自分らしくにとりつかれないで
こんばんは。松澤です。
現代社会で求め、求められている生き方。
「自分らしく生きること」
この言葉に閉塞感を感じなくなったのは最近のことです。
このフレーズを聞くと必ず浮かぶ疑問があります。
「自分らしさ」ってなんだろうか、です。
人見知り、素直、レトロが好き、会話が苦手、、、
このキーワードたちは確かに自分の現在を表している言葉です。
でも、CMとかに出てくる芯が見えるかっこよい「自分らしさ」ではありません。
正直、自分らしさをこれらの言葉で定義したくないという気持ちは今でも強いです。
それはおそらく自分の今を受け入れて、好きだと本心から思えないから。
「自分らしく」ありたくない、と思っているからなんじゃないかと。
でもやっぱり「自分らしく」いられるように生きたいと思う矛盾した気持ちがあって、苦しくなってしまう時があります。
そんな時は一度、寝たり読書したりリフレッシュして自分のご機嫌をとる。
それから、自分が「将来どう生きたいか」を考えて、それを達成するために過ごしてみる。
さっきの自問自答を「どう生きたいか」に置き換えると、すごく楽になるんです。
現状に満足していない時は将来満足するために今の時間を、未来の自分に投資する。
そうやって最終的に「自分らしさ」然り「自分」を好きになれたら、幸せを噛み締めることができるんじゃないでしょうか。
少し話は変わりますが、数ヶ月前に、初めて自分は生きていて100%幸せだと公言する人に出会いました。(その人とは色々あって、個人的には裏切られたと感じる一歩手前までの感情を今持っているんですがその話は置いておいて。)
その人が言ったのが「幸せな人じゃないと人を幸せにできない」です。
今でもこの言葉に完全に共感はできてはいないです。が、一理あるとは思います。
というのも、心の底からハッピーと思っている人ってそんなに多くないと思うし、現状に不満がある人たちだって人を幸せにしていないとも思えないのです。
だから、「幸せな人」というのは「幸せになろうとしている人」と言い換えてみたらどうかなーと、その言葉を聞いたのちに思っていました。(ただこれは「幸せな人」が眩しくて、無意識に自分を守るために考えたことだとも感じています。)
長くなりましたが、またがんばるぞ!と勢いつけて今日は終わりにします。
こーんななんとも言えない話を最後まで読んでくださってありがとうございます。
実は今日割と落ち込んでいたんですが、自分の思考を整理してnoteに書くうちだいぶ落ち着きました。
文章を書いてるはずなのに、誰かに相槌されながら話を聞いてもらっている感覚になるんですよね。
noteって不思議です。
今日は古本屋の店主になって山積みの本に囲まれながら読書する夢が見たいなあ。
おやすみなさい。
松澤