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【美術展2024#81】ルイーズ・ブルジョワ展 地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ@森美術館

会期:2024925()2025119()

ルイーズ・ブルジョワ(1911年パリ生まれ、2010年ニューヨークにて没)は、20世紀を代表する最も重要なアーティストの一人です。70年にわたるキャリアの中で、インスタレーション、彫刻、ドローイング、絵画など、さまざまなメディアを用いながら、男性と女性、受動と能動、具象と抽象、意識と無意識といった二項対立に潜む緊張関係を探求しました。そして、対極にあるこれらの概念を比類なき造形力によって作品の中に共存させてきました。
ブルジョワの芸術は、主に自身が幼少期に経験した、複雑で、ときにトラウマ的な出来事をインスピレーションの源としています。彼女は記憶や感情を呼び起こすことで普遍的なモチーフへと昇華させ、希望と恐怖、不安と安らぎ、罪悪感と償い、緊張と解放といった相反する感情や心理状態を表現しました。また、セクシュアリティやジェンダー、身体をモチーフにしたパフォーマンスや彫刻は、フェミニズムの文脈でも高く評価されてきました。
さまざまなアーティストに多大な影響を与えているブルジョワの芸術は、現在も世界の主要美術館で展示され続けています。日本では27年ぶり、また国内最大規模の個展となる本展では、100点を超える作品群を、3章構成で紹介し、その活動の全貌に迫ります。
本展の副題「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」はハンカチに刺繍で言葉を綴った晩年の作品からの引用です。この言葉は、ブルジョワの感情のゆらぎや両義性を暗示しつつ、ブラックユーモアのセンスをも感じさせます。自らを逆境を生き抜いた「サバイバー」だと考えていたルイーズ・ブルジョワ。生きることへの強い意志を表現するその作品群は、戦争や自然災害、病気など、人類が直面する、ときに「地獄」のような苦しみを克服するヒントを与えてくれることでしょう。

森美術館


六本木ヒルズ脇に立つあの蜘蛛《ママン》。

初めて見た時から異質な違和感を感じていた。
著名なアーティストの作品だということで賛美の声も多かったが、私としては当時からあまり好ましく思っていなかった。

何だろう。
村上隆の金ピカのお花の親子が立ったときは異質ではあったけれども違和感は無かった。
けれども《ママン》は初めて見た時から、そして今でも違和感がある
私にとって本能的に「敵」を感じさせるのだ。
しかも蜘蛛なのに筋肉質な肉感がエイリアンを彷彿とさせて一際薄気味悪い。
そんな嫌悪感を抱いて以来、私の中でルイーズ・ブルジョワは蜘蛛の人、とカテゴライズされて特に深掘りすることはなかった。

そのルイーズ・ブルジョワの大規模展覧会が森美術館で行われる。
会場に足を運ぶ前からすでに気が重かったけれども、森美術館の企画展に行かないわけにはいかない。(年間パスも持っているし)


…だけど展覧会タイトルからしてすでに何だか嫌なんだよなあ。
「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」って…。

そしてこの写真よ。

会場に入る。
第1章なのにのっけから重い…。

最初の作品。

…もうなんか、いやだ。


呪物のような立体作品が曼荼羅のように並ぶ背景には文字が流れている。

コンセプチュアル・アーティストのジェニー・ホルツアー(1950年-)によるライト・プロジェクションも展示しており、ブルジョワが精神分析を受けていた時期に綴った文章を投影しています。

会場キャプションより

スタイリッシュに展示されているが内容は重い。
森美術館は見せ方がいつも抜群に上手いけれども、そもそも作家本人はこのような形での展示は想定していたのだろうか。
作家の手を離れた別の表現になってしまっているような感が否めない。


蜘蛛登場。
外の《ママン》よりだいぶ小型で、姿勢が低く今にも飛びかかってきそうな緊張感。

《かまえる蜘蛛》2003

タペストリー修復のほんわか小話を絡めているが、やはり私は本能的に「敵」と認識してしまう。
形状的にどうしてもエイリアンのフェイスハガーが脳裏にチラつく。

しかし制作年2003年って92歳の年だぞ。
先日記事にした田名網敬一は今年88歳で亡くなったが直前まで極彩色を用いた作品を精力的に制作していたし、どちらもバイタリティ溢れすぎだろ。


不気味な作品が続く。

《良い母》 2003
《自然研究》 1984
《カップル》 2003
《胸と刃》 1991


森美術館は見せ方が上手いだけでなく、ロケーションも最高なので写真は映えるが、これだって内容はかなり重い。

《ヒステリーのアーチ》 1993


…ぉ、おぅ



第2章 地獄から帰ってきたところ

怖い。

《罪人2番》 1998


いや、だから怖いのよ
前澤友作氏所蔵品って、こんな不気味なのどこに飾るのよ。

《無題》 1998〜2014


絶望の波がたたみかけてくる。

《部屋X(肖像画)》 2000


《父の破壊》 1974


《カップルⅣ》 1997


これを個人蔵ってこんなの普段どこに置いてるのよ。

《シュレッダー》 1983


本展タイトルに用いられた文言が刺繍される作品。

《無題(地獄から帰ってきたところ)》 1996



第3章 青空の修復

《青空の修復》 1999


前半の救いようのない闇に一寸の光が差すような作品が続く。

《家族》 2007
《妊婦》 2009


再び蜘蛛登場。
外の《ママン》のミニチュア版みたいな形状の本体に檻がついている。
前半に登場した蜘蛛のような攻撃性は控えめになり、母性のようなものを感じる部分も無くはない。
だが制作年はこちらの方が早いので、時系列的に並びを戻せば母性が消えて攻撃性が増したとも言える。

《蜘蛛》 1997


《雲と洞窟》 1982〜89


前半の救いようのない絶望的な世界から一転し、最後の章では一寸の光が差し込んでいるように感じさせる構成だったので、ブルジョワの人生が最後に救われたみたいな空気感で展覧会は終了する。
だが全体を通して制作年の新旧はバラバラで、その順とは無関係に表面的な形状や色味を優先して、闇を感じさせる作品を前半に、見た目の爽やかさを(わずかなりとも)感じる作品を後半に持ってきていたりするからそう感じさせられるだけであって、果たしてブルジョワ本人は自身の心や人生そのものを少しでも修復できたのだろうか。
故人の展覧会は企画側の組み立て方次第でどうにでもストーリーを脚色できるので本当のところはどうだったのかはわからない。
個人的には、故人の回顧的な展覧会は後世の恣意的な解釈を加えずに、機械的に時系列で並べる展示の方がその作家の生き様や心境の変化が客観的に見えてくると思う。

ただでさえもやもやした気持ちの展覧会だったが、別の意味でも最後までもやもやしたまま会場を後にした。


出口にはこんな案内があったが、あの展示の後でのルイーズ・ブルジョワ・コースにはさすがに食指は動かない。
なんだかとどめを刺されるようにさらにもやもやが増えた



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