「私はここにとどまっていてはいけないの?」「いや、いていいよ」
2023年4月15日(土)🌗24.4 ☔️5:09-18:14
24:清明 72:虹始見(にじはじめてあらわる)
数日間の砂や埃をすべて洗い流す雨。猫はよく眠っている。
昨晩しっかりヨガと肩甲骨ストレッチをしたし、今朝は瞑想のクラスにも参加した。夕方から出かけるから、ちょうどよい時間の狭間にいる。
結局トレンチコートって、GW近くまでクリーニングには出せないものだな。
スタッキングシェルフ導入のほかに、最近したこと。
空気清浄機を捨てた。古くなって中の部品がガビガビになり、たまに悪臭もするようになった。
新しく買い替えようとしたが、置いてあった場所が広くあき、手入れの必要もなくなった開放感から、「もうなくてよいのでは?」という気持ちに傾いている。しかしここ数日のような空気の澱みと喉のイガイガを経験すると、やはりあったほうがよいのかと迷う。いずれにせよ、また乾燥する季節になったら考える。
空気清浄機って、なかなかあるとなしの状態をはっきり比較できない。
メガネのレンズを替え、さらに新しく1本作った。もともとあったメガネは「遠く重視」に。新しく作ったほうは「近く重視」に。もうじき「その中間」で1本作ろうかと思っている。
年をとったらメガネが3本要る。こんなこと若い頃は誰も教えてくれませんでした。ちなみに、コンタクトは「その中間」で作っている。
高尾山に行った。葉山へ行き、過去の仲間が営むお店を訪ねた。大森で女子3人でごはんを食べた。めずらしく人に会う日々。今日の夕方からも前の職場の同僚たちと久しぶりに会う。もう今年はこれで誰とも会わないんじゃないかと不安になるペース。
今年の頭から瞑想を強化しはじめて、3か月がたった。今も平均1日10分くらいで、ぼちぼち続けている。
強化しはじめの、毎日発見があるような状態とは違うが、はたして瞑想と関連があるのかどうかもわからないような、「あれ、なんか今までと違う」ということが増えてきた。
(ちなみに、人や自分に優しくなったりイライラしなくなったりは、そんなにしていない)
タイトルの話。最近、乗り物内などで不安になった時、自分にかけるマントラが、「何が怖いんやろなあ」から、「私はここにとどまっていてはいけないの? いや、いい(反語)」になってきた。自然に。
私は電車の徐行や一旦停止が怖い。なぜなら、閉じ込められたような感じがするからだ。
では私は、この空間に長くいてはいけないのか? と、ふと思ったのだ。
でも私、鈍行にのんびり2時間乗り続けて小田原まで行くの、平気だよね。じゃあこの空間に長くいてもいいんじゃない? 徐行や信号停止によって、この空間にいる時間がいくらか長くなっても、平気じゃない?
「私はこの空間に長くいちゃいけないと、自分で自分に対して思っているのかな。だから怖いのかな」
そんな問いを自然にいつの間にかすることで、その反語が生まれていた。
次回は、瞑想との因果関係はわからないけれど、地下鉄に長く乗ったり、緊急停車を2回経験するなかで、新しい感じ方をするようになった話。たぶんこのマントラも影響しているのだと思う。