
「万物斉同」 幼児教育の未来を問う
朝の光のなか、園庭に集う子どもたちがいます。風を追い、土を握りしめ、小さな虫に目を輝かせるその姿は、まるで世界とひとつになっているかのようです。
荘子の語る「万物斉同」は、あらゆる存在が等しく価値をもつという考え方です。草も木も、人も虫も、それぞれのあり方で完全なものとして存在しています。しかし、今の教育・保育はどうでしょうか。子どもを「こうあるべき」という型にはめ、評価の物差しをあてがう。その姿は、鳥に魚の泳ぎ方を教え、木に歩くことを求めるようなものかもしれません。
子どもは本来、風の声を聴き、石ころの語る声を感じ取ることができます。落ち葉ひとつを手にすれば、そこに広がる世界があります。硬さ、匂い、色のうつろい、舞い落ちる軌跡―それらすべてが、子どもにとっての学びとなります。教えられずとも、世界と響き合いながら生きる力を育んでいるのです。
もし私たちが「万物斉同」のまなざしで子どもを見つめるならば、教育・保育の在り方は変わるでしょう。「何かにならせる」のではなく、「今ある姿を尊ぶ」ことへと…。自然と交わりながら、子ども自身が道を見出すことを信じ感じる。環境を整え、子どもがすでに持っている力に気づき、それを妨げずに見守ることが、私たちの役目ではないでしょうか。