見出し画像

苦い真実は甘い嘘に勝る──「手焼珈琲RODAN」を訪ねて。

長く暮らしていた広島から郷里の松山へと戻った際、なんとなく感じていたことがある。こちらの味付けはなんだかやたらと甘いのだ。たとえば、松山人のソウルフードというわけではないけれど、誰もが口にしたことがある鍋焼きうどん。老舗の「アサヒ」か「ことり」かというのは夫婦の間でも好みがわかれるほどで、アルマイト製の小ぶりな鍋で供されるうどんは、いりこと昆布でとった甘めの出汁がぐいぐいと主張してくる。より甘い(松山らしい)ということでは「アサヒ」のほうに軍配が上がるのだけれど、うどんと一緒に甘く煮込まれた肉は、ちょっとしたスイーツと言ってもいいほどだ。瓢系と呼ばれる松山のラーメンも甘い。甘いラーメン?なんて思うだろうけど、これまたクセになる味わいなのである。日常的に飲むお味噌汁も甘い。昔ながらの食堂で定食を頼むと付いてくる味噌汁にはほんのり甘い麦味噌が使われているし、一般家庭でも同様だ。これらに共通するのは嫌な甘さではなくて、どちらかというともてなされている感じが強い。お接待文化が根付いている松山だからこその味なのかもしれない。

深煎り珈琲は苦いのか?

松山においても食後の飲み物として珈琲を口にする人は多い。
昨今の主流といえば、シングルオリジン(単一品種)を使用したスペシャルティコーヒーであり、豆が持つ酸味を積極的に評価しようという動きになっている。酸味は生豆なままめを煎りすぎない“浅煎り”の方が表現しやすい。ところが、主流のはずの“浅煎り”が松山ではウケないのだ。「酸っぱい」「味が薄い」などということから数種類の豆をブレンドし、かつ、深く焙煎する“深煎り”の珈琲が好まれる傾向にある。これはぼくの持論でもあるのだけれど、甘いものを口にすると飲みたくなるのはフルーティーさが特徴の浅煎りではなく、深煎りで濃く淹れられた珈琲の方だ。甘くなった口中をどっしりとした味でリセットする。だからこその深煎りなのだ。珈琲豆の焙煎は時間をかけて煎るほどに黒くなっていく。最終的に行き着くところはは炭なので、深煎りの豆は「苦い」と思われている方も結構見受けられる。果たして、深煎り珈琲は苦いのだろうか──?

穴蔵のような焙煎室

松山市駅から徒歩で10分ほどのところに位置する柳井町商店街。通りの一角で「rodan caffé」を看板に掲げる西口輝彦さんは、松山では名の知れたコーヒーロースター(焙煎人)だ。皆、親しみを込めてテルさんと呼ぶ。珈琲の抽出は「布ドリップ」とも呼ばれるネルドリップ方式で、トロッとした口当たりが滑らかな珈琲を淹れられている。味は濃い。もちろん使うのは毎日自家焙煎されている深煎りの豆だ。焙煎は、松山市のお隣の伊予市で自宅兼豆売りスペースを設けている「RODAN」にておこなっているとのことで、まずはそちらを訪ねることにした。

案内されたのは1Fの鰻の寝床かと思しき奥に長いスペース。まるで穴蔵だ。朝の早い時間帯に焙煎を終えた後の室内は思ってた感じとかなり違っていた。なによりも焙煎室の主役である巨大な焙煎機がドーンと鎮座している様子を頭に描いていると肩透かしを食うことは間違いない。ショップカードに「手焼珈琲 RODAN」とあるように、テルさんは、焙煎を始められた31年前からずっとその手で豆を焼いているのであった。
「最初は100gの豆が入る土鍋でスタートして、次は焙烙ほうろく、それから手編みで500gの豆を振ってたんですよね。その次がフジローヤルの(ガス火に乗せて使う)1kgの豆が焼ける手回し焙煎機を使うようになって。でもね、だんだんと豆が売れてきて一日に20~30回とか焼くようになって追いつかなくなったので、もう少し大きなのが欲しいなあということで最終的に行き着いたのがこれです」

焙煎時に発生する煙で真っ茶色に燻された壁が歴史を物語る。

視線の先にあったのは、手回し焙煎機をそのまま大きくしたものであった。
「8kg焼ける大型の手回し焙煎機を溶接を駆使して作ったのはいいけれど、その重さにぎっくり腰になるのも度々で。それを友人の鉄工所に頼んで、モーターを付けて自動で回るようにしたんですね。でも原理は手回し焙煎と変わらないっていう……(苦笑)。まあ、この部屋全体が焙煎機と言えるでしょうね。窓は開けるけれど煙は本当にすごいですよ。自分の手は見えない(笑)こんな原始的なやり方してるロースターって、ほかにいないんじゃないかなあ」

焙煎仕上がった豆はここでバケツ型の容器に振り出して粗熱を取る工程にうつる。

本当はちゃんとした(ブタ釜と呼ばれる)焙煎機を買いたかったのだけれど、当時は手が届かない金額だったので諦めて未だにこれを使っているのだとか。31年経った今、いい焙煎機は買えるようになっても味づくりが振り出しに戻ってしまうのではないかとの懸念から、なかなか踏ん切りがつかなくなってしまっているそうだ。

船乗りからおか

ロースター以前のテルさんはここに至るまで、どのような道を歩んできたのだろうか。
「もともとは父の跡取りだったので船乗りだったんです。父が親方でね、船をたくさん持ってたんです。漁師じゃなくて貨物船ですね。学校も専門のところを出て、すぐに船に乗ったんですね。24歳ぐらいまでいろんなところに行きましたよ。でも穏やかな瀬戸内海と違って、日本海や太平洋だと恐ろしいぐらい大きな波が来て荒れるんですよね。怖いという気持ちが大きくなってしまって船を降りることになったんです」

テルさんは、船を降りた後、お父さまの勧めで焼肉屋「炉談」を始めることになる。2年もすると店は軌道に乗り始めたが、いつまでも父の監視下に置かれることを嫌ったテルさんは、同じ店内にもうひとつ入り口をつくり、喫茶店「RODAN」を立ち上げた。このころ、アルバイトとして入ってこられたのが、のちに良きパートナーとなるさつきさんだった。
「珈琲は船に乗ってたころに各地で飲んでたから大好きだったこともあって。でも周りには美味しい珈琲を出すところが無かったので自分で焙煎して美味しい珈琲を出したら勝てるんじゃないかな?......って思って土鍋で自家焙煎を始めたのが大きな勘違いですよ(笑)」

おひさまのようなあかるい笑顔が印象的なさつきさん。思わずテルさんも顔がほころぶ。

波の始まりはネットから

日々焙煎を繰り返すもうまくいかないテルさんは、雑誌『喫茶店経営』に頻繁に登場する札幌の炭焙き珈房るびあさんの記事を目にする。札幌の深煎り珈琲の先駆けでもあったるびあさんは、今では立派な炭火式の焙煎機で豆を焼いているのだが、昔は手回しの焙煎機を使っていたという情報を得て、創業者の従二直彦氏に教えを乞うことになる。

30歳でさつきさんと結婚したテルさんは、なんと数年後に喫茶店業務をやめてしまった。美味しい珈琲をつくりたいと真面目に向き合っていたテルさんと、「涼みに来てるだけ」「漫画を読みに来てるだけ」のお客さまとの距離が開いてしまったことがきっかけだった。それからは焙煎した豆を持って松山中を駆けまわることになるが思うようには売れない。ある日、niftyの掲示板に「珈琲豆売ります」と書き込んだところポツポツと注文が入るようになった。これはいいかもと手応えを感じたテルさんはパソコンを買い込み、本格的に通信販売をはじめることとなる。ホームページをつくったのはさつきさん。まだGoogleもYahooもない時代だ。細々と続けていたところ、テルさんの珈琲豆が、ヨーロッパのはぎれをメインに販売している人気サイト「CHECK&STRIPE」のオーナーの目に留まる。これが転機となった。商品をお買い上げになられた方へのインセンティブとして、テルさんの珈琲豆を採用していただいたことがきっかけとなり、全国に抱えている顧客から注文が殺到したのだ。

再び街へ

豆売りも軌道に乗り順風満帆に見えた「RODAN」であったが、ネット販売もそのうち落ち着きはじめる。意外と地元で知られていないことに気がついたテルさんは、イベントに積極的に出はじめることにした。どのイベントでも行列が出来るし、お客さまは自分の淹れた珈琲を美味しいと飲んでくれる。子どもも成長して手がかからなくなった。「もうこれでいいや」と思ってたのに、人生でやり残していることがあるのに気がつく。
「接客が苦手で喫茶店をやめてしまったのに、お店をやらなければいけないと思ったんですよね。きっかけとなったのは札幌に旅行した際に立ち寄った宮越屋珈琲の珈琲。これがことのほか旨かったんですよ。チェーン店なのに手間のかかるネルドリップで淹れていて。もうそうしたら深煎り珈琲の良さを広めなければいけないっていう使命感が出てきてしまったんですよね」
その思いを胸に抱いてテルさんは2017年の6月、柳井町商店街に「rodan caffé」をオープンした。

アパートメントの1Fに佇むカフェ。街の景観を損なわないシンプルなファサードが目を惹く。

バリスタ ≦ ロースター

テルさんは珈琲を淹れることを、「珈琲を点てる」と言う。日本の茶道にも通ずる精神から来てるのだと思うが、凛とした美しい所作で点ててくれる珈琲はとても味わい深い。美味い一杯が飲みたくなって、日をあらためて柳井町の「rodan caffé」にも伺った。

珈琲豆の購入と珈琲のオーダーはここで。テイクアウトも可能だ。

ドアを開けて、すぐに豆売りの什器が備えられていて、注文はここでおこなう。お気に入りの「クラシック珈琲」をオーダーした。3坪ほどのコンパクトなカフェスペースは珈琲と向き合うのに十分な広さだ。カウンターのなかでひときわ存在感を放っている大きな鉄瓶に目が止まる。
「懇意にしている飯田みどり先生のお茶会に呼ばれたときに余った白湯を使って(珈琲を)点ててみたら、珈琲の味が見事に美味しくなったんです。鉄瓶を使うようになったのはそれからですね。湯温はこのクラシック珈琲が80℃、オーソドックスなロダン珈琲は90℃以上で淹れてます。もちろん、ペーパーではなく、ネルフィルターを使います。焙煎の具合によって多少の変化はあるんですけれど、一番に心がけていることは、自分の中にあるマニュアルを一秒一秒刻みながら確認して点てていることですね。」

大きな鉄瓶で沸かした白湯を使った珈琲は、ことのほかまろやかな味わいとなる。

そのうえで……とテルさんは話を続ける。
「忙しい時は速くなってしまうし、今日みたいにゆっくりした時は逆に時間をかけ過ぎてしまう傾向があるんです。そうなるとぼくのなかの時間軸が狂うので、タイマーを見ながら常にマニュアルに従うように心がけているんですよ。そうしないと本当の味がわからなくなってくるんですよね。もうちょっと抽出時間を長く取ったり、湯温を上げたりした方が(その逆も)美味しくなるということがわかっていても、マニュアルを守らないと逆に焙煎の方がブレてしまうんです。ぼくは抽出を専門とするバリスタではなくて、焙煎を主体とするロースターなので、その方がいいということに気づいたんです」

ネルドリップ方式で一滴一滴落としながら、丁寧に珈琲を点てる。

焙煎は日によって少しずつ出来が違う。テルさんは長年の経験で美味しく淹れるすべはわかっているので、焙煎した豆にあわせて珈琲を点てることはできるのだが、淹れ方は常に同じにしておかないと焙煎において何が正解なのかわからなくなってくるということなのだ。バリスタならばそうすべき(豆に合わせて変える)ところを、豆売りを優先するロースターであればそうすべきではない──。いやはや根っからの焙煎人(ロースター)である。

味の指標は奥さまの舌

「前日に焼いた豆を翌日の朝食に使うんですけど、毎朝、妻がコーヒーを淹れてくれるんです。すごいのは、ぼくの妻は常に一定なんですよ。どんなに不味い豆でも、どれほど美味い豆でも、常に同じ点て方をする。それがすごく指標になるんです。妻がコーヒーを点てると、今日の豆の良し悪しがわかって、ああ、これはぼくに責任があるんだなあということが身に染みるんですよね」
「結局のところ妻の点て方がぼくのマニュアルになっているんです。秒刻みで参考にしている。湯をドリッパーに落とし始めて抽出されたコーヒーがサーバーに落ち切るのに何秒とか(笑)。人間って甘えがすごくあるので自分が点てて自分で飲んでいると良い方に解釈してしまうんです。微妙なことかもしれないけれど、判断の仕方によって2年後、3年後にはそれが大きな差となってくる。妻が毎日メールで感想を送ってくれるんですけど、妻は冷静に飲んで的確に指摘する。ぼくひとりではつくりあげられないですよね」

トロッとしたまろやかな口当たり。珈琲本来の苦味と甘みが楽しめるクラシック珈琲。

奥さまと二人三脚でつくりあげた味はブレがない。
テルさんが焼く豆はエチオピアとタンザニアを配合した深煎りの「ソフトブレンド」とインドネシア系の豆を隠し味に取り入れた極深入りの「フレンチブレンド」。そのふたつを7対3で組み合わせたのが「Nミックス」で、Nさんという顧客の要望から生まれたブレンドとのこと。このどれもが100g / 648円(税込)からというリーズナブルな価格で購入することができる。毎日飲む珈琲がこの値段で手に入れられるのは嬉しい。店内でいただくことができるメニューは、基本の「ロダン珈琲」や、どっしりとした味の「クラシック珈琲」、珈琲の旨味成分がギュッと詰まった「デミタス」、女性に人気の「カフェオレ」など5種類。夏季はこれにアイス珈琲が加わる(アイス珈琲の点て方もテルさんならではのこだわりがある。ぜひ、店頭で体験を!)

珠玉の一杯と向き合うためのメニュー。FOODはチーズケーキのみ。主役はあくまでも珈琲だ。

深煎り珈琲の甘みとは?

さて、冒頭でふれた「深煎り珈琲は苦いのか?」に対するアンサーはというと、映画「メン・イン・ブラック 3」から拝借したセリフ「苦い真実は甘い嘘に勝る」をあげておこう。丁寧に焙煎された豆を適切な方法で抽出すると角が取れてまろやかな味わいになる。“苦いけれど甘い”のだ。すなわち「苦さの中に秘められた甘さを感じるが良い」ということになる。

「あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ──」
季節はずれの「ほたるこい」がループする昼下がり。次は豆を買って松山ならではの郷土菓子とのペアリングも楽しんでみようかな。醤油餅に深煎り珈琲の組み合わせなんて、考えるだけでも愉しいじゃないか。


【手焼珈琲 RODAN】
H P:http://www.rodan24.com/

「rodan caffé」
住所:〒790-0014 愛媛県松山市柳井町1-13-15アリーアパートメント 1F
電話番号:090-4509-5717 
営業時間:12:00-18:00(LO 17:30)
定  休  日:月・火曜日
Instagram:rodancaffe.y

「RODAN」(豆販売のみ)
住所:〒799-3113 愛媛県伊予市米湊1140-4
電話番号:089-983-3778 
営業時間:10:00-17:00
定  休  日:月・火曜日
Instagram:rodancaffe.iyo

今回の書き手:越智政尚
松山市出身・在住。「文学のまち松山」でBOOK STORE 本の轍を営むショップキーパー。休日は映画を観たり、レコードを聴いて過ごしたり、暮れゆく空を眺めるのがお気に入り。MORE BOOK , MORE TRACKS。
Instagram▶︎honno_wadachi
Twitter▶︎ honno_wadachi
Online Store▶︎本の轍 STORE

いいなと思ったら応援しよう!