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書く視点の話から気づいたこと

noteを書く際に「誰かのために書く」という視点はとっても大事なことだと思うんですが、

自分だけに向けて書いてもいいのではないかな。


と思い始めています。


ネット上に拡散される記事は、アナログノートに日記を書くことと違って、どうしても「誰かのために」という思いが頭の片隅に残ります。

noteもその例外ではなく、ビュー数やスキ数に一喜一憂し、コメントをいただければ、わー!となるんですよね。

それが悪いことではないんですけど、どうしてもビュー数やスキ数の多い記事を書こうとしてしまい、「教えたい」気持ちが全面に出始めてしまいます。

「ためになる記事」ってやっぱり数字が伸びるから。

こうするといいよ。あーするといいよ。こんな方法もあるよ。こんな手段だって取れるよ。こんなこと知ってる?こんなパターンもあるよ。こんな…、あんな……


毎日書いてたら、いつも読んでくれる人、なんだか疲れちゃうだろうなと…


もちろん、「ためになる」を読みたい人もたくさんいると思うので、毎日書いても良いんですけど、


自分自身がそれを望んでいない。


この感情は、記事を書く上でものすごく大事なことだなと、そう思ったんです。

だから

自分に向けた視点を持って書いても良いのではないかと。


ネット上に記事を書くことは「誰かに向けて書く」意識を自然に生みだす行為であると思ってますが、そうでない人も必ずいるでしょう。

僕自身に限って言えば、「誰かのために」が頭の片隅どころか頭いっぱいに広がっています…


自分に向けて書いているように見えて、誰かのために書いている。

そういった自分視点をうまく使いこなしている人の記事を読むのが、僕の最近の楽しみです。


そういう記事、読んでてほんと面白いんですよね。


いろんなnoterさんの記事を読んでいて感じるようになったんですが、頻繁に読みに行く人たちの記事って「教えたい」要素がそこまで感じられません。

上記にも書いたように、ネット上という特性上少なからずその要素は含まれるんですけど、なんだか自然にすっと体に入ってくる感覚なんです。

あー、これほんと


「会話をするように書く」


だなと。


ほんと、この言葉に尽きるなと。

noteを読んでいると、ちょこちょこ見受けられたワードで、受け売りの言葉なんですけども、僕の中でとっても大好きなワードになってます。



インスタグラムもやってます。
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このnoteはみなさんのスキやコメントが励みになって続けられています。 ありがとうございます。