ありのままの自分を受け入れる
今回は、
「ありのままの自分を受け入れる」というテーマでお話します。
前回まで
前回の記事で、
根拠のない自信の正体は、自尊心である
という話をしました。
前回の内容を踏まえて、
まとめると、こんな風になります。
まず初めに、自尊心とは、
自分に対する揺らがない自信のことです。
そんな自尊心を高めるためには、
ありのままの自分を受け入れる必要があります。
つまり、
自分に対する揺らがない自信をつけたいのなら、
「ありのままの自分を受け入れること」が必要だということです。
前回の記事で詳しくお話していますが、
仕事を頑張って成果をあげたり、
自分磨きをして、
屈強な体や美しい容姿を手に入れたり、
社会的な成功を収めて、
人から一目置かれる存在になったりしても、
根拠のある自信はつきますが、
自分という存在に対する、
深いレベルでの、揺らがない自信は手に入れることができません。
自分を受け入れるということ
あなたは、
ありのままの自分を受け入れられていますか?
ありのままの自分を受け入れることを、
心理学では「自己受容」と呼びますが、
※ここから、ありのままの自分を受け入れることを、
「自己受容」と言い換えることがあります
特に心に問題を抱えた人にとって、
自己受容することは、簡単なことじゃありません。
映画「アナと雪の女王」の歌詞でも、
こんな風に歌われていますよね。
歌の歌詞や、
アニメや映画などの物語の中でも、
「ありのままの自分」というフレーズは、よく使われますよね。
それはなぜかと言えば、
ありのままの自分を受け入れること(自己受容)が、
自分に対する深い自信を持つうえで、カギを握っているから。
では、本当の自信をつけるために必要な、
「ありのままの自分を受け入れる」ってどういうことなのか?
それは、
良いところも、悪いところも含めて
ありのままのこの自分を、
「これでもいいんだ」と心から思えること。
逆に言えば、
自分は仕事ができるから、
容姿が良くて、ちやほやされるから、
他の人にはない、こんな経験をしているから
etc..
こういう根拠は、
自己受容をするうえで、いっさい必要ありません。
むしろ、
自分を受け入れるための根拠があってはいけないんです。
根拠があるから、自分を受け入れられる
というのは危険です。
それは、
自分の悪い部分は受け入れられない、
つまり、ありのままの自分は受け入れられない
ということだからです。
自分が自分の母親になる
ちなみになのですが、
この記事は他の記事と比べて、書くのに時間がかかっていて、
それはなぜかと言うと。。
「自己受容」は体感することなので、
どう言語化すれば分かりやすく伝えられるか、
悩ましかったからです。
それでも、
いろいろと考えてみた結果、
こんな風に表現してみました。
ありのままの自分を受け入れるとは、
「自分が、自分の優しい母親になるということ」
なぜ、こう表現したかと言うと、
自己受容は、母性愛に似ているからです。
エーリッヒ・フロムの名著
「愛するということ」に、こんな記載があります。
たとえば、
あなたは勉強ができるから素晴らしいね。
あなたは何でも言うことを素直に聞くから素晴らしいね。
こんな風に褒めることが、
一概に悪いことだとは言い切れませんが、
でもこれは、
「条件付きの愛」ですよね。
なぜなら、裏返すと、
勉強ができないなら、あなたはダメだ。
言うことを素直に聞かないなら、あなたはダメだ。
そういう意味を含んでいるからです。
少なくとも子どもは、無意識のうちにそう捉えます。
母性愛の本質は、無償の愛です。
ただ、母親の子どもであるというだけで、
無条件に、自分の存在を受け入れてもらえる。
それが母性愛です。
自己受容は、
この母性愛に非常によく似ています。
自尊心が高い子どもを育てる母親は、
ダメな子どもでも、
つまり、自分の期待通りの子どもじゃなくても、
「それでも我が子だから」と、
受け入れるんです。許すんです。
それは、子どもを肯定するということではない。
「受容すること」と「肯定すること」は違います。
ダメなところは、ダメなところとして、
子どものことを、ちゃんと認識しています。
叱ることもあるでしょう。
もっとこうなってくれたらいいのに、
なんで言うことを聞かないんだ、
そうやって、
自分の思い通りにならない
子どもに対して、不満が募ることもある。
それでも、
そういうネガティブなところも含めて、
「これがありのままの我が子だもの」
と受け入れることができる。
そういう母親のもとでは、
自尊心が高い、
自分に対する揺らがない自信をもった子どもが育ちます。
何が言いたいのかと言えば、
自尊心を高くもち、
自分に対する揺らがない自信を手に入れるためには、
自分が、自分自身に対して、
母性をもって接することです。
自分が自分の優しい母親になる必要があるんです。
嫌な自分を、嫌なまま、
それでも受け入れる。
期待通りじゃなくても、
思い通りに動いてくれなくても、
そんな自分を肯定できなくても、不満があっても、
「でもこれがありのままの自分だから」と、
母親のように、自分が自分を許してあげられる。
決して簡単なことではありませんが、
それができたとき、
あなたはありのままの自分を受け入れることができ、
生きづらさから解放されます。
わたし自身、
アダルトチルドレンであり、
自己受容をするまでにかなりの年月を要しましたが、
今だから分かることがあります。
それは、
「自分が自分を受け入れられない」ことほど、
不幸なことはないということ。
2013年に出版され、
今でもベストセラーとして書店に陳列されている、
名著「嫌われる勇気」にも、
こう書かれていますね。
自分を受け入れることは、体感することです。
だからこそ、
言葉で説明するのが難しいのが、
「自己受容」というテーマです。
文章を読んだり、
人の話を聞いたりすることで、
理屈で理解できることではないんですね。
それでも、
「自己受容」については、
より詳しくお話する価値があると信じています。
長くなってきたので、
また別の記事で、詳しくお話ししていきます。
是非、また次回もお読みいただければ幸いです。
ご拝読、ありがとうございました。
また次回、お会いしましょう。
あなたに幸あれ。