身辺雑記:少年老い易く学成り難し
50代に入ってから長いこと鬱に苦しんだ。気分の落ち込みがひどくなっただけでなく、専門書はもちろんのこと、新書や文庫などの比較的読みやすい本でさえも読むことができなくなった。やがて、どんなに気分が落ち込んでいても読めたマンガでさえも手にとることさえ嫌になった。テレビやネットなどもまったく受け付けなくなった。
研究者の端くれとして一番しんどかったのは、言葉がまったく上がってこなくなったことである。仕事上というか、今や日常生活に不可欠なメールを書くことさえ困難になってきていた。
言葉が出てこない、言葉が浮かばないのである。
心療内科に通い始めて数年が経ち、少し症状が落ち着き始めた。
関係者配布の文章の作成
鬱になって以来、周りには迷惑をかけてきた。
ようやく言葉が上がってくる感覚がでてきた。何とか軽い文章なら書けるのではと思った。そこでリハビリも兼ねて、備忘録として自分の鬱の状況について書き留めることにした。
書き上げて、それを身近な人に配布することにした。
なぜか。
迷惑をかけてきた周りの人の理解を求めるためである。
もちろんこの後も後も山あり谷ありだったが、とにかく地獄は脱したという感じがして書き留めたという記憶が残っている。
掲載する、以下の文章「鬱になって」は、2007年、今から15年前に書いた文章である。
※この投稿は、「身辺雑記:なぜこの年齢でnoteをやろうと思ったのか」の続きである。
鬱になって
はじめに
数年前からひどい鬱症状に苛まれている。思考力も集中力も、そして、研究するのに絶対に必要な粘り強く考え続けるという持続力もない。
いじめを苦にしての自殺など青少年の自殺が目立つが、実際に自殺者が多いのは、50代前半、特に54歳の男性だそうである。鬱が原因での自殺である。私もその年齢だったので、すごく合点がいった。やはり、あぁそうかぁという感じである。
この年齢は、女性だけでなく男性も更年期障害にあたる頃である。それとともに鬱あるいはうつ状態になる人が多くなるそうである。
おかしくなったのは
自分でもおかしいなぁと思い始めたのは、頼まれた書評の仕事、わずか2,000字ほどの書評が何日かけても書けなかったからである。書評すべき本を読んでノートを取り、こういう方針で書こうと構成まで考えた。
これで一気に書けると思ったのに、頭が回らないのだ。締切は迫ってきているのに、頭が全然働かず、言葉が上がってこないのだ。
ちょうど春休みだったので、研究室に何日も泊まり込んで何とか書き上げたが、この頃から目に見えておかしくなってきた。
眠れない
まず眠れなくなった。どんなに眠れなくても明け方には眠りにつけていたのに、とうとう一睡もできないままに講義をしたり、会議に出たりということが多くなった。
とにかく寝付けないのである。あらゆることを試したが駄目だった。
もちろん全然眠っていないわけではない。夜の代わりに昼間に眠ることになる。もちろんそれは会議の途中や電車の中でのうたた寝であり、ひどい時にはゼミ生の報告を聞きながらウトウトしていた。
夜もほとんど1時間おきに目が覚める。だからいつも眠気がとれないし、身体はだるい。
講義がしんどい
大学の教員なので、会社員のひとほど仕事は厳しくないと思う。最低限のノルマとして、週3日の講義と1日の会議、それに大学行政という雑用をこなせば済む。自営や会社員の友だちの仕事ぶりと比較すると、天国みたいなものである。
講義をすることがしんどくなった。
教室に向かい、教卓の前に立つだけで脂汗が出て、めまいと吐き気がする。顔は青ざめ動悸が激しくなり、立っていられなくなる。学生さんには、事情を話して汗がひき、少し落ち着くまで待っていてもらっていた。
5分ほどで落ち着くので、それから講義を行った。しかし、先週何を話したのか、そもそも今日何を話したのかさえまったく覚えていないという有り様であった。
とにかくその場を乗り切ることが精一杯という状況が、相変わらず続いている。
あまりきつそうにしているからだと思うが、優しい学生さんが毎年、「先生、少し休講したら」と言ってくれる。
しかし、これまで一回も休講はしていない。私とほぼ同年齢の先生がいて、廊下で会えば立ち話をするような関係だったが、突然、休講が目立つようになった。聞いたら鬱で入院されていて、その後も、体調が思わしくないとのことだった。休職されていたが、結局、退職を余儀なくされた。というのも、私の勤めている大学では、休職は1年しか認められていないからである。
私も、一度でも休講をしたら二度と教壇には立てないだろうという確信があった。だから、どんなことがあっても講義は続けようと決心していた。
会議での暴走
学科会議や教授会では、些細なことが気になり、イライラするようになった。今まではスルーしてきたこと、つまり、まぁいいかと思えたことが、どうしても許せなくなってきた。我慢できなくなってきた。気づいたら立ち上がって執行部批判をしている自分がいる。暴言を吐いている自分がいる。弁は立つので、執行部案を何度も葬りさった。
感情の制御が効かないのだ。
大学という職場は、人間関係が狭く、なおかつ人間関係が濃い職場である。だから、社交性がほぼゼロの私は、先生方や職員の方々との「和」を重視してきた。いうなれば「八方美人」を、自分の生き方の方針としてきた。つまり、本来は波風を立てない人間なのである。
そんな私にとって、今の自分の行動は心外というか、まさに青天の霹靂である。
消耗
講義や会議などで自分の持っているエネルギーのすべてが奪われるという感じで、オフの日には何もする気力がなくなり、ひたすら横になっている。あらゆるものが物憂く、どうでも良くなってきている。
まず専門書が読めなくなった。まったく気力が湧かないし、読んでいても字面を眺めているだけで、全然頭の中に入ってこない。やがて、新書や文庫などの軽い本さえも読めなくなった。それどころか、ネットやテレビも駄目になった。外からの刺激が全然駄目なのである。
大学の仕事がある時以外は、引きこもってただ1日中うつらうつらしながら横になっている生活を続けている。
なぜ鬱になったのか
正直良く分からない。
分からないながらも考えてみるに、子どもたちもようやくにしてそれぞれの道を歩み始め、親としての責任は果たせたかなとホッとした頃からおかしくなり始めたような気がする。
しかし、これは、多分、きっかけにすぎない。
私にとっての一番のストレスは、「少年老い易く学成り難し」のような気がする。つまり、いたずらに年を重ねてきただけで、自分が何者にもなっていないことを自分で責めていた。自分の不甲斐なさと頭の悪さを呪っていた。思っていたように研究がまったく進まないこと、頭が動かないことに本当に苛立っていた。そのことを考え出すとまったく眠れなくなる。
次にストレスとして思いつくのは、講義である。
これが結構しんどい。
講義の日は、いつも憂鬱だった。行きたくなかった。
そもそも人とお喋りをしたり、人前でしゃべるのが苦手である。社交性もゼロの人間である。
虚弱児だったこともあり、小学校時代は友だちと外で遊ぶことが少なかった。図書室に入り浸って本だけを読んで過ごしていた。本が友だちだった。本を相手にしていればいいからという、実に安直な理由でこの仕事を選んだ。
そういう人間が、大勢の学生の前で講義することそのものが、そもそも間違いなのである。
もちろん、毎日働きたくない、東京の通勤電車は耐えられないという不埒な理由もあった。
心療内科へ
体重が激減した。72kgから58kgまでわずか数ヶ月で落ちた。もちろんダイエットはしていないし、普通に食べていると思っていた。それなのに傍目にも明確に分かるほど急激に痩せた。
私の体型の変化に気づかれた同僚の先生から、心療内科への受診を強く勧められた。体重の激減は、心の病が原因だという認識は、自分の中にはまったくなかった。それでびっくりしたが、アドバイスを素直に聞き、受診した。
睡眠導入剤と抗不安薬(いわゆる精神安定剤)、そして、抗鬱剤によって日常生活への支障はずいぶんなくなってきている。
睡眠導入剤を服用することで眠れるようになった。まったく眠れないか、眠れたとしても1時間おきに目が覚め、悶々としていた時のことを思えば、本当に天国と地獄の差がある。
抗不安薬によって、胸を締め付けられるような苦しみや不安、そして、過呼吸の発作からも逃れられるようになった。
なぜ休職をしないのか
会議や講義、そして、日常の雑用は人並みとはいかないまでも、まぁまぁ許容限界までにはこなせるようになったと思う。切れて激昂することもなくなった。
そう、思いたい。もちろんこれは主観的なものなので、家人や同僚の先生や職員の方、学生諸君から見ると相変わらずひどい状況かもしれない。
しかし、主観的には最悪な状況は脱したような気がしている。
講義が苦手なのはもともとだし、人前でしゃべるのはもっと苦手である。そうである以上、講義がしんどいという理由だけで一度でも休講をすると、もう二度と大学に戻れないと確信している。
「登校拒否」になるのは、目に見えている。
生来怠け者で、本だけ読んで暮らしたいと思っている人間なので、病気を理由に休職したら、二度と大学には戻れないだろう。失職は確実である。路頭に迷うことになる。まさかこの年で上野の森でブルーシート暮らしをする訳にはいかない。
それぞれの道を歩み始めたとはいえ、息子たちもまだ私の扶養家族である。かみさんは専業主婦だ。どうしてもクビになる訳にはいかない。だから、とにかく必死に講義を続け、会議にも出ている。
終わりに
薬のお陰で何とか日常生活を取り戻しつつある。
しかし、研究者として一番肝心な思考力、集中力が全然戻ってこない。文が一行も書けないという状況が長く続いている。
意欲と集中力、そして、何よりも研究にとって不可欠な持続力が戻ってきていないからである。
抗鬱剤の量は、ずっと増え続けている。
付記:研究論文はまだ全然書けないものの、こういう短い文章なら何とかなるところまで状況が改善しているのも事実である。これは、自分の病気と状況についてのメモである。(2007年)
最後に:抗鬱剤の副作用?
もっと短い文のつもりだったが、転記していたら十分に長い文章だったので自分でも驚いている。最後まで読んで頂いた方、本当に申し訳ないです。
現時点(2022/07/15)での感想だが、書いていることの矛盾というか、時間の順序が逆になっているというか、因果関係が逆になっていることに気づいた。そのことを書き留めておきたい。
会議での暴走というか、会議で切れていたのは、明らかに心療内科に通い、抗鬱剤を処方されて大量に飲んでいた時期のことである。
鬱状態の時、自分が鬱だと自覚していない時には、ただただ鬱々としていただけで、教授会でもおとなしかったという記憶がある。
もちろん正確なことは当時の同僚の先生に聞くしかないのだが、明らかな挙動不審になったのは、通院が始まり、病状が全然改善しなくて、抗鬱剤の量が増えていた時期のことであるのは確かだ。
抗鬱剤の副作用で人格が変わり、今までしなかったようなこと、例えば、万引をしたり、公衆の面前で暴言を吐いたり、問題行動を起こしたというニュースを見て、自分とまったく一緒だと思った記憶がある。
このあまり楽しくもない、長い文章に、最後までつきあっていただいたみなさん、本当にありがとうございました。