見出し画像

【美術展2025#09】evala 現われる場 消滅する像@NTTインターコミュニケーションセンター(ICC)

会期:2024年12月14日(土)〜2025年3月9日(日)

いわゆる視覚を中心にした表現領域である「美術(visual arts)」に対し,聴覚を中心にした表現として「サウンド・アート」があります.サウンド・アートでは楽音(楽器で演奏される音)によらない,自然環境音を録音した素材などの,さまざまな音が使用され,「聴くこと」自体を主題とするなどの特徴によって,同じく聴覚による芸術表現である音楽と区別されています.それは,聴くことから広がる知覚世界の提示という側面を持っています.ゆえに,サウンド・アートは,見ることに偏重した美術に対して,もうひとつの見ることを提示する表現でもあると言えるでしょう.

evalaは,2000年代以降,個人としての活動のみならず,多くのコラボレーションを行なうなど,幅広い分野で活躍する音楽家でありサウンド・アーティストです.2017年からは,新たな聴覚体験を創出するプロジェクト「See by Your Ears」を国内外で展開しています.ほぼ音だけで構成されているにも関わらず鑑賞者の視覚的想像力をも喚起する作品群は,既存のフォーマットに依拠しない音響システムを駆使した独自の「空間的作曲」によって,文字通り「耳で視る」ものとして高い評価を得ています.

2013年にevalaと世界的なサウンド・アーティストである鈴木昭男とのコラボレーションとしてICC無響室で制作,発表された《大きな耳をもったキツネ》は,後に「See by Your Ears」となるevalaの活動の方向性を定めた原点と位置づけられる作品となりました.

「evala 現われる場 消滅する像」展は,作家の活動史においても重要な作品を制作するきっかけとなったICCを会場に開催される,「See by Your Ears」シリーズの,本展のための新作を含めた,現時点における集大成となる展覧会です.《大きな耳をもったキツネ》や,そこから発展し多くの国々で発表されてきた作品,さらにICCで最も大きな展示室を全室使用した大型インスタレーションほか,複数の新作によって,精緻に構築された音響空間のなかで,聴くことと見ることが融け合う新たな知覚体験をさまざまな方法で提示します.

ICC


理系の文章で用いられる「 ,  . 」にいつも違和感を感じる文系の端くれの美術系出身の私。
さて、現在東京都現代美術館では坂本龍一の大規模展覧会が開催されているが、ここICCでもサウンドアートの展覧会が開催されている。
そんなわけで一階下の東京オペラシティアートギャラリーからハシゴしてきた。


・《ebb tide》

階を上がって最初の作品。
真っ暗な展示室に入ると広い部屋の中央には、わずかな光に照らされて丘のような大きな構造物が見える。
丘の表面はスポンジで覆われていて登ることもできる。

暗くて見えないが室内には無数のスピーカーが設置され、縦横無尽に音が飛び交っている。

丘に登り横になって目を閉じる。

風の音、水の音、森の音、雨の音、雑踏の音。
雷音、鳥の鳴き声、川の流れ、どこかで聞いたことがあるような楽器の音色…。

しばらくすると体の中にじわじわと音が染み込んでくる。
そして、音によって様々な感覚が喚起される。

水と同化して水中を漂うような感覚。
体から魂が幽体離脱して上から場を眺めているような感覚。
無重力の中で平衡感覚を失い空間をさまよっているような感覚。
糸の切れた風船のように風に煽られてどこまでも空高く登っていくような感覚。

眠気とは違う朦朧とした意識の中、夢と現実との境目を行き来しながら、だが研ぎ澄まされた感覚は音に反応してぼんやりした風景を描きだす
風景の輪郭は見えそうで見えない。
手が届きそうで届かない。

部屋の壁には煙のような光が蠢いていたが、私はその光を見るよりも目を閉じた時に感じる音の感覚のほうが心地よかったので、横になって目を閉じたまましばし音に身を任せた。

どのくらいの時間そうしていただろうか。
目を開くと視界が暗闇にだいぶ順応していたので丘から降りて周囲を歩いてみる。

ふと丘をみると鑑賞者たちは皆うまいこと溝にハマりながら魂を抜かれた廃人のようにだら〜っと横になっている。
このダメな感じの脱力感の人々
どこかで見たことがある…。


あ、
あれだ、
健康ランドの休憩室


こんな風にかしこまっている人はいなかった

だけど真面目な話、全国の健康ランドの休憩室にこの作品をしれっとインストールしておけば、美術館なんて行ったことがないであろう爺さん(偏見)とか、ピカソすら知らないであろう婆さん(偏見)とか、美術に興味も関心も無いであろう大勢の人たち(偏見)を、知らず知らずのうちに現代アートの最前線に巻き込むことができて、結果アートリテラシーの底上げに寄与できると思うのだがいかがだろう。
健康ランド現代アートジャムセッション
なんか新しいものが生まれそうでオラわくわくしてきたぞ(悟空風に)

制作時に使用した音具
制作時に使用した録音機材



・《Sprout “fizz”》

まるで血管のように壁と床に張り巡らされた大量のスピーカー。
鑑賞者はその中を自由に歩くことができる。

以前、私はそこそこ金をかけて自宅リビングに7.1chのサラウンドシステムを構築していたが、そんなものとは比較にならない圧倒的臨場感。

ちなみに余談だが我が家のその7.1chサラウンドシステムは、結局テレビも映画もほとんど見ないし、なんだかんだスペース取るし、張り巡らされた配線が邪魔だし、機材の立ち上がり時間にワンテンポ遅れが生じるのがストレスだし、ということで全てドナドナしてAppleTVHomePodのスマートホームシステムに入れ替えてしまった。
スピーカーは左右ステレオ2台に加え、天井にもminiを左右に設置して計4台(HomePod ×2&HomePod mini ×2)の2+2chシステムに落ち着いた。
7.1chに比べて音質は落ちたが配線は格段にスッキリし、シームレスでiPhoneとも繋がり、何よりSiriとの直接のやりとりが可能で圧倒的に楽になったので満足している。

…という我が家のオーディオ事情はどうでもよいのだが、肝心のこの作品はどのようなプログラムが組まれているのか私には皆目見当もつかない。
森の中を彷徨っていたかと思いきや、突如、音が束になってまるで大きな生命体かのように襲いかかってきたりする。
先ほどの作品とはまた違った没入感があった。



・《Inter- Scape “slit”》

暗い室内には様々な音が飛び交っている。
部屋の中央にはベンチが置かれ、壁には一本のラインがぼんやりと見える。
壁に近づいて確認すると光の反射を防いだベルベット状のファブリックが横一文字に貼られ、そこにブラックライトが当てられていた。

改めてベンチに座り、音に包まれながらぼんやりと目の前のラインを眺めていると、徐々に音が自分の感覚と交錯して様々な記憶が蘇ってくる

そして音によって目の前のラインがいつか見た風景に見えてきた

それは、
朝日が昇るアンコールワット
陽が沈むガンジス河
着陸間際の夜の滑走路
山頂から見た夜明け
東京の夜景
湘南の海
どこかの街角…

ある風景は鮮明に、ある風景はぼんやりと、音の変化とともに風景はゆっくりと移り変わっていく。

時に自分でも忘れていたような風景が鮮明に現れる。
時に自分の見たことのない風景が見えそうになる。

扉を開けばその風景がはっきりと見えそうなのだが、ノブに手が届きそうになるところで風景はまた形を変え移り変わっていく。
それらは「風景」「情景」「光景」「景色」などの言葉の微妙なニュアンスの違いを超越して、様々な感情を伴って(時に伴わずに)私の目の前に現れ、そして消えていった。

不思議な感覚だった。



ICCの展示はいつも私の既成概念を超えた新しい景色を見せてくれる。
「人間の脳は10%しか使われていない」というのは誤った説らしいが、ICCに来る度に、やっぱり人間の脳はまだまだ使われていない部分(もしくは100%を超えた部分)があるはずだという気持ちになる。

今回、無音室の予約が取れなかったのが悔やまれるが、それ以外はとても刺激的な体験ができた。

しかしこれ系の作品の監視員さんは(睡魔との戦いが)大変だろうなあ。



【美術館の名作椅子】↓


【美術展2025】まとめマガジン ↓


いいなと思ったら応援しよう!