【書籍紹介】没頭こそ本質かもしれない。『三流のすすめ』
三流のすすめ
安田登 著 2021年
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三流をめざすと、何もものになりませんし、ほとんどのことは役に立ちません。
(中略)
しかし、周囲の期待もない分、プレッシャーもない。そして、なんといってもやっていること自体が楽しい。楽しくて、楽しくて仕方がない。それが三流です。
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日本人は「一流」が好きです。
たとえばイチローのお話。
小学校6年生のときに「一流のプロ野球選手になる」と作文を書き、一年のうち360日間は練習を欠かさず、オリックス4位指名での入団を果たし、日米通算27年間のプロ選手人生を全うしたのは有名すぎる美談。(すごすぎる)
道徳教育のなかの「一流の人」を無意識に内面化し、自分はもっとがんばらなきゃ…と思う大人も多いはず。
(プロになれるスキルを提供しますとは名ばかりの情報商材で経済がまわっていく世の中もいやだけど。。)
とはいえ、そんな「一流信仰」は
時代や文化が違えば意味をなさなくなります。
古代中国の魏では、国体(国全体を統治する役目)を任せられる人は「三流」であるべきとされていました。
「一流」の人は、ひとつの観点から人や事物を評価するから。その結果、アンバランスな国家体制になってしまうのを避けたかったのです。
『論語』で有名な孔子は「三流」でした。
弟子に「穀物の作り方を教えて」と問われると「老農のほうが詳しい」といい、「野菜の作り方を教えて」と言われると「老圃にきいて」といいました。
孔子は自身のことを「多能」と称し、「プロではない」ことを自覚していたのです。
プロを目指さない彼らはなぜ、学び続けるんだろう?
何者かにならねば、という「一流信仰」の視点が顔を出すと、そんな問いが浮かびます。
本書ほど、「三流」にまつわる教養が雑多につまった本はありません。
アサジョーリの心理学、二宮金次郎の心田開発、古代中国史、故事成語…
雑多な知識によって好奇心の扉が開かれていくと
「なぜ学ぶのか」よりも「おもしろい!」という感覚が強くなり、どんどん読みたくなってくる不思議。
著者・安田さんは、能楽師でありながら、古代文字(甲骨文字、シュメール文字、ヘブライ語)を習得し、朗読劇や寺子屋など様々な活動を行っている「三流」人です。
「この人、よくわからんけど楽しそうに色々やってるなぁ」
って感じの人、周りにいませんか…
本書の雑学や安田さんの経験談から、その思考回路が理解できるかもしれません。
(自分に心当たりのある方も、深い共感があるかも)
周りからの評価や将来の不安に左右されるのではなく、「今の自分」が没頭できることに取り組む。次に面白いことが見つかればそっちにいってもいい。
その繰り返しで、自分の感性が赴く方向性がみえてくる…いや、分からなくなっても面白いかも…
結局、何流でもいいんだけど
自分がほんとうに喜びを感じることを続ける、それだけなのでは。
イチローも、自分が続けられるペース配分を知っていて、たのしく没頭してただけなのかもしれない。と想像してます。
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