「自分、このままでいいのか?」が、晴れていく瞬間に立ち会って思うこと。
※本文中の画像は僕の大好きな映画「マイ・インターン」から。
僕がメンターを務めてすでにライフワーク化しているビジネスパーソン向けキャリア教育プログラム「ミライフキャリアデザイン(MCD)」の4期生卒業プレゼンが先日涙涙のなかに終了しました。いい歳したおじさんが本気で嗚咽を漏らしそうになることはちょっとキモいし、普段なかなかないのでそういう意味でもとても貴重な時間です。
MCDは、約2~3か月かけて「自分の理想未来」をメンターや仲間と共に考えていくプログラムとしてデザイン思考で設計されています。今回はMCDのコンテンツの解説や宣伝ではなく(宣伝じゃないです!)、MCDというプログラムを通じて参加メンバーのなかに、どのような変化が起きていくのか、メンターであり、一人のビジネスパーソンであり、また二人の子の親としての立場から、プログラムを通じて感じることをエモみ成分多めで綴ってみたいと思います。(「マイ・インターン」のベンをロールモデルとする自分にとってもエモみはとても大切なことなのです。)
参加の動機~「このままでいいのか?」
まず前提となるメンバーの参加動機。これは当然ながら個別事情で様々ですが、大きく抽象化した動機の一つに、
「仕事は日々頑張っている。職場では機会にも恵まれているはず。なのになんだかこのままで自分の人生良いんだろうか?という思いがある。このモヤモヤと向き合いたい」
というものがあります。決して不幸せなわけでもないし、満たされているような気もする。ただ、このままでいいのだろうか?との思い。有名大企業の花形部署で働いていても、はたまた成長ベンチャーで頑張っているようにみえても、独立目指して走っていても、どこかにこうしたモヤモヤを抱える人が門を叩いてきます。
そして、こうしたメンバーからプログラム初期段階で良く耳にするのは、
「〇〇しなければならない、と思っています」
というフレーズです。
例えば、「この先、どうなっていきたいの?」という問いに対しては
✔ 成長しなければいけない (と思っています)
✔ 挑戦しなければいけない (と思っています)
✔ 専門性を身につけなければならない (と思っています)
✔ マネージャーにならなければいけない (と思っています)
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まるで、”何か”から身を守るかのように、「ねばならない」と語る表情にはある種の険しさすら漂います。特に、いま仕事で実績をだせている人は、責任感が強ければ強いほどに所属する組織の期待を誰よりも理解し、率先して体現しようとします。これは組織にとってはとてもありがたいことで、組織の期待と自分のありたい姿が一致している場合。この場合はなんの問題もありません。このような方はMCDには来ないと思います(笑)
注目すべきはそこにギャップがある場合(このケースで参加される方が多い)です。責任感の強い人は、組織の期待を体現することを無意識に優先する傾向にあります。(※これは日本の学校教育と終身雇用的思想に原因があると考えますが、この論はまた別の機会にて。)
組織の期待を体現することが優先された結果、「自分が本来ありたいと想う姿」は心の奥の檻に閉じ込められ、いつしかその存在すら忘れ去られてしまいます。そうして一重一重と積み上がっていく組織の期待に応えなければという「自分じゃない何か」が、いつしか何重にも重なりあい、堅い鎧のように自分を包み込んでいく。そうして、組織のなかで生きるという鎧をまとった自分、もっと言うと鎧に依存した自分が出来上がっていきます。
この状態から発せられる言葉には、組織における圧倒的「正しさ」が込められつつも、その責任感や義務感、そしてそうあらねば自身の存在が否定されるのではないかという恐怖感からくる「苦しさ」や「痛々しさ」を伴ってくるものになります。
上述の、「〇〇しなければならない」という言葉はこうした背景から発せられるものではないかと想像しますが、こういった必ずしもポジティブとは言い難い感情を含んだ言葉をメンターとして耳にしながらMCDのプログラムはスタートしていきます。
ここでメンターとして意識しているのは、皆の鎧の状態をコンコンと軽くノックしながら堅さや材質を確認することです。大体どの鎧もドチャクソ堅い材質で仕上がっています。
自分を知る~「なんか、めちゃ嬉しいし、これ楽しいね」
MCDプログラム序盤では、友人、先輩、後輩、上司、部下、パートナー、恩師などなど自分を知る方々に「自分とはどういう人間か?」をインタビューしていきます。このプロセスはまさに「自分とは?」を再確認するために自己認識と他己認識の一致点と相違点から見えるものをヒントにしながら、心の奥底の檻に閉じ込めてしまっていた自分を探しにいく旅の最初の一歩になります。
このプロセスですが、最初は少し気恥ずかしそうにしているメンバーも、返ってくるフィードバックに、「やっぱりそうみえてるのか」、「えー意外だな」、「わかるわ~」、と色々な発見を得て、純粋に楽しい活動へと変わっていきます。(規定の人数が終了しても過去の恋人へ、両親へ、などなど延々と続けているメンバーもいたり!) インタビュー結果の共有会でも、皆が色々な発見があったことをとても嬉しそうに語り合いながら、その共有の場でのメンバー同士の相互フィードバックから更に自分について気付きを得たりなど大いに盛り上がります。また、このインタビューを普段あまり関係の良くなかった人(上席者の方や奥さんなど)にお願いしたところ、このコミュニケーションがきっかけとなり関係性が良好になっていったなどという副次的効果も喜びの声として上がっていたりしました。この一歩を踏み出せるの、本当に素敵だなと感じます。
「組織のなかの自分」を振り返ることは普段仕事の中で行っていても、「本来のむき出しになった自分自身」を丁寧に振り返ることは実はなかなか行っていることではなかったりします。まして堅く閉ざしてしまっていた心の奥底の檻を開けにいく機会などほぼないでしょう。本来の自分自身というのはもう自分一人では見えなくなってしまっている(鎧がガチガチで一人では脱ぎ捨てられない)のかもしれません。
だからこそ、こうして仲間の力を借りて自分自身を見つめなおすことができる機会は貴重であり、心が無意識に喜びを感じとるのだろうとこのプロセスを楽しむメンバーたちをみていつも感じます。
未来をいく人に会う~「あ、それでいいんだ。」「ヤバイ、カッコいい」
プログラム後半では、各自が仮置きで立てた自分自身の理想未来に近い生き方をされている普段ならお会い出来ない人生の素敵な先輩方に、その生き様や信念をインタビューしにいくのですが、このプロセスは人によっては自分の鎧を叩き壊しにいく(イメージとしてはぶち壊されに行く)ステップであり、人によっては鎧を脱ぎ捨てて良いんだよと諭され解脱していくステップだと感じています。実際にはそのような表現では送り出しませんが(笑)、結果的に鎧が溶けさっていくプロセスとなります。
※MCDの取り組みに共感いただき、若者の未来のためにインタビューに無償でご協力いただいている素敵な皆様に心より感謝申し上げます。
「自分を大切にしていいんだ」
「メンターをつけるって弱いってことじゃないんだ」
「自己肯定感が低くたって、劣等感があったって何度でもトライすればいい。それは魅力的なことなんだ」
「組織に依存しない実力と信念をもって自分の人生を生きるってマジでカッケェ」
ここでは、「良い」ということばが使われていますが、ニュアンスとしては、良いとか悪いとか他人評価ではなく、あくまで自分がどう思うか、大切なのは自分が掲げる信念であるということ。そして、そうした信念ある生き方に触れることで、皆の堅く凝り固まっていた鎧がバキバキに叩き壊されていきます。
こうして鎧を脱ぎ捨て語り合うロールモデルインタビュー後のチーム共有会では、プログラムスタート時とは打って変わって皆の清々しく晴れやかな表情を見ることができ、まさにメンターとしても至福の時間となります。
また、このロールモデルインタビューのプロセスは、人生の時間軸的に少し先を走る誰かの人生が、少し後を走る誰かの人生に影響を与えていくもの、と僕らは考えています。誰もが羨む完璧な人生なんて存在しません。輝いてみえる人生の先輩たちもその時々で色々思い、悩み、行動して今がある。その悩みや行動を通して得た信念、教訓一つ一つが次の世代を生きる人たちの気付きになっていくとするなら、このインタビューのサイクルを回していくことそのものに尊さと意義を感じざるをえません。
以下に、インタビューによる気付き、心の変化を御礼メッセージから感じていただけたらと思い一部抜粋します。
メディアで拝見する〇〇さんは、「強くてかっこいい女性」というイメージがとても強かったのですが、今日、一つ一つの質問に真剣に向き合って丁寧に答えてくださる姿や、直感で決めた後に論理で検算するというお話などもお伺いする中で、強い意思決定をするための準備、仲間の存在、お子さんの存在など、その印象を与えている様々な背景を知ることができました。そして、20代のうちは、選り好みせずもっともっと可能性を広げようという気持ちと、その中でも今の自分自身が持つ強み・価値観は大切にし続けようという決意が、改めて強固になりました!
昨日はお時間をいただき本当にありがとうございました!「すごい人」に見える〇〇さんも、沢山悩んで選択肢してどうにかしようとTryして、今の〇〇さんにまで行きついているのだということがわかったのと、「今も変化の過程の中にある」という意識を持たれているのがすごく印象的でした。特に、「人生は仮決めの連続」という言葉がそれでいいんだ、一旦決めて走って、また変えていけばいいんだ、と思えました。また仰っていた、「なんでもGiveすればいいわけではなく、Will(自分の価値観に沿っているもの)をGiveする」という言葉が、なんでもGiveすることを求められがちな自分の仕事においてGiveしたほうがいいのかどうかを選択できる軸になるなと思いました。受け止め方についての具体的なイメージも教えてくださりありがとうございました!これからは、スキルとしての受け止め方を学んでいきたいです。またお話できる機会があると嬉しいです。素敵なギフトをありがとうございました!
今日は本当にありがとうございました!!お話終わった後、なんだか肩の荷が下りたような、鎧が取れたような感覚がありました。「価値観・強みに沿っているものにおいて、GIVEしていく」ということと、自分の感情を丁寧に向き合い、結果的に周りの人たちを幸せにすること、すごく心に響いて明日から実践したいと思いました。私にとっては、完成形のように映った〇〇さんも、日々模索しながら進まれたとお聞きして、私もいつか幸せを大事に生きられるのかもしれないと勇気が出ました。まずは、自分の感情を受け止めること、時間を作って丁寧にやっていきたいです。今日のお話は、私にとって財産になりました。本当にありがとうございました!
今まで「〜すべき」「だから成長しなければ!」と考えていましたが、自己理解があった上で、「自分らしく」いる為にはどうすればいいのかという生き方をされている、〇〇さんの言葉1つひとつが脳内に突き刺さってきてパンクしそうでした……。自分の声と向き合う事を無意識的に避けていたので、このMCD通して自分の声とエゴに向き合っていきたいと思います!
改めてありがとうございました!!
✔ 「生きている自分」と「生かされている自分」をどう捉えるか。ある程度逆算してゴールが見えている状況より、1年後に自分がどういう考え方になっていて、何が起きているかわからない状況の方がハッピーなのでは。
✔ 筋トレと練習or試合の話。どうしても守られている状態だと、最後の覚悟感は決まり切らない。ヒリヒリしたいなら、それ相応のリスクのある場所に飛び込まないと味わえないものもある。
✔ 100点 or 100%の話。他者軸でなくて、どれだけ自分軸の話で、今出しているものが100%かどうかを問い続けられるか。このスタンスで臨むことで、他者からのFB(差異)が全て自分の肥やしになる。
✔ アウトプットとインプットの両方を求められる場にどう自分を置いて行くか。自分のコンフォートゾーンから飛び出るアウトプットを求められる機会や場にどれだけ自分を持っていけるか。それとインプットの両立をすることで、変化感を感じることができるし、成長実感を味わうことができる。
大変刺激になる話、本当にありがとうございました。引き続きよろしくお願いします!
理想未来プレゼンテーション~「自分はこうして生きていく」
さぁ、そしていよいよプログラム最終日。一人5分間の卒業プレゼンテーションです。自分の理想未来、どうありたいのか、どうしていきたいのか、を心の声を宣言する。自分自身も過去、伊藤羊一さん主催のイベントで「譲れない想い」を1分でシャウトしたことがきっかけで人生がまさに自分だけのものへと変化していきましたが、皆の前でのプレゼン=宣言の威力は絶大なものがあります。
何を宣言するのか、その言葉は本音のものなのか、鎧が壊れてたとえ自分がむき出しになったと言っても、そんな自分が心から目指したい理想未来はすぐには腹落ちする言葉になるものではありません。内省に内省を繰り返し、メンター、チームメンバーとも何度も壁打ちをし、紡ぎだされた言葉を5分という時間のなかに凝縮する。皆に伝えるためにプレゼンに魂を込めるべく実際に言葉を口に出し、腹落ち感を最後まで確認する。
自分という存在はなんなのか、自然と意識は自分のルーツにも向いていく。あぁ結局自分は父や母の姿を追っていたんだな、自分は過去のあの辛い経験の呪縛にこんなにも縛られていたんだ、と原点に気付くメンバーもいます。
こうして迎える本番のプレゼンテーション。その5分間では、これまでであれば人前に晒すことのなかった自分の弱さまで惜しげもなく開示し、堅い鎧を打ち砕いた本来の自分自身を起点に、これからこうして生きていくという理想未来を感謝の心と共に力強くも気負いなく宣言するという、おじさんの涙腺を直接的に刺激、いや攻撃してくる極めて危険な時間が繰り広げられます。
✔ メンターの視点では、みんなの変化が純粋に喜ばしく、理想未来へ向かうその尊い姿をあらためて全力で応援し続けていきたくなり、
✔ ビジネスパーソンとしての視点では、自分も若い頃にこうした仲間と機会を得られていたら・・・という純粋に羨ましさも感じ、
✔ 子をもつ親としては、若者の逞しい巣立ちをみるかのように目を細め、自分の子供たちのみならず次世代を担う子供たちに、こんなカッコ良い大人たちがいるということを一刻も早く見せてあげたいという想いに駆られ、
もう、聞いていて自分の感情のブレーキが完全にバカになります。
こんなにも素直に自分をさらけ出して、青臭い未来を語り合える仲間が社会人になってから出来るでしょうか。
そんな仲間がいるからこそ、本来の自分、弱い自分、カッコ悪い自分をもさらけだせる。プレゼンを終えた皆の清々しく輝くまなざしのなかに、他の誰でもない自分自身の人生を歩み、事切れるときにも後悔しない、そんな姿が映っていたように感じます。
最後に~ 宝物=メンバーからの声
毎回毎回の宝物ですが、今回の4期生卒業式後のチームメンバーからの感謝メッセージを少しだけチラ出しさせていただきます。
「2ヶ月間、本当にありがとうございました。まっさんがいなければ、納得感のある理想未来は立てられませんでした。とっ散らかってる話も、いつも笑顔で聞いてくれて、的確にアドバイスをくれて、ハッとするような問いをもらって、本当にありがとうございました!これからもよろしくお願いします!」
「プレゼンは、みんなイキイキと自分の言葉で話してて、見ててすごく楽しかった。特に、長い時間を一緒に過ごしたチームの仲間の発表のときは、胸にくるものがあった。自分も、言葉にして、人に届けたことで覚悟が決まった。苦しい時間もあったけど、メンバーやメンターのみんながいたから、しっかり向き合えたし乗り越えられた。やっぱチームプレー最高!
まっさんから卒業証書授与されたときは、泣きそうでした。こんなに心動いた体験は、学生でスポーツやってた時以来でした。この気持ちを忘れず、掲げた旗に向かって歩いていこうと思います!ありがとうございました!」
「まっさん、ありがとうございました。全部受け止めてくださり、自分とまっすぐ向き合うことができました。」
「今日のプレゼンで、それぞれの2ヶ月間の変化を感じることが出来ました!特に、始まった頃からよく知っているチームのみんなの変化には素直に感動しました!みんな本当に良い顔してたな〜。ただ今日で終わりではなく、スタートなので、チームの皆んなやメンターのまっさん、同期生のみんなと刺激し合いながら、たてた旗の実行していきます。本当に充実した2ヶ月間、ありがとうございました!」
「MCD参加した頃はこんなに自分がガチガチに鎧被っちゃってると思っていなかったので、初日と今日の気持ちが違いすぎてびっくりしましたw
本当にチームのみんなやまっさんがいろんな問いかけをしたり、「ここの時はいい顔してた!」って私がワクワクするポイントを教えてくれたから、自分に必要なものが見えてきたんだなって思うし、このMCDの期間を通して一人一人が自分に素直になってて、今日は超いい顔してたなって思います。
ここからまたスタートだと思うとちょっと怖さもありますがw
この先も一緒に頑張っていきたいです!!改めてよろしくお願いします!」
正論や一般論だけでは人は変われません。
かといって、受容と共感だけでも変われません。
ただし、受容し共感される関係性があって初めて、自分の心の奥底にある檻を壊し、堅く身につけた鎧を壊し、自分らしさをむき出しにする勇気と強さが湧いてきます。
そしてこの勇気は、仲間がいることで何倍にも増幅していき、そして永く永く続いていきます。「自分このままでいいのか?」というモヤモヤもみんなの力で晴らすことができる。未来へ向かう力にすら変えられる。そうして自分らしい生き方をしていくカッコいい大人が増えれば増えるほど、次世代を担う子供たちが未来に夢と希望を描いていける。
MCD4期生卒業生20名。アルムナイでは、total約80名。
たかが80名、されど80名。
千里の道も一歩から。
少しでも自分たちの活動によって世の中の未来が明るくなることを願って、引き続きエモくしなやかに、そして全力で取り組んでまいります。
了