ウォノソボライフ(80):マルソノ先生を救え!~モンペ騒動~(神道有子)
〜『よりどりインドネシア』第178号(2024年11月23日発行)所収〜
突然ですが、11月20日は何の日でしょう?日本は秋も深まりいよいよ冬支度といった時期ですよね。その季節からは想像しにくいですが、実は『世界子供の日』なのです。こどもの日といえば、やはりゴールデンウィークの端午の節句、春の爽やかな青空を泳ぐ鯉のぼりのイメージが染み付いていますが、これは海外あるある、『◯◯の日』が日本と全然時期が違って面食らう、というやつです。
これは国連が定めた子どもの日ですが、もう一つ世界的な子どもの日があり、そちらは6月1日、『国際子どもの日』と呼ばれてます。とはいえ、インドネシアの場合はそのどちらでもありません。7月23日を子どもの日としています。催し物が行われたり、子どもの日としての報道があるのは7月23日ですが、11月20日も子どもの日としてSNSなどに関連する投稿をする人もいる、といったところでしょうか。たくさんあってややこしいですね。ちなみに父の日は11月12日、母の日は12月22日なので、やはり季節感が混乱してしまいます。
子どもの日は子どもの権利や福祉について思いを巡らせる目的のものですが、先月、子どもの人権を発端にした騒動がウォノソボで起きていました。
10月末のこと。突然こんな画像があちこちのSNSで拡散されるようになったのです。
「マルソノ先生への配慮を!教師への冤罪反対!」
「学校で先生に指導されたくないなら、あなたの子は自分で教育しなさい。」
「いじめ反対!」
一体何が起こったのでしょうか?
マルソノ先生は殴ったのか
マルソノ先生、通称ソン先生とはどこのどんな人物なのか。ハッシュタグ #justiceforpakson を辿ってみたところ、なんと私にとっては地元の話でした。ウォノソボのとある公立小学校の教師が、児童を叩いたとして警察に訴えられたというのです。
事件が起こったのは9月5日木曜日。体育教師であるマルソノ先生は、その日は3年生の児童を連れて県庁前の公園アルンアルンに移動中でした。このあたりでは、校庭が石畳であったり狭かったりすると、近くの公園や原っぱに移動して体育の授業を行うというのが通例です。特にアルンアルンは近隣の複数の学校が利用しており、ほぼ毎朝体操服を着た児童生徒を見かけます。
マルソノ先生と子どもたちがアルンアルン前の陸軍駐屯地まで来たとき、児童の1人が友達とボールの取り合いになり喧嘩が発生しました。車の往来がある場所でもあったため、それを注意したところ、周りの児童らが注目し騒ぎたてます。それに怒った件の児童Aは、友達に殴りかかろうとしました。そこでマルソノ先生は肩を引いてAを下がらせ、「友達に意地悪をするのなら、体育の授業に参加しなくていい、教室に戻りなさい。」と言います。Aはそのまま本当に教室に戻りました。マルソノ先生はAが戻ったことを担任の教師に連絡し、予定通り他の児童を連れて体育を行いました。
しかし翌日6日金曜日、とんでもない事態になります。Aがマルソノ先生に顔を叩かれたと訴えているとして、Aの保護者であるA夫人が学校に乗り込んできました。マルソノ先生にはそのような認識はありません。校長も交えた話し合いの場が設けられ、校長がAに尋ねると、「ここを叩かれた」と顔を指し示します。やった、やってないの水掛け論になりました。
A夫人の主張は主に2つだったと言います。まず、暴力を振るったことを認め、正式な書面に残すこと。そして、慰謝料あるいは損害賠償として70,000,000.ルピアの支払いをすることでした。
7千万ルピアといえば、日本円にして約70万円。ウォノソボの最低賃金が月々約2万円ほどなので、どれほどの金額かお分かりいただけるかと思います。この7千万ルピアに関しては、「それだけの損害があった」という理由でした。仕事を休んで学校に来なければいけなかった分の損害という意味なのか、もしくは精神的な負担を被ったという意味であるのかはわかりません。いずれにしろ、マルソノ先生はこれを拒否しました。支払うだけのお金もなかったし、第一そのような罰を受けることはしていないという確信もあったからだといいます。
マルソノ先生は、A夫人に「他の児童たちにも聞いてみてほしい、皆何が起こったかを見ていたから」と教室に行くよう提案もしました。しかし、A夫人は「どうせもう口裏を合わせるよう言いくるめられているだろうから意味がない、必要ない」と拒否します。
埒があかなくなったマルソノ先生は、「もう私にできることはありません、もし次の(法的な)プロセスに進むつもりであれば、どうぞそうして下さい。」と言いました。
さらに、翌日の7日土曜日、実際にA夫人は警察に「被害を受けた」と届出をしました。
続く冤罪事件、炎上
マルソノ先生は3度取り調べを受け、さらにAの同級生の児童たちも何人か警察署に呼ばれて聴取を受けました。しかし、警察はマルソノ先生が暴力を振るったという証拠を見つけられません。
7千万ルピアの慰謝料は3千万に値下げされたようですが、やはりマルソノ先生は払えません。
被害届が出されてからひと月以上経った10月末、インターネット上に突如冒頭の画像が拡散されました。それまでは近しい人たちだけが知る問題だったものが、一気に広くウォノソボ内外へと広められたのです。
この画像に関して、誰が作ったのか、どこから発信されたものなのかは判明していません。しかし、「教師が冤罪を仕立て上げられた」という筋立てに、ネット民は敏感な反応を見せました。それというのも、少し前にも似たような事件が起こっていたからです。
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