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『レミーのおいしいレストラン』を観たら、伝統を守るためには変化が必要と教えてもらった件
初めて『レミーのおいしいレストラン』を観た。
評判がいいのは知っていたが、前半終わったくらいで、アニメーションの楽しさやパリの街並みの表現が素晴らしくてその辺りがハイライトなのかなと思ったらそんなことはなかった。
イーゴが訪れてからの後半の畳み掛けがあまりにも素晴らしかった。
イーゴの評論が全て。痺れた。
以下引用。
評論家の仕事は総じて楽だ。
リスクも少なく、立場は常に有利だ。
作家と作品を批評するのだから。
そして辛口の批評は我々にも読者にも愉快だ。
だが評論家は知るべきだ。
世の中を広く見渡せば、平凡だと書く評論よりも、平凡な作品の方が意味深い。
稀に、評論家である我々がリスクを冒すべきときがある。
新しいものを発見し擁護するときだ。
世間は新しい才能に冷淡であるため、新人には支持者が必要だ。
自らの知っているもので満たされた安定した社会に、突然他者が現れたとき、人は動揺してそれを排除しようとする。
そんなときに新しい価値観を見つけ擁護しようとするリスクテイカーがいてこそ共存の第一歩となる。
明らかに保守的なキャラクターとして描かれていたイーゴが、イノベーションの初期受容者となり社会に変化をもたらした。
田舎の伝統料理であるラタトューユを出すフランス料理店がなくなったいま、その伝統を守るためには新たなものを取り入れなければならないという逆説的だが実際的である構図が妙。
社会の同質性は変化によってもたらされるのだ。