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色即是空

大人になって好きになった言葉のひとつ「色即是空」。

仏教の言葉で、般若心経にも出てくる。

「色」は目に見えるもの。
「空」は形のないもの。と言う意味。

色とはすなわち空である。
(そのあとには「空即是色」がつづく。)

これにはいろんな解釈がある。

目に見えていても、実態は空虚である。
目には見えないもの、それが実態である。
目に見えているからといって、不変であるとはかぎらない。
見ているものは幻想である。

いろんな解釈があってよいと思っている。

今まで見聞きして、わたしがしっくりきたのは、

ひとは、見たいものを見ている。

というもの。

目の前の景色は、それを見ようと意識したときに「色」となって現れる。
見えているものは、わたしが見ようとした景色。
目の前の景色は私が作っている。そう見たいと思ったものが見えている。

景色だけではなくて、音だって、感情だってそうだとおもう。

同じものを見ても、それぞれに感じることって違うし、
同じ景色をスケッチしても、違う作品が仕上がる。写真だってそう。

色即是空って、そういうことを言っているんじゃないかなと思う。

高校時代、修学旅行で訪れた薬師寺で聴いた説法で、一つだけ覚えていることばがあった。

とらわれないこころ、かたよらないこころ、こだわらないこころ。

前後の文脈は一切覚えていないのだけど、この一節だけはなぜか心に残って、その後も忘れることがなかった。

大人になって調べてみると、薬師寺の管主だった高田好胤師の「空」の解釈の一部だという。

わたしは、なんとなく、ゆるく、ずっと、「空」に魅せられていたんだな。

そうはいっても、だれかに教わったわけでもないし、ただ本を読んだだけの独学なので、もっともっと学びを深めたいなあと思っている。

2021年は、だれかと共に般若心経を学べたらおもしろいな。
いろんな解釈をシェアしあうだけでも世界が広がると思う。

目に触れられず流れていく宙ぶらりんなローカル情報を囃し立てて、自分の住む地域ってなんかいいな、誇らしいな、暮らしやすいな、と感じられる循環を作り出したいと思っています。(team OHAYASHI細川敦子)