見出し画像

【美術展2024#67】SIDE CORE展 コンクリート・プラネット@ワタリウム美術館

会期:2024年8月12日(月)〜12月8日(日)

SIDE COREは、公共空間や路上を舞台としたアートプロジェクトを展開するアートチームです。近年その活動がますます大きな注目を集めるなか、本展は、東京では初の大掛かりな個展となります。
例えば、高速道路や線路、地下水路などを特殊な方法で撮影したり、公共空間で見られる街灯やガードレール、道路工事のサインなどを素材としたインスタレーション作品、ネズミの人形がただただ夜の東京を歩くドキュメント映像など、SIDE COREは、都市の独自な公共性や制度に着目し、これに介入/交渉することで作品作りを行なっています。その表現方法は常に広がり、更新され、今まさに現在進行形の見逃せないアーティストです。
また、本展は美術館内部だけではなく周辺環境にも展開し、都市への想像力がアートを通し広がっていく様をご覧いただけます。

ワタリウム美術館


サイドコア。
最近だと六本木クロッシング2022展での、工事作業員の格好をしたスケーターが夜の街を滑っている映像作品が特に記憶に残っている。
今年だけでも横浜トリエンナーレ髙橋龍太郎コレクション展でその作品を目にして近年気になっていた人たち。

タイミング良くワタリウム美術館にて個展開催中だったので足を運んでみた。

マリオ・ボッタの名建築が改装中でこんな外観になっていた。

通常時


鉄骨の足場やコーンなどがSIDE COREの作品っぽい。
スタッフにこれも作品なのかと聞いてみたが、もちろんそんなわけはなくガチもんの改装工事とのこと。
あえて時期を重ねたのかとも聞いてみたが、そういうわけではなくたまたま重なったとのことだった(ニヤッとしながら)。

あ、やってんな(察し)

私は9月上旬に行ったのだが、会期当初はまだ改装は始まっていなかったようだ。
聞くと、工期は8月下旬くらいから始まり12月まで、と展覧会会期にがっつり丸かぶり

これはやってんな(確信)


順路は2階から始まる。


・《コンピューターとブルドーザーの為の時間》(右)

大橋ジャンクションを模型化したようなパイプの中を転がる球体の音が室内に響く。
その奥には古い車のヘッドライトが無秩序に点滅している。
手前では平面作品が掛けられた壁面が回転している。
音と光とビジュアルで都市のノイズが可視化される。
騒々しいのだが、不思議と心地よい。
パイプ作品はスタッフが頃合いをみて手動で球を入れているらしい。
そんなアナログ感も泥臭くてよい。



・《東京の通り》

工事現場でよく見るアレだが、規格や規定が無いために独自のフォントやデザインが乱立している、というところに目をつけてそれらをコラージュして都市の歪みを表現しているそうだ。
いつまでも終わらない工事や繰り返される補修改修がとめどなく溢れている東京。
そんな東京の泥臭い自画像のようにも見える。



・《untitled》(左)
・《柔らかい建物、硬い土》(右)

都市の街角壁面を切り取ったような左のペインティング作品。
今年の横浜トリエンナーレで見た壁面作品を思い出した。

メンバーの高須咲恵氏は、東京藝大工芸科陶芸専攻卒(→大学院美術教育修)とのことなので、右の陶作品は高須氏の制作だろうか。



・《無題》

ブラウン管テレビはナムジュン・パイクの作品に用いられたものだそうでワタリウム美術館の文脈に乗せてきている。
ブラウン管の寿命と都市の早いスクラップ&ビルドサイクルによる建築物の寿命がシンクロする。

窓の外には改装用の足場がこれ見よがしに見える。

やっぱやってんな(確定)


そして、外階段に出るとこれ。

あくまでもガチもん工事用であり作品ではないそうだ。

間違いなくやってんな(しつこい)



・《untitled》

歩行者が少なくて清掃されている様子のない地下道の壁。
こういう場所あるある。
そんな壁面に肩を擦りながら歩く映像。
都会の片隅にひっそりとノイズが刻まれる。
その後、現在でも壁は清掃されずにこの痕跡は残っているそうだ。
やはり泥臭くていいねえ。



4階、小上がりになっている小部屋にベンチとバケツが置かれる。
大きな窓の外にはやってる足場と都会の景色が見える。

バケツを覗き込むと床に穴が開いていて、

2階の作品《コンピューターとブルドーザーの為の時間》が見えた。

たまに作品の発する音が聞こえてくる。
気配は感じるが、全体像は見えない。
普段地上からは窺い知れない都会の地下に走る様々なインフラ情報網、地下道、地下鉄、配線、空間…諸々なもののメタファーのように見えた。
次の作品《under city(2024年版)》を見た後にもう一度この作品を見ると、その作品ための伏線だったようにも思えた。



・《under city(2024年版)》

CCBT(シビック・クリエイティブ・ベース・東京 運営:東京都歴史文化財団)が関わるプロジェクト。
ストリートが舞台のSIDE COREだがCCBT経由で東京都の各機関に正式に許可を得ることで実現した、東京の地下空間で繰り広げられる壮大な冒険活劇。

メイン映像撮影時に地下空間を3Dスキャンしたデータを編集したデジタルマップ作品も小型のモニターに映し出される。
アジアのどこかに存在すると信じられていた伝説の地下都市「アガルタ」にインスピレーションを受けた世界観、とのこと。
「アガルタ」といえばマイルス・デイヴィスの伝説の名盤「アガルタ」(と「パンゲア」)が思い浮かぶ。
そのアルバムジャケットのアートワークは横尾忠則だ。
(ちなみにマイルス・デイヴィスも横尾忠則もこの作品とは何の関係もないが)

20分ほどの映像だがワクワクしながら引き込まれた。
本来立ち入り厳禁の公的機関管理下の地下空間でスケーターが無言で滑走する。
彼らが進む先は強力な照明が無ければ1m先だって真っ暗闇だが、恐れる事なく冷静沈着に前を向いて進む。爽快。

私たちの未来だって一寸先は闇。
だけどこの映像を見ていると好奇心や想像力が刺激されて、考え方次第で明るい未来はどうにでも作り出すことができるんだ、そんな前向きな気持ちになった。


東京都心部って最先端の建築物のすぐ脇に高度経済成長期の遺構とも言えそうな時代遅れの建築物が混在しカオス的に混ざり合っていたりするので、所々に矛盾というか綻びというか、継ぎ足し感が溢れているが、私はその隙間的な泥臭い部分に人間味を感じ以前から魅力を感じていた。
もちろん美しい街並みも良いのだが、都会特有の埃と喧騒が取り巻く混沌とした雰囲気の方が昔から好きだった。

自分は体験していないが写真や映像で見る1960〜70年代の混沌とした新宿や、青春時代に多少なりとも関わってきた1990年代の原宿・渋谷あたりの雰囲気が今でもたまらなく好きだ。
四半世紀前くらいに初めて訪れたタイのバンコクはまさにそんな泥臭い都会だった。
1960年代くらいの東京ってこんな感じだったのかな、と想像が膨らみワクワクした。
それ以来、私はそんなアジアの魅力に取り憑かれて幾度となくアジアへの旅を繰り返した。

SIDE COREの作品は、最先端の技術を駆使してスタイリッシュな空気を纏いつつも、どこかに都会の泥臭い雰囲気が感じられる。
それがとても心地よい。

そしてここワタリウム美術館にも1990年代の泥臭さを感じる。

SIDE COREとワタリウム美術館。
作品が場を引き立て、場が作品を引き立てる。
非常に相性の良い組み合わせだったように思う。


満足して会場を出る。
向かいのビルの屋上に、

・《ねずみくん》

向かいのビルの屋上に
いた



【美術展2024】まとめマガジン ↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?