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【美術展2024#63】内藤礼 生まれておいで 生きておいで@銀座メゾンエルメス フォーラム

会期:2024年9月7日(土)〜2025年1月13日(月)

エルメス財団は、今秋、「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」を開催いたします。
「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」を、一貫した問いとして作家活動を続けてきた内藤は、光や影、水や大気のうつろいがもたらす生と死のあわいに、日々見過ごしがちなささやかな事物や情景、知覚しがたい密やかな現象を「根源的な生の光景」として、私たちの中に結び付けることで、深い体験をもたらします。
本展は、東京国立博物館にて、9月23日(月・休)まで開催されている同名の展覧会と一連の流れを持って構想されたもので、会期を一部重ね合わせながら、ひとつの大きな円環を描くというかたちで展開いたします。
  〜中略〜
過去に生きた人に出会うことができないように、未来に生きる人にも、昨日や明日という時間にも、私たちは今、物理的には出会うことはできません。だからこそ、内藤の「生まれておいで 生きておいで」という呼びかけが鑑賞者の地平に現れるとき、太古から続く自然や命への畏れや祈り、それによってもたらされた創造の力や精神世界への共鳴を、風景の中に認めるのでしょうか。そして、未来へ向かういかなる生もが、慈悲と祝福の息吹で満たされんと希求するのでしょうか。

銀座メゾンエルメスフォーラム


トーハクと並行して行われる銀座展。

トーハク展のnote ↓


銀座界隈を久しぶりに歩いた。
昔はよくギャラリー巡りをしていたのでこの街を歩いたが、ここ10年くらいは用事があっても車で乗りつけて街を歩くのは最小限になっていたのでなんだか街歩きが懐かしい。
そういえば学生の頃銀座でアルバイトしていたこともあったな。

久しぶりに界隈を歩く


さて、内藤礼の銀座展会場は銀座メゾンエルメスフォーラム。

ここ銀座に合った素晴らしく美しい建物なのだが脇の標識はどうにかならんもんか。
さらにはここ数年見晴らしが良かったのに、真横のソニーパーク跡地にでっかい建物が建っちゃって、有楽町方面からの遠景ではビル全景を見ることができなくなっていた。
せっかく巨匠レンゾ・ピアノの名建築なのだから街全体でもっとその資産を活かすとか…まあ無理か。

会場へはこちらのエレベーターから。

会場入口は8階。
館内はトーハクに続きやはり撮影禁止。
スタンスブレないねえ

会期始まったばかりの週末なのでそれなりに人が入っている。
エルメスのついでに来てみたマダム、なんとなく紛れ込んでしまった外国人、アート系大学生、モード系専門学生、サブカル系ニキ、意識高い系OL風姉さん、古美術愛好家おばはん、現代美術好き好きオヤジ(私はこれか)、銀座の画廊巡り系カタブツじいさん、チャラいカップル、子連れ親子、トーハクからのシャトルバスでやってきた方々、等々多様な客層が入り混じりカオス状態

普段絶対にエルメスなんて来ないだろうなと思われる(まあ私も来ないが)、クセつよ系ウンチクおじさんがスタッフのお姉さんを次から次へとロックオンしてしょーもないウンチクをダラダラと語り散らかして困らせていた。
もちろん男性スタッフには絡まず。
お姉さんうまいこと相づちを打ちながらテキトーに聞き流す。お疲れ様ッス。


ここ銀座展では、トーハク展には無かったものが登場していた。

くしゃくしゃっとした雑誌のページ

木製の小さな人形

それらを都会の雑踏の中にひそやかに忍ばせる。


う〜ん…。
わかるんだけど、やっぱり、なんか、その、こういう感覚って皆さん多かれ少なかれ実は日常の中ですでに体感したり実践したりされているはずなのではなかろうか。

それこそちょっと街歩きをしている時だって、電車に乗っている時だって、部屋にいる時だって、視点を変えればいくらでもひそやかな発見や感動がある。
もっと直接的に、街の喧騒を離れてキャンプなんかに行ってみた日には、そよ風、木漏れ日、川のせせらぎ、虫の鳴き声、夜露、霧、朝日などなど本物の自然を通していくらでも生の実感を味わうことができる。
蚊が嫌だ、虫が怖い、テントじゃ寝れない、とか言う人は無理かもしれないけれど。

自分のスタンスやアンテナの張り具合でいかようにも日常の風景を名画の一枚や、ドラマチックな映画のワンシーンに変換したりして、喜びに変えたり世界の解像度を上げたりすることができると思うのだが、皆さん違うのかな。
まあ心に余裕がないとなかなかそういったモードにはならないか。
だからわざわざ美術展に出向いてスイッチを入れて内藤礼の作品を見て癒やされる〜という気持ちになる人も多いのかな。
場を与えられて意識させられてようやく気付く。
本当はもっと身近にリアルな喜びや幸せは溢れているのに。

会場では小さな子供が宝探しをするようにひそやかな作品を探していた。
見つけた時の嬉しそうな顔。
多分、それだけでいいんだと思った。



近くのボッテガ・ヴェネタではCassinaとコラボったLC14がディスプレイされていた。

ボッテガとCassinaのダブルネーム

この木箱100個限定でひとつ451,000円するのよね。
60個限定の革巻きバージョンに至っては2,167,000円というイカれた価格設定。
まあCassinaのノーマルでも20万円くらいするのだが。

そういえばボッテガ・ヴェネタはシアスター・ゲイツともコラボってたな。


労働時間長くて給料上がらないのに物価だけどんどん高くなっていって…誰がこんな高いの買うんだよ…ブツブツ

現代人が癒しや生きる価値を求めて、内藤礼作品を見て癒やされる〜という気持ちも、まあわからなくもない… 
と、銀座のエルメスだのボッテガだのを通して、そんなことを少し思ってしまった。


ただ、今回の展示は結果的にとても良かった部分もあるにはある
それは照明もつけずに自然光だけのありのままのギャラリースペースを見れたこと。
そしてレンゾ・ピアノの当初の設計思想に少し触れることができたような気がしたこと。
どちらも優しく心に染みた。

決して内藤氏の作品や世界観に対して感動したわけではない。
が、内藤氏が見せてくれた世界である、という事実に対しては素直に感謝したい。

なんか術中にハマってしまっているようで悔しい。

いや、ちげーから。
別に好きじゃねえから。

レンゾ・ピアノやエルメスやトーハクがすげーんだから



我が家にもエルメスあった。いつのだこれ?



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