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「オンラインで学んでみて」耕さない その3

内容としてはこの続きとなります

「観察すること」はおそらく何においても「重要なエッセンス」になっていて、それは「田んぼ」「畑」といった「農」だけではなく

すべての分野においても言えることだと私は感じました。

いがさんが言う

「実りを知るからこそ待つことが出来る」という言葉は

まさに本質をつけるからこそ出てくるのだと私は思います。

「本質を知る」「本当を知る」という言葉はありますけど

「じゃあ、どうやってそこにたどり着くのか?」に対しての答えは

「段階を追って上乗せされているものをまとめたときに見えるもの」

に近いものだと私は思います。

それをあの人は

「田んぼ・畑」というフィールドに移して

「すぐに、考えなく」という感覚ではなく

「積み上げる、そして回す」という中で紡ぎだされる

「リズムや周期」を重視しています。

その「リズム」を自分の中に感じ始めるとき

世間と自分は一時的に切り離されてしまうかもしれないです。

私は現にこの「学び」を始めてその感覚になりました。

この学びで一番自分の中で変化が起きたとするなら

「世間のリズムを受けて自分が動く」という受け身から

「自分のリズムを世間にどう乗せるか」という変革

それによって「若干引いた立ち位置」から世間を見てどうしようかな?

という感じになってきています。


「お金を稼ぐ」という副業が今流行っていて

「youtubeをはじめる」「ブロマガを書く」「株式投資」「FX」など様々なやりかたがそこにはあるのですがそれも「流行り・とりあえず」という形をとってみても「一旦はうまくいくかもしれません」

「ある程度のノウハウ」はすでに出ているわけですから、あとはやるかやらないかだけです。

そうじゃなくて「人を楽しませる、自分を表現する」そういうものの結果が「youtubeを始める」「ブロガーになる」ということのほうが「周りの環境が変わったとき」うろたえなくて済みます。

例えば「youtube」なんかは「規約」が毎年毎年変わってきてます。

環境は世間で世間は絶えず動きますその動きに先んじているのか?

それが大きくこの後を変えていくのかなと思います。


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