【アジア横断&中東縦断の旅 2004】 第3話 中国
2004年1月4日 旅立ちから、現在 1 日目
成田から乗った飛行機は深夜に北京の空港に到着した。
真冬の北京は吐く息も凍えるくらい寒かった。
空港から乗ったタクシーの車窓から見る北京の町並みは想像以上に都会だった。
そのまま郊外まで運んでもらい安宿のドミトリーにベッドを確保した。
ドミトリーとは、一つの室内にいくつかのベッドが並べられている相部屋のことで、一泊数百円ほどで寝床を確保でき、少しでも金を節約したい旅人たちは皆好んで宿泊していた。更にこのドミトリーには、ただ安いというだけでなく、世界中の旅人と知り合えたり、読み終わった本を交換したり、旅の情報交換ができたりするといった利点もあった。
万里の長城、故宮、天安門…といった北京近郊の有名観光地を一通り巡った後は、ひたすら町歩きをした。
北京の中心部は日本と変わらないような近代的な高層ビルが立ち並んでいたが、中心部から少し外れると古びた集合住宅が林立しており、そこで人々はたくましく生きていた。
私はそのような現地の人たちの普通の生活の中を歩くのが好きだった。
中国人は怒っているのかと思うくらい大声で勢いよく話し、列に並んでいてもガンガン割り込みをしてくるので、私も負けじと彼らと同じように大声で話したり、割り込みをガードしたりして、彼らの中で必死にもがいていた。
町中の看板は日本のように英文字で埋め尽くされているようなことはなく、頑なに漢字表記のみだった。
普通の現地の人たちには英語はさっぱり通じなかった。
宿で同室だった欧米人たちは完全にお手上げで、食堂で料理の写真が無いと注文すらできないとぼやいていた。
その点、私は日本人で漢字が読め、日本語とは使われている漢字が若干違うとはいえ、書かれている文字の意味はそれなりに想像できたし、漢字で筆談することでなんとなく意思の疎通を図ることができたので、旅をする上で漢字を解さない欧米人ほど苦労することはなかった。
あの頃の中国には日本のような細かい所まで行き届くホスピタリティは全く無かったが、逆にその何事にも媚びない頑固さのような雰囲気の中を歩くことが、なぜか心地良かった。
続く ↓
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