noteを始めるにあたってまず自己紹介を始めるのが一般的みたいですね。 私も例に漏れず自分について紹介していきたいと思います。 突然ですが、「傘をさすネズミ」はご存知でしょうか? 動物園にはいません、ゲゲゲの鬼太郎のネズミ男でもありません。 そうです、私のアイコンのやつです。 世界を股にかけるストリートアーティストバンクシーの作品で、 少し前に東京でも同じ作品が現れたと話題になりました。 小さなネズミが洒落たカバンと傘をさしてどこかへ行こうと、あたりを見回してる
こんばんは。久しぶりに泥酔の夜です。 お酒を飲みながら聞く音楽は不安を全て吹き飛ばせるくらい強い力を持っています。 最近の私は、仕事と友人関係、家族の問題でがんじがらめでした。 私は誰かの不安を重く捉えてしまうようで、でも相談してくれることが嬉しい気持ちもあって、真正面から受け止めようとしてしまいます。 すべての問題が私に重くのしかかりました。 私が誰かから受け取った不安は、反響し増強し私の心で大きくなって、身近にいる誰かに相談したくなってしまいます。 でも大切な人に
彼が亡くなって1年と9ヶ月の間、心の隙間で誰かが死ぬことの軽さや重さを考えていました。自分の死生観がわかり始めた時からは何が正しかったのか、私はどのように折り合いをつけていけばよいのか悩んできました。 やっと心の整理がついたので、ここに書きます。 誰かに見て欲しいわけじゃないけど、心の変化を残しておきたいからです。 彼とは書きましたが、彼氏または恋仲だったわけではなくネットで出会った男性だったと言うだけです。ただ友人と呼ぶには共有できる思い出が少なく、心の距離は親密すぎま
「めがね」という映画を観た。 とある春の穏やかな海。黄昏れにきた人々が砂浜のベンチに何をするでもなく座っている。南の島のペンションの一幕が、なまぬるい風と共にのっぺりと画面に流れ続けていた。 日常からワンテンポ以上遅い時間の流れが心地よかった。桃源郷かと思った。研究室を抜け出して通った喫茶店や大学最後のモラトリアムに過ごした五島の海辺を思い出す。ぼけっと何もするわけでもなく時間がすぎ、全てを手放せる自由な場所。 熱すぎないコーヒーに角砂糖を入れた時、すっと溶けて一体化して
別になんの記念日でもないのだけれど、自分が書いてきたたくさんの記事を読み返してニヤニヤする日ありますよね。 遠い昔に書いた文章の7割は読み返すと恥ずかしいもので、残りは「意外といいこといってんじゃん」な言葉たち。学生時代の黒歴史さながらの羞恥心を抱えながらも、積み重ねてきた文章たちが今の私を形づけているのが嬉しいです。 私が精神的に成長できるように向き合う時間をくれたのは「文章を書く」作業でした。数年前にはふんわりとした表現しかできなかった気持ちが文字に書き起こしていくこ
今日上司に、自分の息子がADHDグレーっぽいと言われました。 相談事じゃない日常会話でふと現れた「あーでーはーでー」 どう返したらよかっただろうか。 また別の日常会話。 同期との会話でふとバカにされる。 「おまえADHD(あーでーはーでー)じゃん」 同期曰くあーでーはーでー、と言い換えることはADHDをオブラートに包んでいる。と言われたが結局バカにされている。 どう返したらよかっただろうか。 ADHD。 この言葉で傷つけられる自分であってはいけないし、この言葉で他人を
松澤です。恋人ができました。 最近気がついたことなのですが、私がどこかに文章を残すのは自分と向き合うためです。誰かに語りかけているようで自分で自分を解釈するためにまとめているようです。だから面白いんです。という言い訳をして、本題に入ります。 これまで、恋というものがわからないと言い続けた人間に恋人ができました。noteに数多き反色恋談義を繰り広げてきた私に、です。 去年の11月、死ぬことと決別して生きてみようと思った日から半年が経ちました。その半年間私の中で一人で生きて
成功したい、何かを成し遂げたい。 その思いはとうに消えた。大学に入った頃は少しくらい期待していただろうし、「期待」くらいの淡い脆いものなのだから。 灯火はバースデーケーキのキャンドルを吹き消すたびに薄れていった。青春は夢を見させて遠ざかってゆく。耐え難かった早起きも今では得意科目である。これから何を守っていくのだろう。今のままでもどうにかなるし、この先それが壊れてもどうにでも流れていけるだろう。希望的観測が私の背中にびっしりまとわりついて離れない。固い鱗に守られた私は川の底を
先日、思いがけず「多摩霊園」を散策した。運転免許取得のための学科試験を受けに行ったのだが手続きに数時間の待ち時間が生じた。府中の運転免許センターの周りにはご飯屋ばかり。一食分の昼食を食べたら、それらでは時間潰しできなくなった。手持ち無沙汰の私は墓場のパレードに誘われる。 多摩霊園は碁盤の目の車道が張り巡らされており、広大だった。おそらく日暮里近くの谷中霊園より広く、また整備されている。灰色の石柱の住処は区画に分けられている。数区画ごと立ち現る木々生い茂るオアシスとそこから伸び
社会人になって私は変わるだろうなと薄々察していたが、思惑通りに学生の多感な時代とは違う感覚が巡っている。 端的に言うと、適当な人間になった。 人間関係にうまくいかなくてもどうでも良くなった。 雑念は通り道のコンビニに捨てて、家に帰れば好きな本をまどろみながら読んで満足できる。 たまに捨てきれなかったゴミがスーツのポケットに溜まるから週末に掃除して、安寧を維持している。 バランスが崩れてしまえばあっという間に洗い流されてしまうような生活の上に乗って生きられている。 心の隅
また治りかけの傷口に塩を塗る。傷口は瘡蓋をとりさらわれじゅくじゅくした赤い肉をさらす。 遠い昔の冷たい記憶、フリーズドライで仕舞い込んでいたはずなのに何かの拍子に水滴をあび、心を占拠していく。 スポンジのようにじわじわと水分を吸い、あの頃の私が姿を表した。 息がしづらく胸が苦しいのだけれど、この痛みを取り去る方法を私はまだ知らない。 ハーブティーを飲むだとか、美味しいご飯を食べるだとか、旅行に行くだとか、そんなことはある程度の余裕があるからできるんだ。苦しみに行き着く時の兆候
こんにちは、松澤です。 最近、立原道造と北園克衛という詩人に出会いました。 立原道造は私の心の友として、北園克衛は詩に挑む姿勢を見せてくれた人物です。 立原は大正から昭和初期に活躍した抒情詩人で、私と同じ歳24歳に夭折しました。彼の詩は常に自然の美しさを見つめているようで、その先に遠い世界を夢見ているような作品ばかりです。それは彼自身が抱える希死念慮とのせめぎあいにあるように感じます。 思い出と忘却、立原の目指した夢に希望を抱きつつ、同時にそれが現実でないことを嘆き、生
私に出会った時に何故だかわからないけど魅力を感じてくれる人がいます。 よくわからなそうな顔をしてそれでも近寄ってくれる人がいます。 逆も然りです。 私が他の誰かにそう思うこと多々あるのです。 それはファーストインパクトに得る何か。 放つ雰囲気、発する言葉の香り。 本当によくわからない顔をして、何かに期待して話しています。 私の中にある何か、注釈をつけるように解説していきます。 でもそれは実は私にもよくわかっていないのです。 よくわからないことを解説しようとして、あ
2年半越しの続編です笑 全然書くつもりなかったのですが、何故か出来上がりました。 あれはいつであったか。 夏の香りに空気がのぼせ上がる少し前、「あの時」私たちは海にいた。 日本海には薄雲と灰色がよく似合う。 砂浜に向かう道の前、ゴツゴツとした岩場に足が絡んだ。 初めてお互いの手に触れたのは、そんな私を助けてくれた時であった。 暖まりきらない風が体を通り抜ける季節でも君の手はとても熱かった。 打ちつけては引いていくそんな波際で私たちは静かに歩いていた。 海を見ているようで私
「なんのために生まれて なにをして生きるのか」 必然性をなくして人生は立ち行かない あんぱんまんは私たちに問う 愛と勇気が他人を救う そんなことはわかっている だから誰かに寄り添う でも助けることは難しい 何を救えたんだかわからないまま投げ出す 訪れる孤独と無力感 また問いかける 今目の前にいる人 困っている人 大切にしたい人 そんな人たちのためだけに生きることができたらどんなに幸せでしょうか。 「命の星のドーリィー」 友人に勧められて観たあんぱんまん映画なのです
つい先日の地震で部屋が荒れてしまったのでついでに掃除をしていたら出てきた走り書きです。 書いたのはおそらく大学1年の冬あたり。 この文章では、、、「内なる自己」と「外部へ出力されている自己と認識され得るもの」が異なっているために自己を定義できずにいる。 また現実を生きていると、他人から認識され自己を判断される瞬間(=他人との関係性の構築)がないと私は現実に存在していないのと同義である。 ゆえに「内なる自己」など存在せず、外部から見られる私こそが本当の姿であると結論づいていま