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「コメントを残すこと」のいい影響について

思ったまま素直に書く。それが一番です。

とそう言い切っちゃうんですけど、それは何も言ってないに等しいので、コメント書くってなんだろう?を僕なりに考えてみました。

自分に返ってくること

ここ最近、noteの記事を読んだらできる限りコメントに残すことを心がけるようになりました。それはnoterさんの記事をしっかり読もうと思う気持ちが高まるからなんですが、

ふと、本当にしっかり読みたいだけでコメント書き残そうとしているのか?という疑問が湧いてきました。


考えた結果

コメントは自分に返ってくる

からと結論づいたんですけど、これは

コメント返しのことではありません。


自分の記事にもコメントを書いて欲しいからコメントを書き残すという行為は最終的にnote疲れに向かいます。

そこを少しでも期待して書くことは全然生産的ではありません。

では何を期待するのかと言うと


「気づき」のアンテナ感度の向上


です。

記事を読んだ際にどんな気づきが見つかるかな?というアンテナを強めるためのスイッチみたいなものです。

どんな記事にも感じることはあって、その感じたことからさらに何を導き出すのか?を考える事が、「自分に返ってくる」ということですね。

宿題で読書感想文を書いてきてください。と言われて読む感覚と一緒です。


読書感想文みたいなもの

コメントに決まりなんてありません。自由に書いていいんです。

そんな中で、僕はコメントは読書感想文を短くした川柳みたいなものと考えるようになりました。

実際コメントお返しするときは川柳では書きませんけども。笑

いかに短く鋭く要点よく自分の思ったことを伝えるか。


川柳のコンテストがあるようにコメントのコンテストなんてのが有ったら面白いだろうな〜と想像してみたり。笑

対象は記事本文とコメントで評価される。みたいな。

コメントも川柳のように、五七五という決まった世界の中で巧みに言葉を用いて自分の思いを表すなんてことになったら…

妄想はこの辺にしておいて、本題に戻ります。


読書感想文に決まったルールがないようにコメントにもルールはありません。

相手に伝わらないと全く意味がないし、突然、五七五でコメントされても相手は戸惑うばかりですよね。

それでも、短く要点よく相手に自分の気持ちを伝えることができるようになるのは決して悪いことではありません。

少しずつコメントを残すようになってからは、練習の場としてコメントが使えるなと感じるようになってきました。

ちなみに

是非、五七五でとお願いされても僕にはその力量がまったくありません。もう先に断っておきます。笑

練習の場

コメントは「短く鋭く要点よく」の練習の場として使える

noteはまだ始めてから時期があまり立っていませんが、インスタグラムの方ではコメントを残してくれる方が多くいらっしゃって、時たま、鋭いコメントを残される方が現れます。ものの考え方が的を得ており、ツッコミが的確なんですね。

そのコメントを読むことでさらにこちらにも気づきが生まれて…

と生産的なやりとりが生まれます。


そう言ったコメントをいただけると、こちらも自然に的確な答えを返そうと努力するようにもなります。


コメントってとっても生産的なんです。

僕自身もそういったコメントが残せるようになりたいなと思っており、そのためにコメントをしっかり残すように取り組み始めた次第です。

それが結果的に自分に返ってくるから。


一方的だけど、敬う気持ち

色々と書いてきましたが、コメントって記事と同様一方的です。

むしろ、記事への反応なので、記事の一方的さよりも少し厄介です。

記事を読んでストレスを感じたらそこで終えればよく、他の読者にはそれが見えません。しかしコメントは書かれたことに対する反応が他の読者にも見えてしまいます。

そうそう起こり得ることではありませんが、コメント内でトラブルが起こりえることだって考えられます。

だからこそ、コメントには相手を敬う気持ちが記事以上に余計に必要になってくるなと感じているんですね。

一方的だからこそ、相手を敬って。


その気持ちを持って、これからも多くの記事に出会っていきたいなとおもいます。



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