「オンラインで学んでみて」耕さない その1
実は半年くらい前から独立しているわけなんですが
サラリーマン辞めて独立すると今まで「見えない・考えない」ことがあって
それが今「見える・考える」が出てきました。
それは何なのか?というと「これって誰かにとって必要なのかな?」
って考えることです。
簡単に言うと「仕事を作り出す・仕事になるのかな?」とか
もっと簡単に言うと「稼げないかな?」ってことをよく考えるようになりました。
でも、これってサラリーマンの時には一切感じなかったことで
「仕事って黙っててもやってくる」「朝行くとやること決まってる」
とかそういう「当たり前を」受けてきたわけです。
で、学校生活も同じなんですね
「勉強」とか「部活」とか
その場に行くと「すでに用意されているもの」がそこにあってそれを手に取って学ぶ、投げるってことをするわけです。
でも、それって結局「誰かの枠組み」でやっていることになってしまうってことになるんですね
何が言いたいのかというと今、ブロガーやyoutubeなんかが「新しいビジネス」って思われていて、もちろん「のっかる」こともとても重要なのかなって思いますけど、でもそういう人たちって「たまたまブログ」、「たまたまyoutube」だったんだと思います。
つまり、枠組みが何であれ「その人」であれば「何かわからない未来に何かを感じて勝手に動く」ってことです
例えば、youtubeで活躍してる人なんかはちょっと時代が変われば「芸能人」として活躍していただろうなって思いますし
ブロガーの人とかも「文字を書く仕事・週刊誌の仕事」みたいなことも可能なわけです。
じゃあ、なんで可能なのか?と言われると
「おもしろいとか、興味、表現する」ということがどういうことのなのか?を知っているからだと私は思うわけです。
で、そういう「変なこと」で生計を立てている人をみると
「なんで回ってるんだ?」って疑問だけが残ったのです
「変な人・・・変な人・・あっ」
私の中の「変な人辞書」をめくると「大学」の「研究室」の人たちがだいたいでてくるのですが、その中で特質していた変な人がいました。
大学を卒業して10年くらいたっていたのですが
何かあると電話してきたり、会ったり、種植え手伝わされたりと何かとおせっかいな先輩
ことの馴れ初めを相談すると「じゃあ、マスターコースだね」とか言われて
変な先輩が開いている
「耕さない」というあまり聞かないスタンスの農を学ぶっていう
今でいうオンラインサロンみたいなのに入りまして
そこで学ぶことにしたわけです。
形式としては「オンライン」つまり「メール」などで資料が届いて
それらのわからないところをまた「オンライン」で聞いてみたりとするのですが
毎回毎回「課題」っぽい形で「こちらからまとめる」という作業を行うわけです。
というのも「私自身が活用できる土地」が今はないこと
そして「農」も「今はできないのだけれど」
「学ぶのは今しかないのかな」ってことで受け始めました。
きっかけは私もよくわかっていませんがとりあえずって感じです。
暇ですし(笑)
そこで感じたことを書いていこうと思います。
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