【美術展2025#09】evala 現われる場 消滅する像@NTTインターコミュニケーションセンター(ICC)
会期:2024年12月14日(土)〜2025年3月9日(日)
理系の文章で用いられる「 , . 」にいつも違和感を感じる文系の端くれの美術系出身の私。
さて、現在東京都現代美術館では坂本龍一の大規模展覧会が開催されているが、ここICCでもサウンドアートの展覧会が開催されている。
そんなわけで一階下の東京オペラシティアートギャラリーからハシゴしてきた。
・《ebb tide》
階を上がって最初の作品。
真っ暗な展示室に入ると広い部屋の中央には、わずかな光に照らされて丘のような大きな構造物が見える。
丘の表面はスポンジで覆われていて登ることもできる。
暗くて見えないが室内には無数のスピーカーが設置され、縦横無尽に音が飛び交っている。
丘に登り横になって目を閉じる。
風の音、水の音、森の音、雨の音、雑踏の音。
雷音、鳥の鳴き声、川の流れ、どこかで聞いたことがあるような楽器の音色…。
しばらくすると体の中にじわじわと音が染み込んでくる。
そして、音によって様々な感覚が喚起される。
水と同化して水中を漂うような感覚。
体から魂が幽体離脱して上から場を眺めているような感覚。
無重力の中で平衡感覚を失い空間をさまよっているような感覚。
糸の切れた風船のように風に煽られてどこまでも空高く登っていくような感覚。
眠気とは違う朦朧とした意識の中、夢と現実との境目を行き来しながら、だが研ぎ澄まされた感覚は音に反応してぼんやりした風景を描きだす。
風景の輪郭は見えそうで見えない。
手が届きそうで届かない。
部屋の壁には煙のような光が蠢いていたが、私はその光を見るよりも目を閉じた時に感じる音の感覚のほうが心地よかったので、横になって目を閉じたまましばし音に身を任せた。
どのくらいの時間そうしていただろうか。
目を開くと視界が暗闇にだいぶ順応していたので丘から降りて周囲を歩いてみる。
ふと丘をみると鑑賞者たちは皆うまいこと溝にハマりながら魂を抜かれた廃人のようにだら〜っと横になっている。
このダメな感じの脱力感の人々。
どこかで見たことがある…。
あ、
あれだ、
健康ランドの休憩室。
だけど真面目な話、全国の健康ランドの休憩室にこの作品をしれっとインストールしておけば、美術館なんて行ったことがないであろう爺さん(偏見)とか、ピカソすら知らないであろう婆さん(偏見)とか、美術に興味も関心も無いであろう大勢の人たち(偏見)を、知らず知らずのうちに現代アートの最前線に巻き込むことができて、結果アートリテラシーの底上げに寄与できると思うのだがいかがだろう。
健康ランドと現代アートのジャムセッション。
なんか新しいものが生まれそうでオラわくわくしてきたぞ(悟空風に)
・《Sprout “fizz”》
まるで血管のように壁と床に張り巡らされた大量のスピーカー。
鑑賞者はその中を自由に歩くことができる。
以前、私はそこそこ金をかけて自宅リビングに7.1chのサラウンドシステムを構築していたが、そんなものとは比較にならない圧倒的臨場感。
ちなみに余談だが我が家のその7.1chサラウンドシステムは、結局テレビも映画もほとんど見ないし、なんだかんだスペース取るし、張り巡らされた配線が邪魔だし、機材の立ち上がり時間にワンテンポ遅れが生じるのがストレスだし、ということで全てドナドナしてAppleTVとHomePodのスマートホームシステムに入れ替えてしまった。
スピーカーは左右ステレオ2台に加え、天井にもminiを左右に設置して計4台(HomePod ×2&HomePod mini ×2)の2+2chシステムに落ち着いた。
7.1chに比べて音質は落ちたが配線は格段にスッキリし、シームレスでiPhoneとも繋がり、何よりSiriとの直接のやりとりが可能で圧倒的に楽になったので満足している。
…という我が家のオーディオ事情はどうでもよいのだが、肝心のこの作品はどのようなプログラムが組まれているのか私には皆目見当もつかない。
森の中を彷徨っていたかと思いきや、突如、音が束になってまるで大きな生命体かのように襲いかかってきたりする。
先ほどの作品とはまた違った没入感があった。
・《Inter- Scape “slit”》
暗い室内には様々な音が飛び交っている。
部屋の中央にはベンチが置かれ、壁には一本のラインがぼんやりと見える。
壁に近づいて確認すると光の反射を防いだベルベット状のファブリックが横一文字に貼られ、そこにブラックライトが当てられていた。
改めてベンチに座り、音に包まれながらぼんやりと目の前のラインを眺めていると、徐々に音が自分の感覚と交錯して様々な記憶が蘇ってくる。
そして音によって目の前のラインがいつか見た風景に見えてきた。
それは、
朝日が昇るアンコールワット
陽が沈むガンジス河
着陸間際の夜の滑走路
山頂から見た夜明け
東京の夜景
湘南の海
どこかの街角…
ある風景は鮮明に、ある風景はぼんやりと、音の変化とともに風景はゆっくりと移り変わっていく。
時に自分でも忘れていたような風景が鮮明に現れる。
時に自分の見たことのない風景が見えそうになる。
扉を開けばその風景がはっきりと見えそうなのだが、ノブに手が届きそうになるところで風景はまた形を変え移り変わっていく。
それらは「風景」「情景」「光景」「景色」などの言葉の微妙なニュアンスの違いを超越して、様々な感情を伴って(時に伴わずに)私の目の前に現れ、そして消えていった。
不思議な感覚だった。
ICCの展示はいつも私の既成概念を超えた新しい景色を見せてくれる。
「人間の脳は10%しか使われていない」というのは誤った説らしいが、ICCに来る度に、やっぱり人間の脳はまだまだ使われていない部分(もしくは100%を超えた部分)があるはずだという気持ちになる。
今回、無音室の予約が取れなかったのが悔やまれるが、それ以外はとても刺激的な体験ができた。
しかしこれ系の作品の監視員さんは(睡魔との戦いが)大変だろうなあ。
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