「光る君へ」メモリアル~紫式部をめぐる相聞歌(第7回)
この連載は大河ドラマ「光る君へ」を振り返り、紫式部をめぐる古典和歌での相聞歌を創作することによって、ドラマの魅力と古典和歌の奥深さを新たに発見しようとする試みです。
「光る君へ」では、さすが平安文学大河にふさわしく、演出の一環として和歌が効果的に用いられていました。和歌がその時々の登場人物の想いや感情、行動をより印象深く私達に受けとめさせる一助となっていたのです。実に素晴らしい演出で、僕はドラマ内の和歌によって、より一層登場人物の心に寄り添うことが出来て何度も感動したものでした。
引用された和歌の出典は、万葉集、古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集、後拾遺和歌集、新古今和歌集、紫式部集、赤染衛門集、和泉式部集、百人一首、源氏物語、蜻蛉日記、枕草紙、紫式部日記、栄花物語、その他まだあります。それこそ古典文学の精髄のオンパレードでした。
さて僕の「光る君へ~まひろ(紫式部)をめぐる相聞歌」も7回目となりました。これは「光る君へ」で感動した場面、印象に残った場面を振り返ってみて、その時の登場人物の心の動きや行動、ふるまいに寄り添い、登場人物に成り代わって和歌を詠んでみようという試みです。和歌は既成のものではなく、僕オリジナルの古典和歌で詠んでおります。
「光る君へ」は和歌を詠む題材として、僕に多くのインスピレーションを与えてくれました。番組はすでに終わってしまいましたので、周回遅れとはな
ってしまいますが、「光る君へ」の全ての回はカバー出来ないとしましても、これからも時々この「光る君へ~まひろ(紫式部)をめぐる相聞歌」をこのnoteの場にアップしていきたいと思っております。
一般の方々には古典和歌というものはなかなか分かりづらいものですので、現代語訳、古典文法解説、古語の語釈の説明も適宜加えるようにしていきたいと思ってます。
この僕のnoteを読まれる方が、よりいっそう古典和歌、古語というものに興味を持って下さるならばとてもうれしく思います。
さてさて、「光る君へ」第7話で道長は、学びの友である藤原斉信、藤原公任、藤原行成との4名でチームを組んで打毬の試合に出ることになりました。
打毬は、イギリスの馬術競技の「ポロ」の原型となった競技で、ペルシャを起源とし、奈良時代にはすでに日本には伝わっていました。
斉信は倫子の和歌の集いの姫君たちに加えて、先だって道長の長兄藤原道隆邸で行われた漢詩の会で出会って気になっていたききょう(清少納言)にも試合への招待状を出していました。
まひろは倫子の和歌の集いのメンバーとはいっても高貴な身分ではなく、まったく斉信の眼中にはない存在だったのですが、ききょうに気がある斉信はその気持ちをカモフラージュするために、同じくききょうと漢詩の会に出席していたまひろも招待することにしていたのです。
道長への想いを断ち切りたいまひろは、競技を観に行きたくはなかったのですが、和歌の会の姫君たちに強く誘われて出席することにしたのでした。
試合の当日、まひろはききょうが来ていることに驚いたのですが、さらに驚いたことは道長たちのチームに散楽師の直秀が加わっているということでした。
実は行成が急な腹痛で試合に出られなくなり、道長が急きょ直秀を自分の腹違いの弟ということにして呼び寄せたのです。
打毬競技に姫君たちは歓声を上げます。そして道長の雄姿に倫子は心をときめかすのでした。
まひろは道長と目を合わさないように、倫子の飼い猫の小麻呂をあやし続けているのですが、それでもやはり道長の活躍ぶりに思わず胸がときめくのでした。
試合は道長たちの勝利で終わりました。すると雨が降り出しました。かなり強めの雨です。突然の雨に驚いて猫の小麻呂が逃げ出しました。
まひろが後を追います。
探すうちに猫がとある建物の中に入っていくのが見えました。この建物は道長たちの控え所なのですが、そうとは知らずまひろも建物に入ります。
すると道長たち一行の声が聞こえて来て、彼らはまひろのいる部屋の隣の部屋に入りました。
そして部屋では公任と斉信が着替えをしながら、声高に姫たちを好き勝手に品定めする声が聞こえてきます。
二人はまひろのことを(二人は漢詩の会でもまひろに会っています)身分が取るに足らないほど低いうえに、地味でつまらない女だと評します。そして女性は家柄が大事だと語りあうのでした。
聞くに堪えずにまひろは表に飛び出し、雨に濡れながら走り去りました。
家に帰ったまひろはその夜、道長からの文を焼き捨てたのでした。
そしてこの時のことを後年まひろと道長が思い返して歌を詠みかわしたとするならば、こんな感じになるのではないでしょうか。
黒髪の乱る雨にぞ身を知りて いくすぢごとに歌とせまほし
まひろ(紫式部)
雨に濡れて髪も乱れてしまう中
私の身の程を思い知りました
心が乱れる……
その気持ちはこの乱れ髪の一本一本に
いくらでも託したいと思えるほどだったのです
すぢごとに心ありぬる君なれば かきやるごとにあはれとぞ思ふ
藤原道長
君の髪の毛一本一本にも
趣を感じてしまう僕だから
君のその黒髪をかき撫でるごとに
なんか胸がいっぱいになったんだよ
(歌のことでは、詠む歌ひとつひとつに)
(心のある想いを込める君だから)
(君が歌を詠むごとに)
(僕は胸がいっぱいになるんだ)
ここでは上の歌の訳が表向きの現代語訳ですが、同時に下の()内の訳の意味も隠れています。
かきやる~「掻きやる」と「書きやる」の掛詞になっています。
「掻きやる」の主語は道長、「書きやる」の主語はまひろになっ
ています。ちょっと分かりにくいですかね。
まずはまひろの歌ですが、これにはこの待賢門院堀河の歌を響かせています。
長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝はものをこそ思へ
百人一首80番 千載集 恋三 待賢門院堀河
(昨夜契りを結んだ)あなたは、末永く心変わりはしないとおっしゃいましたが、どこまでが本心か心をはかりかねて、お別れした今朝はこの黒髪のように心乱れて、いろいろ物思いにふけってしまうのです。
そして身を知る雨(自分の身の程を知る雨)ということでは、在原業平の歌を響かせています。
かずかずに 思ひ思はず 問ひがたみ 身を知る雨は 降りぞまされる
古今集 恋四 伊勢物語 107段 在原業平
私のこと好き?それとも嫌い? 聞きたいけど聞けない
雨はますます降ってきて 自分の身が知れてくる……
問ひがたみ~ク活用の形容詞(ここでは「難し」)の語幹に付いて原因・理由を示す。…ので。…から。 ⇒ 問い難いので。
そして雨に思い乱れるということでは、凡河内躬恒や和泉式部の歌が響いています。
五月雨に乱れそめにし我なれば 人を恋路に濡れぬべらなり
凡河内躬恒集 凡河内躬恒
五月雨のように、あなたへの思いに乱れ始めた私は、小泥ならぬ恋路にはまってずぶ濡れです
おほかたにさみだるるとや思ふらむ 君恋ひわたる今日のながめを
和泉式部日記 和泉式部
あなたはこの雨を
普通と変わらない五月雨だと思っているのでしょうか
あなたを想う私の恋の涙であるこの雨を
ながめ(もの思いにふけりながら(長い間ぼんやり見ること) ⇔ 長雨
凡河内躬恒と和泉式部の歌では「五月雨」と「乱れ」を掛詞にしています。これは和歌ではよく使われる技法ですので、掛詞にしなくても「雨」に「乱る思ひ」は通じているものと考えまして、まひろの歌を詠みました。
黒髪のさみだるるにぞ身を知りて いくすぢごとに歌とせまほし
黒髪の乱る雨にぞ ⇒ 黒髪のさみだるるにぞ
まあ、このように歌っても良かったのですが……
そして道長に歌にも、和泉式部の歌を響かせています。
黒髪のみだれもしらずうち臥ふせば まづかきやりし人ぞ恋しき
後拾遺和歌集 恋三 和泉式部
黒髪の乱れにも気づかずに横たわっていると
この髪をかき撫でてくれた人
その人が恋しくて仕方なくなるのです
道長の歌の「すぢ」の意味ですが、「すぢ」には(毛筋、趣向、作風、手法、方面、分野、それに関係あること、その分野)という意味があります。ですので「すぢ」はまひろの髪の毛を指すだけではなく、(まひろの歌の方面、分野)ということも重ねて表しているのです。
ですから()内の歌の解釈も成り立つわけなのです。
いかがでしたでしょうか。
和歌が多重的に意味を重なり合わせるさまがおわかりいただけたのではないでしょうか。