【美術展2024#26】遠距離現在 Universal / Remote@国立新美術館
会期:東京会場:国立新美術館
2024年3月6日(水)~2024年6月3日(月)
巡回:熊本会場:熊本市現代美術館
2023年10月7日(土)〜12月17日(日)
広島会場:広島市現代美術館
2024年6月29日(土)〜9月1日(日)
コロナが一段落した(のか?)この時期に、現代美術を通してコロナ禍を振り返り現代社会を浮き彫りにしつつ、これからの社会を考察するという趣旨の企画。
出品作品の多くは2019年以前に制作されたものであり、コロナ禍の日々の中で生まれた作品ではないとのこと。
井田大介
落ちそうで落ちない紙飛行機が熱の上昇気流を頼りに不安定に旋回し続ける。
会場を囲うスピーカーから流れるノイズのような音。
現代社会の脆さがコロナ禍を通してより鮮明になる。
そんなメタファーだろうか。
ティナ・エングホフ
デンマークでは孤独死した人の身元引受人捜索のため新聞に記事が掲載されるとのこと。
作家は当局から特別に許可を得てその現場を撮影する。
品の良い北欧家具にかこまれた一見オシャレな部屋。
だが写真を良く見ると何やら不自然に散らかっていたり不気味なシミが写っていたりとただ事ではない雰囲気を静かに物語る。
日常の中に身近に死を感じたコロナ禍初期の時間がどうしても重なる。
私自身あの時期に遠縁ながらも親族を亡くした。
今現在の時間だからこそじわじわと染み入るものがあった。
気になった作品ではあるがやはり不吉なので写真は撮っていない。
エヴァン・ロス
コンピューターのキャッシュに蓄積される画像データで空間を埋め尽くす。
このブースには次女の誕生日以降にキャッシュされた画像が用いられているとのこと。
自ら検索したもの、勝手に表示されて知らずに残っているもの。
改めてこうしてみると我々は日々情報の海に飲み込まれている。
コンピュータの内側からフィルターを通して見ている外界の風景画、もしくはいびつな自画像のようにも見えた。
木浦奈津子
どこかで見たようなどこにでもありそうな日常の風景が走馬灯のように並ぶ。
対象が少し離れた位置から傍観者的視点で描かれているような作品が多いためソーシャルディスタンスが叫ばれていたあの時期に見ていた景色が蘇る。
コロナ禍を経たことでテーマがより深まった作品、逆に新たな意味が生じた作品、それぞれ混在していたのが興味深かった。
だがこの日、いくつかの展覧会をハシゴした後だった私は時間が無かった上に少々疲れていた。
そんな中スクリーンにただ投影しているだけの映像作品が40分とか1時間とかあるとヘビーすぎて正直見る気が起こらなかった。
しかも拘束性が強い割には映画館と違って大抵硬い椅子や長時間の視聴に不向きなベンチが置いてあるだけだったり、最悪立ち見だったりする。
アートぶってお高くとまっているのか、はたまた見せる気が無いのか。
それともその苦痛の体験も含めての作品なのか。
…言い過ぎか。
だが頑張って始めから見ようとしてもその始まりを待つのも時間がかかるし自分のペースを乱されている感じがしてなんだかもやもやする。
インスタレーションの要素としての映像。
装置の一部として必然性がある映像。
その場所で見ることで意味が生じる映像。
記録として関連する資料などと関係性を持たせていたりする映像。
そのようなその場でしか体験できないようなものは素直に作品として見れるのだが、映像単体でただ長いものは自分の中でよっぽど気合を入れてスイッチをオンにしないとなかなかしんどい。
作家には申し訳ないが。
以上、あくまで個人的な意見である。
だが、やはり美術館で美術作品として人に見せるのならせめて10〜15分程度にまとめとほしい。
長くなるならいっそのことネットで配信でもしてほしい。
などとしつこく悪態をついてみる。
けれどそうなるとわざわざ美術館に行かなくてもよくなるな。
まさに「リモート化する個人」
そういうことを問われているのか?(多分違う)
会期中にタイミングが合えば頭を冷やしてもう一度余裕を持って来よう…
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