『よりどりインドネシア』第176号(2024年10月23日発行)所収〜

10月2日から10日間にわたり、韓国の釜山にて毎年恒例の釜山国際映画祭が開かれました。日本を含めた様々な国からの作品や映画製作者、俳優たちが集うなか、これに併設されたアジアンコンテンツ&フィルムマーケット(ACFM)およびアジアンプロジェクトマーケット(APM)も10月5日から8日まで開催され、賑わいを見せたと報じられています。

ACFMでは寄せられた映画プロジェクトに対し賞が送られますが、今回そのなかのTAICCAアワードを受賞したのが、インドネシアの女性プロデューサー、リザ・アングラエニ(Lyza Anggraheni)によるプロジェクト『RAIB (The Most Mysterious Man)』でした。TAICCAとは台湾クリエイティブ・コンテンツ・エージェンシーという独立行政法人であり、台湾のコンテンツ産業をサポートしていく活動をしています。

リザはその喜びと各方面への感謝を自身のSNSで発信しました。リザはこの受賞の前日が誕生日であり、最高の誕生日プレゼントだと。実は彼女が釜山国際映画祭に参加するのは今年で2度目となります。昨年は自身もプロデューサーを務めた映画『SARA』が映画祭で上映され、注目を集めました。SARAはトランスジェンダー女性を主人公とし、故郷の認知症を患った老母と向き合っていくさまを描いた作品です。監督はイスマイル・バスベス(Ismail Basbeth)。リザの長年のチームメイトであり、夫でもあります。

イスマイル監督とリザ夫妻。イスマイル監督のインスタグラム(@ismailbasbeth)より

リザは昨年の映画祭の後、釜山フィルムコミッションが提供する釜山アジアンフィルムスクールへ誘われます。最初はまだ幼い子供たちのことがあり断ったリザを、イスマイル監督が後押ししたそうです。そうしてリザはこの8ヵ月、ジョグジャからのチームのプロジェクトマネージャーとして韓国で創作に励んでいました。それが受賞という実を結び、夫婦ともに喜びを分かち合っています。

夫婦で映画業界に身を置く2人ですが、特にイスマイル監督は様々なメディアで作品を発表しており、『よりどりインドネシア』でも既に轟英明さんや横山裕一さんが作品を解説されています。

今回はウォノソボ出身のクリエイターとして、これまでの活動や経歴をまとめてみたいと思います。


短編から長編まで

元は音楽をやっており、大学に行きながら映画業界で作曲家として活動していたイスマイル監督は、徐々に映像制作に興味を持ち始めます。技術を学びながら2005年から映像作品作りをスタートしますが、そこから3年間は修業期間だと捉えているため、その時期の作品はポートレートに含んでいません。監督としての第一作は、2008年発表の『Hide and Sleep』であるそうです。

これは約15分の短編ですが、セリフはほとんどなく、映像で語られる作品です。主人公は高校生くらいの少年。寝て起きるたびに身に覚えのない奇妙なことが起きていて、夢遊病のような状態にあるようだとわかる。それは日を追うごとにますますひどくなり、部屋が荒れるようになったため、遂に自身を頑丈な木箱に閉じ込めて眠ります。しかし夜半、釘打ちされた木箱の蓋を、内側から激しく叩き割る様子が見られ・・・。終始どこか不穏な空気の上、これからどうなるのか、不安を残したままの幕引きとなり、視聴者に爪痕を残すタイプの作品でした。

初期の短編はこうした不穏で爪痕を残していくものが多く、2011年の『SHELTER』ではバスに揺られる男女を描きます。席に座る女性の顔や体を、隣に座った男性がとにかく執拗に触るのですが、女性は一向に気にしていないどころか無反応。一体どういう状況なのか、2人はどういった関係なのか、考えを巡らせながら見ていると、女性が一人でバスを降ります。あれほどしつこかった男性はついてきません。降りたあと、道端で何やら人だかりができているのを気にする女性。騒ぎの中心を知り、慌てて駆け寄る女性の先には、ぐったりと道路に倒れて動かない人物。救急隊によって救急車へと運ばれていくその人は、先ほどバスにいた男性が着ていたものと同じ赤いジャケットをまとっています。最初から最後まで、セリフなし。そのため明言はされませんが、赤いジャケットの人物はおそらく女性の知り合いで、事故に遭い、バスにいたのは彼の幽霊だったのだろう。だから女性には見えていなくて無反応なのだ、と、なんとなく理解できる仕組みになっています。

こうした最後にどんでん返しがくるものとしては、2019年制作の『Woo Woo (or Those Silence That Kills You and Me)』も挙げられるでしょう。

https://letterboxd.com/film/woo-woo-2019/より

冒頭から淡々と、どこにでもいるような青年のどこにでもあるような日常風景が描かれます。家で食事をし、寝転びのんびり過ごして、そのあとは荷物を持ってバスに乗って出掛ける・・・。家も街並みも、インドネシアのごく普通の景色。繁華街を歩いていく青年ですが、最後の20秒で全てが変わります。突然走り出した青年は、脇目も振らずに渋滞する車の列へ突っ込みます。すると、画面は暗転し爆発音とたくさんの人々の悲鳴。どうやら自爆テロを起こしたのだと、ここでようやくタイトルの意味がわかります。こちらも一切のセリフなし。ですが、オチを知ってから改めて見返せば、どこか思い悩んでいる様子、遺書を書き付けている様子、そして実行の直前には興奮からか呼吸が荒くなっている様子がちゃんと描かれていたことに気付くのです。この『Woo Woo』は2019年のインドネシア映画祭で最優秀短編映画賞にノミネートしています。

こうした短編をコンスタントに作り続けてきた一方で、長編作りは2014年から挑戦し始めました。2015年に公開された『Another trip to the moon(邦題:月までアナザー・トリップ)』は長編デビュー作となり、福岡国際映画祭2015でも上映されました。

これはそれまでの作風にあった、どこか非日常なんだけれど細かく現実的な描写を差し込む手法と全く違い、時代も場所も荒唐無稽で、まるで夢の中にいるようなファンタジー映画です。一方でイスマイル監督が得意とする、説明的なセリフ回しではなく仕草やカメラワークで語るという手法は本作でも採用され、長編なのに一切のセリフなし。呪文のようなものや唸り声はありますが、意味のある言葉は出てきません。狼人間のような種族、彼らと交流する文明を持たない少女たち、突如現れるUFO、都会に住む祈祷師・・・。一体何がどうなっている世界なのか、観客の解釈に委ねられますが、我々の理屈とは違う理が存在しているのだろうことは伝わります。

セリフをあえて抑えた作品作りについて、イスマイル監督は「セリフとは言葉で語られるものと行動で示されるものとがある」と述べています。つまりボディランゲージというのか、登場人物の動きや表情はそれ自体もセリフであるとの考えです。言葉のセリフが必要かどうかは、場面によるものであり、例えば、一人きりで部屋にいるときにベラベラ喋る人はいない。必要ないときに無理に言葉を使うことはないということです。

我々は会話が物語を動かす作品に慣れすぎている、そうした作品とは時間や場所が限られているために、映像で状況を示すのではなく言葉で説明するしか手段がないからだ、映画のように撮影手段に余裕のある媒体であれば説明するのではなく示せばいい、としています。

もちろんセリフが重要な意味を持って物語を動かすイスマイル作品もありますが、観客には映像や登場人物の姿から示されるものも汲み取る力が求められるようです。

また同年、長編ロードムービー『Mencari Hilal(邦題:三日月)』も発表しており、こちらは第28回東京国際映画祭に出品されています。敬虔な父と、良くも悪くも現実的な息子が互いに反発しながら新月を観測できる場所を求めて旅する物語。

「イスマイル監督は本作において、過激派とは違う普通のイスラーム教徒の姿を疎遠となった父と子の関係を通して国外の観客にも見せたかったとインタビューに答えており、それは概ね成功しています」(轟英明)

「宗教をテーマにした作品は(中略)他宗教間の確執が取り上げられがちななか、『三日月』のようにイスラム教徒とはどうあるべきなのかを誠実に見つめる作品は稀であるとともに、親子世代間の違いがイスラム教に向き合う姿勢の違いとしても対比され、じっくりと好感を持って観ることができます。」(横山裕一)

まさに、この信仰スタンスの違いによるコントラストが興味深い作品でした。敬虔な父と世俗的な息子ですが、父の敬虔さを理想像として描くのではなく、むしろ周りからは距離を置かれている、それどころかその頑固さが人を怒らせるレベルの鬱陶しいものになっています。敬虔さの違う2人を描き、世俗的な息子が改心して熱心になる、という展開でもありません。世俗的であることは信仰心がないことではない。家族であるために突き放せないが、家族だからといって常に分かり合えているわけではない。それでもともに座って隣を歩けば、見えてくるものもあるのではないか。同じイスラム教徒でもこんなに違うし、それぞれの立場で葛藤があるのだと、どちらかを持ち上げるでもなく描いています。

2017年、長編としては初となる脚本と監督を手掛けたのが『Mobil bekas dan kisah - kisah dalam putaran (邦題 回転木馬は止まらない)』です。第30回東京国際映画祭でも取り上げられました。こちらは中古のジープが主人公。といっても何か特別な力があるわけでもない普通の中古車ですが、彼(?)が関わる人々の人生の断片をオムニバスのように見ていく物語です。

https://movfreak.blogspot.com/2017/12/mobil-bekas-dan-kisah-kisah-dalam.html?m=1より

妻を亡くしジープに妻の面影を見出す男、祖父と孫ほど年の離れた冷えきったカップル、3人組のかしましいガールズバンド、追われている娼婦、家族を殺害した犯人探しをしている女性・・・そしてそれらオムニバスの合間に示される、居住地を強制立ち退きで失った2人の農民の運命・・・。ジープという無機物を通して見るからか、その人が通常であれば他人には見せないような部分まで覗くことになります。常軌を逸したように見える、あるいは本当の異常事態を描き、社会とはそうした断片が組み合わさって何事もないかのような顔をしているのだと言わんばかりです。

2022年にはファミリー向け映画の監督も務めました。『Keluarga Cemara 2(マツの木の家族2)』です。90年代にTV放送されていた人気ドラマシリーズの映画化の第二弾なのですが、第一弾とは脚本も監督も変えています。そのあたり、どういう経緯があったのかはわかりませんが、イスマイル監督は第二弾のみを担当しています。

「映画版『マツ』は 1996 年に始まったシネトロン版が元になっています。より 正確を期せば、1970 年代にアルスウェンド・アトゥモウィロト(Arswendo Atmowiloto)によって原作小説が書かれ、1981 年に単行本として出版、1996 年に原作者自らが立ち上げた制作会社によってシネトロン化、大人気となった ため放映テレビ局が変わりながらも続編が作られ、最終的に 2005 年まで放映 されました」(轟英明)とある通り、小説がまずあり、それが90年代にドラマ化され人気を博し、最近リバイバルとして時代を現代に翻案したものが映画となりました。

ドラマ版ではとにかく三姉妹のドタバタが中心に描かれました。しっかりものの長女エウイス、おてんばでワガママだけど賢く人を慈しむ心を持ったアラ(チュマラ)、そしてまだまだ幼く甘えん坊でお姫様気質なアギル。エウイスは小学生ながらスナック販売から妹たちの世話までなんでもやり、もはや小さなお母さんといった逞しさです。妹たちを躾るために強く怒りすぎてしまい、めったに怒らない父に本気で叱られるというエピソードもあるほど。仕事も家事も、やらされているのではなく自分がやりたくてやっている、と公言するスーパー小学生です。妹たちもそんなエウイスを頼り慕い、ワガママは言うものの最終的に姉の言葉には従い、年上への敬意を見せます。

しかし映画では、末っ子アギルは生まれたばかりの幼児、マスコット的なポジションで姉2人との対等なコミュニケーションは発生しません。そしてエウイスは年相応の欲求を見せ、姉といたがる妹アラを拒絶します。友達との時間を増やすために妹の通学の送り迎えをやめたい、部屋もプライバシーを守るために一人部屋にしたいなど、ドラマ版から一番変化したキャラクターではないでしょうか。

そんな姉の心境の変化を受け止めきれず、アラは寂しさを募らせていきます。母は手がかかるアギルにつきっきり、父はアラの部屋を直すと約束をしたきり実行してくれない。家族全員がなんだか遠い存在です。そんなとき、アラは道で迷子のひよこを拾います。不思議なことに、彼女にはひよこの声が聞こえました。観客にはただピヨピヨとしか聞こえない鳴き声を、アラはしゃべっていると言うのです。ひよこは、家族に会いたい、帰りたいと訴えます。アラは、「私も同じ。私も家族が恋しい」とこぼし、同じ家に住んではいるけれど距離ができていることを示したのでした。

アラはどこにいるのかもわからないひよこの家族を探すことを決意します。級友の手を借り、一大冒険旅へ出発。一方、家族たちはアラが無茶な試みのためにいなくなったことを知ります。パニックになり総出でアラを探し、一度は連れ戻してバカなことをするなと叱ります。家族はひよこと話せるというアラの言葉を信じません。寂しさの埋まらないアラは、せめてひよこの願いだけは叶えてやろうと、再び奔走し・・・。

ドラマ版では、周りより貧しく、日常的に蔑まれたり損をしたりするような目に遭っていても、家族の繋がりを互いに大事にしていました。映画では、思春期の難しい年頃になった娘たちがそれぞれ違う方向を向き、両親も叱ればいいのか寄り添えばいいのか、試行錯誤します。

ドラマ版でエウイスが我慢をすることで成り立っていた一家の生活を、エウイスを子供に戻し、他の家族がその負担を少しずつ負っているように見えます。90年代には大変教育的であるとして人気を集めた三姉妹で、健気で可愛かったのは確かですが、2020年の今、同じ描き方はできないのでしょう。インドネシアの世代間の価値観の違いは、日本以上の差ではないかと思います。

現代らしい家族として配置し直したため、アラは頼れる姉を失いました。彼女はひよこを通してSOSを発し、ひよこを助けることで家族のなかで迷子になっている自分自身を見つけてもらいます。声を聞くこと、聞こうと思うこと、この姿勢なしには役割が固定化してしまうのだと訴えているようです。

ウォノソボ生まれ映画館育ち

さて、ここでイスマイル監督の生い立ちを振り返ってみましょう。

1985年、男5人、女4人の9人兄弟の末っ子として生まれました。アラブ系商人の家系で、家具屋を営む両親のもとで育ちます。

以前、『よりどりインドネシア』第156号の拙著「映画館がやってきた!」の回で触れた、ウォノソボにかつて2つあった映画館のうちのひとつ、クマラ・シアター。そのすぐ前に生家があったそうです。兄の友人らがよく集まってはダンドゥットやポップ、ロックなどの歌を歌っていました。家に出入りする家具職人や兄の友人らに影響を受け、そうした音楽に親しんでいきました。

また、音楽のほかにも、貸本屋で漫画を借りて読むということもよく真似をしました。アメコミ、フランス、香港、日本の漫画などがあったそうです。漫画から本も好きになり、兄や姉の持っている本や雑誌もよく読みました。両親は教育にも熱心で、毎日マグリブ(日没のお祈り)の後には家族全員で集まってコーランを読む習慣があったそうです。そのため、子供たちは文字を読むことが生活の中で当たり前になっていました。

このあたりで、音楽と本が好きという、後のイスマイル監督を形成する根幹ができていたようです。

それまでは誰かが持ってきた楽器を借りて練習していましたが、自分の楽器がほしくなり、お金を貯めて中学へ入るときに初めて自分のギターを買います。毎日練習をし、ひそかにオリジナルの楽曲を作ってもいました。

家の目の前が映画館という非常に恵まれた立地ももちろん活用します。家族や近隣の住民と毎週土曜の夜に映画を観ており、ときには裏口から入り、映写室で手伝いをすることでチケットを払わずに映画を観ることもあったそうです。

さらに、母方祖母の家はもう一つの映画館、ディエン・シアターの近く。まさに映画と関わるために生まれたような環境です。

しかし、この頃の一番の興味は音楽でした。2000年、地元のバンドに入ります。音楽家を志し、バンドンにあるSTSI(Sekolah Tinggi Seni Indonesia(インドネシア芸術高等学院)の略。なお、2014年にInstitut Seni Budaya Indonesia (インドネシア文化芸術学院)に改名しており、現在はISBIと呼ばれている)のスンダ芸能科に進学したものの、ジョグジャにいるバンド仲間に合流するため、中退してジョグジャに引っ越します。ムハマディヤ大学ジョグジャカルタ校のコミュニケーション学科へ入り直しました。

2005年、ジョグジャでは映画コミュニティが次々に作られていた時期でした。イスマイルは毎日8時間のギター練習をする傍ら、レンタルDVD屋で仕事も始めます。そこで多くの映画制作者と知り合い、映画に関するディスカッションをするようになります。彼らの作品を通して映画制作に興味を持つようになっていくのです。映画談義の輪はどんどん広がっていきました。翌年には映画コミュニティの運営するイベントのスタッフもするようになり、ミュージシャンになるという夢が、世界に共通する映画制作者になるという夢へと変わりました。

バンドをやるために来たジョグジャカルタでしたが、ますます音楽からは遠ざかってしまいます。最後の活動はオリジナル楽曲のレコーディングで、これはエッキー・イマンジャヤ制作のドキュメンタリー作品のテーマソングとして使われました。これ以降、バンド活動は休止となり、メンバーもそれぞれ大学や活動などに集中していきます。

しかしずっと培ってきた音楽の技能は、映画業界で作曲家として活かされました。楽曲収録や編集などの技術を学び、サウンド関連で仕事をする傍ら、映像編集を学び始めます。

これらの仕事で得た報酬から学費を払い、一部は制作費として残しました。本気で一人前の監督になることを目指します。この頃、自身の作品制作のためのBosan Berisik Filmsというチームを立ち上げます(のちのMatta CinemaとBosan Berisik Lab)。4年監督業をこなした後、大学卒業、バンドからも正式に脱退して監督一本でやっていく決意をします。

ジャカルタへ移り、長編フィクション、TV映画、CMなどに携わる助監督の経験を積みます。2013年、かねてから付き合いのあったリザと結婚、再びジョグジャカルタに戻りました。

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