いんどねしあ風土記(60):ジャワ原人と巨大ゾウ、村人たちが育んだ太古ロマン~中ジャワ州クドゥス~(横山裕一)
〜『よりどりインドネシア』第181号(2025年1月9日発行)所収〜
人類の進化史を知る上で重要なジャワ原人とみられる化石をはじめ、現代のゾウの2倍近くもある巨大な古代ゾウなどの大量な化石が発見され、近年注目されている遺跡が中ジャワ州北海岸の丘陵地にある。特に巨大ゾウの化石は完形に近い状態で続々と見つかっていて、約100万年前のジャワ島の人類史、生態系だけでなく、地理的にスペクタクルな変化をも物語っている。これらが明らかになった背景には、地元住民たちの太古探究にかける熱意が大きく寄与している。太古ロマンと村人たちの物語。
注目集めるパティアヤム遺跡
大量の化石が発見されたのはパティアヤム(Patiayam)遺跡で、中ジャワ州クドゥスの外れにあるパティアヤム山(標高350メートル)周辺に広がる丘陵地に位置する。なだらかな起伏の多い丘陵地には、斜面を覆い尽くすようにトウモロコシ畑が広がっている。丘陵地に風が吹くと、トウモロコシの穂先が揺れて一斉に波立つ光景が印象的だ。丘陵地一帯は約500万年前以降の地層が確認されていて、原人や動物の化石は主に約160万年から50万年前の地層(地質時代区分では第四紀・更新世)から大量に出土している。
最初にパティアヤム遺跡で化石を発見したのはオランダ植民地時代の1857年、ドイツの地質学者フランツ・ヴィルヘルム・ユンフンとインドネシア近代芸術のパイオニアともいわれる画家のラデン・サレで、化石を何点か収集したといわれている。その後、19世紀末から20世紀初頭にかけても調査が行われたが、本格的な学術調査はインドネシア独立後の1970年代後半から1980年代にかけて実施された。
この本格調査で1978年、パティアヤム遺跡では初めて人類の骨の化石が発見される。化石は4つに割れた頭蓋骨の一部と歯が一点だった。世界的にも有名なジャワ原人は中ジャワ州の内陸部にあるサンギラン遺跡などから見つかっていて、日本も含めた国際共同研究の最新の年代測定結果では最も古くて約130万年前のものだとされている。パティアヤム遺跡の化石もほぼ同時期の地層から発見されたことや特徴などからジャワ原人である可能性が高いことがわかっている。
人類の化石以外に、哺乳類、特に古代ゾウの化石が大量に見つかっているのがパティアヤム遺跡の特徴だ。ゾウの化石は主にステゴドンと呼ばれる巨大ゾウと現代のアジアゾウの祖先といわれるエレファスの二種類。ステゴドンは約150万年前から75万年前にいたとされ、化石から体高は6~7メートル、体長も9~12メートルにも及ぶ、現代のアジアゾウと比べても2倍近い大きさのゾウだ。長い象牙も特徴で、3メートル近いものもある。ステゴドンはその後進化することなく滅んでいる。巨大すぎる故滅んだのではないかともみられている。もう一種類のエレファスはステゴドンとは別系統の古代ゾウで、50万年前から30万年前に生息したとされていている。
パティアヤム遺跡は近年特に注目を集めている。それは他の遺跡とは異なり、古代ゾウの化石が完全骨格に近い状態で発見される例が相次いでいるためだ。パティアヤム遺跡で特に化石が多く発見されているトゥルバン村には、集落の外れにある丘の中腹斜面に建物が設けられている。これは2006年に出土した巨大ゾウ、ステゴドンの化石を出土した状態のまま保存するために建てられたものだ。このステゴドンの化石は約80%完全な骨格状態で発見されている。建物はガラス張りで一般に見学でき、土中から大きな骨の化石の一部が露出している様子を確認できる。
パティアヤム遺跡の特異性である、化石がほぼ完全な骨格の状態で頻繁に出土する大きな理由としては、遺跡を含めた丘陵地地域の地理的特性と歴史的な変化が挙げられる。遺跡がある中ジャワ州クドゥスは付近の中核都市ジュパラやドゥマックなどとともにジャワ島北海岸の半島部に位置しているが、かつて17世紀ごろまではこの半島部分はジャワ島とは狭い海峡を隔てた単独の島だった。島は中央部に活火山だった標高1600メートル余りのムリア山を抱える火山島で、17世紀頃ムリア山の大噴火による溶岩流や火山灰で海峡が埋め尽くされ、ジャワ島と陸続きになったという。この大噴火以前に海峡を船で航行したという記録が当時のオランダ東インド会社の記録にもあるという。
パティアヤム遺跡のあるクドゥスもかつてはこの島の一部で、太古に生息していた巨大ゾウ、ステゴドンなどの哺乳類も当時の大噴火で一気に大量な火山灰などに覆われたため、現代において完全に近い骨格状態で化石が見つかるのだと推測されている。化石が発見された地層は火山灰層であることからもムリア山、あるいはムリア山に連なるパティアヤム山の噴火があったことが裏付けられている。
一方。ジャワ原人が最初に発見された中ジャワ州の内陸部でも原人以外に古代ゾウの化石も見つかっているが、近くにあるソロ川の氾濫など外的要因により当時の遺骸の一部が流されるなどしたため、パティアヤム遺跡のように完全形な骨格化石が見つからないのだとみられている。
単独の島という限られた地域で火山と隣接して生息していた古代ゾウは度重なる大噴火の難から逃れることができなかった。それが百万年、数十万年のちに化石として再度その姿の全容を表すに至った。これは考古学、古生物学者らにとって貴重な資料ではあるが、それ以上に注目、期待されているのが、まだ未発見ではあるが、パティアヤム遺跡の特性上、ジャワ原人の完全骨格の化石が発見される可能性が高いことである。
現代の人類、ホモサピエンスはアフリカに起源を発して世界に拡散したという説が有力で、ジャワ原人は北京原人などとともにホモ・エレクトゥスの亜種(ホモ・エレクトゥス・エレクトゥス)であり、現代人とは直接結びつきはなく滅んだというのが定説である。しかし人類史を明らかにする上で、ジャワ原人の完全な骨格化石が見つかれば、猿人と現代人との間を埋める原人の研究が大いに進むことが期待される。
それだけにパティアヤム遺跡で古代ゾウの完形に近い化石が発見されるたびに、研究者の注目度も増している。2005年以降、同遺跡ではジョグジャカルタ考古学研究所やサンギラン古代人遺跡保護研究所が発掘・研究を続けてきたが、2025年からはいよいよ政府直下の国家研究イノベーション庁(BRIN)が主体となって発掘・研究を進めることが決まっている。パティアヤム遺跡の重要度、価値が高まっていることが反映しているといえそうだ。
化石は語る~パティアヤム太古遺跡博物館
パティアヤム遺跡の出土化石はクドゥス県トゥルバン村にあるパティアヤム太古遺跡博物館に展示されている。博物館は象牙を模した門のあるトゥルバン村の入口を抜けて数百メートル進むとあり、巨大な古代ゾウ、ステゴドンの再現模型が出迎える。
博物館には1万点余りの化石が所蔵され、このうち約200点が一般公開されている。展示化石は陸上哺乳類、両生類、海洋生物など多種類あるが、中心は豊富な出土量を反映した古代ゾウの化石で、館内入口にある2メートル以上の古代ゾウ、ステゴドンの牙が象徴的だ。ステゴドンの骨格標本のレプリカもあり、ステゴドンの牙がいかに体格に比してアンバランスなほど長かったかがわかる。このレプリカは高さ2メートル以上だが館内のスペースに合わせて制作されたもので、モデルにした実際の化石の大きさはレプリカの2倍以上だという。
古代ゾウ以外にもサイ、トラ、カバ、水牛、イノシシといった多種類の哺乳類の化石があり、当時の環境が現代でいえばアフリカのサバンナのような世界が広がっていたことを思い起こさせる。湖沼にはカバとともにワニなど両生類も生息していた。
注目されるのが、サメやウミガメ、カニ、貝類といった海洋生物の化石も多量に見つかっていることだ。これはかつてパティアヤム遺跡がジャワ島と海で隔てた島だったことを裏付けている。研究者らによると太古以来、島にあるムリア山とパティアヤム山の定期的な大規模噴火に伴う溶岩流によって、島とジャワ島を隔てた海峡は時に狭められ水深が浅くなったことで、大型哺乳類がジャワ島と島を往来していた可能性も高いという。
そして、こうした環境下でジャワ原人も生活していた。人類史としては旧石器時代。石斧や動物の骨を加工した地面を掘り起こす道具、狩猟時に武器として使用されたとみられる石球などが出土している。これらの道具は原始的な生活形態を彷彿とさせる。
こうした当時の環境、動物の生態を再構築できるのも、パティアヤム遺跡が状態の良い化石を豊富に出土させる類稀な遺跡であることを改めて認識させる。同博物館のコーディネーター、ジャミンさんによると、遺跡の持つポテンシャル、評価が高まっているだけに、州や国からの援助で博物館をより充実した施設にして、出土品の活用とともに、研究成果が上がることを願っていると話す。
地元出身のジャミンさんは博物館コーディネーターとして、発掘調査時には考古学者ら調査隊の案内や地元との調整、発掘を行う一方で、博物館2階の研究室で出土品の洗浄や復元、保存も行っている。研究室には修復中のステゴドンの長い牙の化石や大きな骨盤化石が机に置かれている。保存庫も簡素ながら棚や床に夥しい化石が並べられ、出土品の多さを窺わせる。保存庫の片隅にあった包みからジャミンさんが白く小さな塊を掌の上に乗せて、見せてくれた。
「もっとも最近、2022年に見つかった、ジャワ原人の歯の化石です」
パティアヤム遺跡から出土したジャワ原人の化石は3例ある。最初に発見された1978年の頭蓋骨の一部と歯、2017年の大腿骨、そしてこの歯だ。古代ゾウに比べると出土頻度は極端に低いが、遺跡発掘調査の最大の目標はやはりジャワ原人の完全骨格化石を見つけることだという。しかし人類史研究以外に、地元住民でもあるジャミンさんにはもう一つの理由があった。
「地元住民にとって、原人の化石は我々の先祖でもあります。だから大切に扱い、保存しなければならないのです」
学術的にはジャワ原人は現代人とは直接関係ないとはされているが、数十万年から百万年前、パティアヤム丘陵地に生まれ生活したジャワ原人は、ジャミンさんら地元住民にとっては同じ土地の先祖でもあるということのようだ。
ジャミンさんによると、この地域には古くから「先祖に関するものを大切にすれば、幸運が訪れる」という教訓も込められた言い伝えがあるという。実はこうした地元住民の想いが博物館建設、そしてパティアヤム遺跡の重要度、研究意義を高めるのに大いに貢献していた。
ここから先は
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?