ウォノソボライフ(82):なぜゴミは減らないか~ゴミ観と自然観~(神道有子)
〜『よりどりインドネシア』第182号(2025年1月23日発行)所収〜
土曜の夕方になると、RT(Rukung Tetangga: 隣人会、村のなかの最小の行政区分)のグループチャットに、RT長からお知らせが入ります。
「明日の朝の奉仕活動は第三班です。南から開始します。寄付金の回収は○○さんと△△さんです。よろしくお願いします。」といった内容です。
奉仕活動とは地域清掃のことで、毎週日曜の朝6時か7時から始まります。私の住む村の場合は村の中には5つのRTがあり、一つのRTは約数十世帯で構成されています。そのRTをさらに数個の班に分け、毎週の清掃を当番制でこなしているのです。
この活動は2~3年前からルーチン化しました。それ以前は、美観コンテストだとか村の祭りなどのイベントごとが近くなったときだけ行なっていたものを、毎週の活動にしようとなったのです。理由としては、雑草や灌木の伸びや繁茂の勢いがすごく、年に何回かの清掃では伸び放題のそれらを整えるのにかなりの時間と労働力を要したからです。定期的にやれば、一度の仕事量は少しで済みます。実際、ルーチン化してからは、村祭りの前の清掃はごく簡単なもので充分になりました。
私は毎回、大きいビニール袋を持参して主にプラスチックや瓶などのゴミを集めているのですが、どれだけ綺麗にできたと思っても翌週にはまたゴミが落ちています。主にお菓子の包装ゴミで、特に子どもたちはポイ捨てが習慣化しているのでさもありなん、です。次の当番のときにはやはり袋がパンパンになるくらいの量を拾えます。
インドネシアが深刻なゴミ問題を抱えていることは、よく知られている通りです。これまで暮らしのなかでゴミがどう扱われてきたのか、どういう変化があったのか、一村落の視点から見えたものを考えていきたいと思います。
キャパオーバーの処分場
ウォノソボには約2.9ヘクタールのゴミ最終処分場があります。ウォノソボから隣県バンジャルヌガラ方面へ抜ける幹線道路を逸れて少し行くと、109万3,000立方メートルのキャパシティを持つ最終処分場が見えてきます。なだらかな斜面の下にゴミがうず高く積み上げられたその場所は、しかしもうすぐ満杯になるということで生活環境局は危機感を募らせています。
元々は近隣の街からのゴミのみを引き受けていましたが、今はウォノソボ全域の110を超える村からゴミが運ばれてきています。その量は1日に120トン以上、この3年は特に増える一方です。
ゴミの積み上げは地表から30メートルまでと決められていますが、すでに50メートルを超えてしまっています。昨年にはその一部が崩れ、近隣の畑に被害を出してしまいました。悪臭や土壌汚染も問題視されています。
県が主流観光地としてプロモーションしているディエン高原からは、週に3~4トンのゴミが出ています。観光地とゴミは切っても切り離せません。呼び込むだけでなく、当然多量に発生するゴミをどうすべきなのか、開発と並行して考えていかねばならないでしょう。
生活環境局は、処分場に運ぶのはノンオーガニックのゴミのみにして、生ゴミは各村で処分してほしい、と呼びかけています。が、分別をする習慣やシステムがなかなか根付かず、難しいようです。
県は、3R(リデュース、リユース、リサイクル)を実現できるリサイクルセンターを各村に作るという方針を打ち出しました。
すでにいくつかの村では実施され、最終処分場に頼ることなく、地域のなかでゴミの再利用と処分が可能になっている村もあります。
肝となるのは、行政と住民が合意のもとで協力をしていく姿勢だと、生活環境局局長のエンダン女史は発信しています。ゴミ処理前の分別をしっかりと行わない限り、3R実現のステップへは進めません。
最終処分場の近くにはゴミ銀行があります。ゴミ銀行とは、ゴミを持ち込むと種類と量に見合った分の金額を専用の通帳に記載してもらえる場所です。このゴミ銀行は土曜日のみ開かれています。ヤクルトのゴミ収集コンテストや廃品を利用しての工芸品作りといったイベントも行っており、ゴミ分別の意識を広めています。
ゴミ収集車が存在する前の状況
さて、以上は県全体での状況です。一方、私の住む村では長いこと、「ゴミは自宅で処理するもの」でした。ゴミを定期的に集めて村の外へ持っていくようになったのはこの5~6年の話。それまでは、あらゆるゴミが自力で処理されていました。
想像できるでしょうか。毎日毎日、自宅で出るゴミを焚き火で処理するのです。カマドのある家では、カマドがミニ焼却場にもなっていました。紙、段ボール、ビニール、ペットボトルなど、薄くてすぐ燃えてしまうものはまだ簡単なほうなのですが、シャンプーのボトルや壊れた子供のおもちゃなどはなかなか焼けず、厄介です。
金属やガラスは処理できないため、谷底に投げ捨てていました。濡れていて焼くのが面倒くさいものも谷底です。食べ物の包みや生ゴミなどは側溝に捨てます。雨が降れば流れていってなくなるので「綺麗」になるのです。
ゴミの分別も大変ですが、自力での処理も大変なものでした。そもそも、元は今ほどの量のゴミが出なかったのです。
40~50年ほど前まで、生活の中で出るゴミはほとんどが生ゴミだったようです。モノがない時代で、ビニール袋すら滅多に手に入らない珍品でした。食べ物の包みはバナナの葉、ヒモは竹ひご、周辺は森であるため、ポイ捨てしても自然に還ります。気候から腐敗も早いのです。
そうした習慣のところに、現代の便利さ清潔さを追求したプラスチック製品、ビニール製品が大量に入ってくる時代になりました。生ゴミとそれらは区別されることなく同列に扱われます。プラゴミは自然分解されないということは想像しにくかったことでしょう。ゴミ自体の量が増えたこと、種類がより複雑になったこと。それらが状況を変えていきましたが、それでも行政がサポートしない以上、相変わらず自分たちで処理するしかありませんでした。
村がゴミ収集業者と契約を結び、処分場へ運んでもらうようになったのは収集車を確保できたからですが、そうでなければ労力や環境への負担は年々増していたでしょう。
今は週に2回、朝のうちに家の前に出しておけば持っていってくれます。もっとも、分別はまだ行われておりません。
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