まだ沈まない
よくあるパターン。
そういう奴いるなぁ。
似たような人間ばかり。
「その他大勢」に分類されたら、僕は嫌な気分になる。「庶民」とか「大衆」、「民衆」、などという言葉は、自称する時は平気で使うのに、他人にカテゴライズされたら腹が立つのだ。
そんな事を思う理由は、自分が特別でありたいからだ。かといって、自分で何かを得る事を面倒くさいと思うのだ。
欲しいモノだけを欲しいといい、それを得る手段について、僕はぼんやりしている。「あんなこといいな。できたらいいな」ぐらいだ。
常識はずれな事はしたくない。キチガイだと思われたくない。凡庸でもいい。
無難に生きているくせに、成果だけはほしい。
特別と凡庸の間で、僕は個性という社会的な虚像を試行錯誤して、演じている。
大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、その事に苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべてての人の事である。
『大衆の反逆』 オルテガ イ ガゼット
オルテガのいう「大衆」は幻想だ。
イメージでしかない。そんな存在に自分を合わそうとしていくのは不可能な事だ。実体がないのだから。
それでも、僕は異端を拒否して、凡庸に憧れるのだ。オルテガが言いたいのは、その思念自体が大衆だという事だろう。
凡庸である事を自覚しながらも、権利だけ主張する。そういうのが大衆の典型だと思う。
時々、美術館の刀のような人がいる。見ている分には美しいが、突き付けられると怖いというやつだ。
何が言いたいかと言うと、自分が得たいものを、自分で得ている人だ。
そういう人は最近増えている気がする。
凡庸である事は悪ではない。でも、何かの責任を負わずに、無償で何もかもを欲しがっている事が悪だ。
僕はそんな悪に沈みそうな環境にいながら、もがいている。
まだ、溺れていない。
まだ、空を見ていたい。
一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!