『マリウポリの20日間』命を他者に掌握される感覚。情報の断絶。その恐ろしさ。
『マリウポリの20日間』を観た。
まず、とにかく全員観てください。
お願いします。
ウクライナ東部マリウポリに残り、悲惨な戦争の現場をウクライナ人ジャーナリストが記録したドキュメンタリー。
嫌だ、つらい、やめてほしい、許せない、助けて、どうすれば、という感情が止まらなくなる。目を覆いたくなる場面も多いが覆っていいわけがない。
ニュースやSNSで見かける戦争の映像は、断片的で、一つ一つがイベント化している。
が、現実は常に砲弾の音が地響きとして鳴り続け、いつ終わるのか、誰からの攻撃なのか、一体何が起きているのかすら把握できない時間が永遠のように続く。
ロシア軍は、水や電気などのインフラを断ち、さらに情報を伝達させないようにして、孤立を促す。誰が悪いのかも分からず、ただ途方に暮れる。
情報がないと混乱が生まれる。
ガラスの割れた店に盗みに入る住民たちとやめてくれと懇願する店主。
何が起きているかわからない住民の中には「ウクライナ軍による攻撃だ」と言う者もいる。
情報は人間にとって最も重要なインフラである。チェルノフさんらジャーナリストは、そのインフラの最後の望みであったと言える。
スタッフロールが流れている間、空襲の地響きのような暗く低く恐ろしい音が鳴り続けていた。連続的なその音は一つ前の音が頭や耳から離れる前に次から次へと迫ってくるかのように鳴り響いていた。
地下シェルターで隠れていた人々は、何が起きているのか、いつまで続くのか分からないこの音を、嫌になることに飽きるほど聴き続けたのだろう。
「映画は記憶を形成し、記憶は歴史を形成する」という監督の想いを、1人でも多くの人に知ってほしい。
追記
隣のシアターで『オッペンハイマー』が上映されていた。
ドアの前に張り紙。
「この映画は原爆投下を連想させる描写があります」と。
こちらのシアターにはそんな張り紙はない。
『マリウポリの20日間』には「連想」もくそもない「現実」の「戦争」が写されている。
言葉にできない想いだった。