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【アジア横断&中東縦断の旅 2004】 第15話 新疆ウイグル自治区

2004年9月10日 旅立ちから、現在 251 日目

西チベットの奥地に鎮座する聖山カイラスへの巡礼を終え、再度ヒッチハイクで西チベット唯一の町アリへ戻り、10日ぶりにシャワーを浴びてようやく一息ついたのもつかの間、再び奥地にあるグゲという遺跡を目指した。

グゲ遺跡周辺は原始地球そのままというような風景が広がっていた。
出会った旅人がグゲはグランドキャニオンの100倍凄いと言っていた。
私はグランドキャニオンに行ったことがないので比較はできなかったが、今まで見てきた風景の中でもトップレベルの壮大さであることは間違いなかった。

ヒッチハイクした運転手の食事休憩待ち
グゲ遺跡
グゲ遺跡周辺



チベットに入ってから約1ヶ月が過ぎた。
標高4,000mを超えるこの天空の地から、そろそろ「下界」へ降りて次の国へ向かわなければならない。
まずは中国最西端のシルクロードの要所であるカシュガルへ向かい、そこからクンジュラブ峠を抜けてパキスタンに入り、そしてイランへ向かう。

目指すはアジア最西端の都市トルコのイスタンブール。

今回の旅の最大の目標であるアジア横断達成の具体的なルートがようやく見えてきた。
私は安宿のベッドの上で世界地図を広げながら今まで通ってきたルートをペンでなぞり、その先のルートを頭の中で描いた。

早朝、カシュガルへ向かう車をヒッチハイクするために早起きして表通りへ向かった。
1時間に数台しか車が通らない道で6時間粘り、ようやくアリからカシュガルを経由して内モンゴル自治区へ向かうというトラックを拾うことができた。

轍にはまる

チベットからカシュガルへ向かう道の途中、アクサイチンエリアと呼ばれる中国とインドの国境紛争地域を通過した。
この荒野は現在も中国が実効支配している。
中国は国境を接している多くの国々との領土問題を抱えているが、それすらも外交戦略の一手段として利用してしまう中国政府のしたたかさに、やはり文化や価値観の違いを感じざるを得なかった。

トラックの狭いキャビンに無理やり座った状態でいくつもの峠を越え、曲がりくねった未舗装の砂利道に揺られ続けて、一睡もできずに丸36時間が経ち、意識朦朧としてきた頃に砂漠の闇の中に明りが見えてきた。それがカシュガルだった。

カシュガル新市街 こんなところにまで毛沢東像が。しかも巨大


シルクロードのオアシスと呼ばれるカシュガルは、新市街は中国の他の都市と変わらない人工的な景観だったが、旧市街の方に行くと昔ながらの魅力溢れる古い町並みがまだ残っていた。
迷路のように入り組んだ細い路地を入っていくと広場があり、その中心部に大きなモスクがあった。

旧市街のモスク


そこで祈る人々は中央アジア人特有の毛深くて彫りの深い顔立ちをしており、イスラム教徒ならではの小さな帽子を被り、アラビア文字を用いたウイグル語を使用していた。
モスクのスピーカーからはアザーン(礼拝への呼びかけ)が大音量で流されていた。
表通りではラクダに乗った商人や、ヤギや羊を追いたてる老人が声を張り上げていた。
隣のバザールでは絹、銀細工、ドライフルーツ、羊…等、様々なものが雑多に売買されていた。ここはもう完全にイスラム文化圏で、現在中国という国家に属してはいるが、いわゆる「中国」とは明らかに違う世界だった。

羊を売る老人
肉屋の兄さん


カシュガルで数日間のんびりと今までの旅の疲れを癒し、いよいよ次の国パキスタンへ向かうことにした。

だが、ここでひとつ問題があった。
私の持っているパキスタンビザはネパールのパキスタン大使館で取得したのだが、チベットを1ヵ月以上旅しているうちに有効期限が切れてしまっていた。
国境で再取得できるという情報もあったが、一方で、その制度は変更されたという情報もあり、誰に聞いても正確な情報を得られなかったので、ならば、と直接国境へ向かうことにした。
もし入国不可ならばこの先大きくルートを変更しなければならない。
私はどきどきしながらパキスタン国境行きのバスへ乗った。

国境へ向かう
中国・パキスタン国境


峠の国境で、隣国を行き来するパキスタン人、ウイグル人の長い列に並び、ようやく私の番になった。
係官にパスポートを差し出すと、案の定「期限が切れている」と言われた。
なんとかならないかと頼み込むが、しまいには「北京で取ってこい」と言われてしまった。
今更旅のスタート地点の北京に戻るわけにもいかない。
だが、ここにいてもどうすることもできないので仕方なく国境の宿で一泊して、翌日カシュガルへ戻った。

どこか近くでパキスタンビザが取れないかと調べまわったところ、どうやら北の隣国キルギスの首都ビシュケクにあるパキスタン大使館で取れるかもしれない、との情報を入手した。
幸いキルギスへ入国するのに日本人であればビザは必要ない。
全く予定していなかった旧ソビエト連邦圏の未知の国キルギスだが、ここまできたらダメで元々だ。

翌朝、キルギス国境行きのバスに乗るために日の出前に宿を出てカシュガル郊外のバスターミナルへ向かった。


続く
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