あなたに好かれなくても私は案外大丈夫なんだから。


私には自爆ルートがある。

それは、恋人や異性の快・不快を
自分の判断の軸に据えてしまう
こと。

同性友人には
遠慮なく自分をさらけ出せるのに、
いざ恋人を持つと、
それまでの2人の関係性にかかわらず
無意識に顔色を窺ってしまう。

この人を失いたくない、という感情は
誰にも少なからずある感情だとは思うが、
どうも私の場合は、
これが強迫観念になっていることが問題らしい。


原因は多分、家庭環境。
私の父は典型的なモラハラだった。

普段は普通に会話ができても、ひとたび
父の機嫌を損ねると場の雰囲気が張りつめる。

巻き舌で声を荒らげることもあったし、
手を上げられることも珍しくなかった。

詳しくは割愛するけれど、
(時には私には関係がない出来事による)
機嫌の良し悪しで
当たられたり人格否定をされたり、
何か結果を残さないと認められないという
焦燥感を常に抱えて
育てられた自分が
自己肯定感なるものを健全に持てるわけもなく。

自覚をした現在でも、
未だに私は恋人の顔色を窺って
完璧に理解して不快にさせないように努力して
“失敗”して振られる。



連絡の頻度
自分の意見を言う匙加減
相手の気分が良くなるような甘え方
相手は自分のどういうところが好きなのか
相手は自分に何を投影しているのか
相手の好きそうな彼女像にどうやって近づくか
疲れてそうな時は声をかけるか放っておくか
相手の地雷は何か、どういうことで怒るのか

全部全部を先回りして。
極力ミスをしないように、ミスをしないように。
いま軽く書き出しただけで、
あまりの不健全さにぞっとする。

こんなに常に考えを巡らせて緊張して
どうやって私は恋愛を楽しんでいたんだろう…?

(ちなみに大学に入ったばかりの頃の私の
  恋人に求める条件は
・暴力を振るわないこと
・泣くことをなじらないこと
・相手の大切な人やものをバカにしないこと
クソ真面目にこれを挙げているあたり絶望だ。)





そしていくつかの恋愛を経て
つい最近、少し開き直った。

というか
恋愛的な意味で向き合う男性というものに
すっかり期待や信頼感を失ってしまった

どうせ私のことなんて
すぐどうでもよくなる人だ。
それなら私だって、
そんなに一生懸命
気を遣わなくていいんじゃないか。

ちょっと歪んでる気もしなくはないが
顔色を窺わずに接するという意味では
やっとここまでたどり着いたような。



そうして私は
現在親しくなりつつある人に
そのスタンスで連絡することを心がけ始めた
(実験的でごめん)。

○返事を一言で返すことを怖がらない。
(「はい!」「ありがとうございます!」)

○返信のペースに気を配らない。
(相手は10分間隔?1時間間隔?何でもいい)

○何十分も文面を練らない。
(こんなもんか、まぁいっか!の精神で気楽に)

○LINEが途切れてもそのまま。
(あくまで連絡手段だし)

○でも声をかけたくなったら自分から送る。
(我慢のしすぎはメンヘラ化の元!)


するとどうだろう。
今までのように温度が盛り上がる加減は低いが
自分の心にゆとりが(少し)生まれたではないか。

あぁ、なんだ、こんなことだったのか。

ちょっと気を遣うのをやめたくらいでは
私は嫌われたり見捨てられたりしなかった。

気付いてしまえば後は何てことはない。
時々消しきれない昔の癖が出て
「馴れ馴れしすぎたかな」
「さっきの言い方じゃ誤解された…?」
なんて悶々とすることはあるけれど
少し待てばちゃんと普通に返事は来るのだ。


そしてもう一つ。
気を遣う割合は格段に落ちているのに、
好かれなくても大丈夫だと
確かに思えるようになってきた。

私は多分、
全力で先回りして相手を思いやって心を尽くし
その結果として自分が受け入れてもらえないと、全てを否定された気分になるという
負のループを繰り返していたのかもしれない。

今は無責任なくらいにこう思える。

私のこと好かんって?
私もほどほどにしか大切にしてないから
それはしょーがないわー(笑)


うーん。
やはり健全じゃないような気もする。
だけど、まずはここから始めよう。

あなたに好かれなくても 私は案外大丈夫。

そのことが体に染みつくまではもう少し、
いい加減で気ままな“猫”をかぶった私のままで。

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