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[2024/07/07] インドネシア本乱読精読耽読 第2回『インドネシア-世界最大のイスラームの国』加藤久典・著 ちくま新書 2021年8月10日初版 本体920円+税(轟英明)

~『よりどりインドネシア』第169号(2024年7月7日発行)所収~

(筑摩書房HPより引用)

前回の反省から

前回に引き続き、今回もインドネシアのイスラームについての本を紹介したいと思います。なお、前回は新連載にもかかわらず、いきなり学術的専門書を紹介するという暴挙(?)に出てしまい、我ながら趣味に走り過ぎたと脱稿してからひとしきり反省しました。

茅根由佳さんの『インドネシア政治とイスラーム主義 ひとつの現代史』は、なるほど、インドネシアのイスラーム思想の変遷を概観できる素晴らしい本ですが、インドネシアについて基礎知識のある人でもややハードルの高い内容であり、言うなれば上級者向けです。早い話、人名や組織名等の固有名詞の多さに途中でギブアップする人がいても不思議ではなく、新連載初回から紹介する本としては不適切だったかもと反省した次第です。自分の手元にたまたまあった本を全然深く考えずにただ紹介した軽率さを、今さらながらですが、ここに懺悔したいと思います。

というわけで、前回の反省に基づき、今回は初心者向けで入手も容易な新書として、加藤久典さんの『インドネシア-世界最大のイスラームの国』を紹介したいと思います。お値段もお手頃な上に、インドネシアのイスラーム諸団体とその指導者たちの思想をこの一冊で概観できる本です。

「イスラーム社会」と「ムスリム社会」

本書は、21世紀半ばには「大国」となることが確実視されているインドネシアという国を、インドネシア国民の大多数が信仰するイスラームを軸に理解しようとする、ある日本人地域研究者の試みです。同時に、いまだ多くの日本人にとっては距離を感じるイスラームとは一体何なのか、世界の国々の中でムスリム人口の最も多いインドネシア社会においてイスラームがどのような役割を果たしているのか、できる限り平易な言葉で読者に伝えようとしている入門書でもあります。

著者が「はじめに」で書いているとおり、硬軟両方のムスリムの実際の声を同時に記録し、伝えようとしているのが本書の大きな特徴であり、300ページに満たない新書でありながらも扱っている範囲はかなり広いです。とりわけ、本書を貫くキーワードとして度々言及されるのが、「イスラーム社会」と「ムスリム社会」の相違です。

この二つの用語を定義したイスラーム研究者の片倉もとこさんによれば、教典に書かれた通りに実践しようとする者たちが目指すのが「イスラーム社会」、自分たちの置かれている様々な状況に応じてイスラームを柔軟性をもって実践していこうとする者が生きる社会が「ムスリム社会」とのことです。イスラームを想像力をもって正しく理解することとは、この両者を見極め、イスラーム全体を理解するということに他ならない、そのように著者は主張します。

私の理解では、「イスラーム社会」とはイスラームの教えを徹底的に正しく実践した上で実現される「理想」です。一方で「ムスリム社会」とは、そうは言っても、自らの慣習や周りの環境に合わせてイスラームをある程度実践する「現実」、というものです。非常に大雑把に別の言葉で言い表すなら、前者はイスラームの教えと価値観を最優先する人たちが目指している理想の社会であり、後者はイスラームの教えと価値観を尊重はするが実生活では柔軟に対応する人たちが生きている現実の社会、といったところでしょうか。

インドネシアのイスラーム全体を理解するための方法論として、「イスラーム社会」と「ムスリム社会」という概念を使用するやり方に私は賛同します。この二者が時に衝突し、時に交互に混ざり合い、社会の中にグラデーションが存在するのがインドネシアの特徴だと思うからです。インドネシアのイスラームのダイナミズムをより正確に理解する上でも有効な概念ではないかと思うのです。

日本語のSNS空間では「インドネシアのイスラームは過激化している!テロリストが跋扈している!」というイスラーム脅威論が語られることがあります。逆に「インドネシアのムスリムはユルい、それが証拠に酒を飲む人がいるし1日5回の礼拝もマジメにやらない」という言説が現地在住者の間で語られることもあります。

ともに一面の真実ではあるのですが、どうも意見が両極端に振れやすく、インドネシアのイスラームに対するより正しい理解が妨げられているような気がしてなりません。もっとも、私がこのように感じるのは、インドネシアにおいてイスラームをより厳格に実践していると見なされているアチェ出身の女性を妻とする私自身の境遇とも無縁ではないのかもしれませんが。

破格の大統領グス・ドゥルからゴリゴリの教条主義者アブ・バカル・バアシルまで

本書の章立て構成は、次の通りです。

序章  地球の縮図-多様性の国インドネシア
第1章 多文化主義への道-5つの建国理念
第2章 土着文明とイスラーム-反原発運動と信仰
第3章 スハルト政権興亡史-独裁者とムスリムたち
第4章 教義と実践の狭間で-ムスリムたちの実情
第5章 終わらない対立-教条主義と自由主義
第6章 テロリズムと対峙する大国-「イスラーム国」の登場
終章  ムスリムと家族になれるのか-宗教的寛容性を考える

本書は、序章と第1章でインドネシア社会の多様性と建国五原則(パンチャシラ)が語られます。第2章では土着文明としてのジャワ文明がイスラームとどのような関係性を歴史的に形成し、現在の最先端技術の塊である原子力発電所にイスラームがどのような認識を持っているのか、土着の知恵はどう活かされたのか、実例が述べられます。第3章では独裁体制であったスハルト政権下においてイスラーム指導者らがどのように振舞ったか、前回取り上げた『インドネシア政治とイスラーム主義 ひとつの現代史』と重なる内容が、とりわけ1998年5月暴動前後でのアミン・ライス(Amien Rais)とアブドゥルラフマン・ワヒド(通称:グス・ドゥル)(Abdurrahman Wahid: Gus Dur)の対照的な態度が描かれています。

続く第4章と第5章では、インドネシアのムスリムの様々な実情が、聖者崇拝からトランスジェンダーのイスラーム学校まで、あるいは自由主義を唱える異色のイスラーム学者ウリル・アブシャー・アブダラ(Ulil Abshar Abdalla)からテロ容疑で実刑判決を受け収監されたイスラーム指導者アブ・バカル・バアシル(Abu Bakar Ba’asir)まで、実に豊富な実例と具体的な記述で語られます。先述のグス・ドゥルが日本での講演において「私の親友は共産主義者です」と述べたくだりや、教条主義者の代表格アブ・バカル・バアシルを日本の「頑固おやじ」に比しながらも他者に対する敬意と思慮をもつ人間と評価するなど、興味深いエピソードが満載です。

第6章ではイスラームとテロリズムの関係、とくにイスラーム国(IS)がインドネシア社会に与えた波紋、フランスでのシャルリ・エビド襲撃事件から得られる教訓を、他の章以上に著者自身の強い言葉で語っています。

終章では、2017年のジャカルタ州知事選挙で当時現職だったバスキ・チャハヤ・プルナマ(通称:アホック)(Baski Tjahaja Purnama: Ahok)が自らの失言により落選しさらに宗教侮辱罪で収監された事件や、インドネシア独自のイスラーム受容を肯定するイスラーム・ヌサンタラ運動のあり方から、インドネシア人ムスリムの寛容性について著者の考えが述べられています。そしてあとがきでは、総じてインドネシアの未来に対して著者が楽観的であること、我々日本人がインドネシアから学ぶべきものを提示して本書を締めくくっています。

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