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シドニー!!!②〜野良カンガルー編〜
行き先にシドニーを選んだのは、ハンター・バレーに行くためだった。といっても過言ではない。
ハンター・バレーはシドニーから北へ車で2時間、オーストラリアワイン発祥の地であり、「ハンター・セミヨン」の生まれ故郷だ。
わたしの旅の行き先は、そのほとんどがワインに関係する。国内ではワイナリーのある土地を選ぶし、コロナ禍以降最初に出たのはフランスだった。好きなのだ、ワインが。そしてわたしの好きはときとしてオタクみを帯びる。推しのミュージカルを観るために週末ごと大阪まで飛行機を飛ばし、朝4時から当日券に並ぶ光景がわたしのオタク体験の原点だ。
でも、最初から旅の行き先が「ワイン」だったわけではない。
海外旅行に慣れた頃、東南アジアが好きになった。
暴力的な暑さ、底冷えのするコンビニエンスストア、終わらせる気を失ったかのような工事現場。飛行機を降りた瞬間全身を包む熱気と、それに乗って流れ込む、あまい南国フルーツの香り。
ああ、面倒くさいことが起きるんだろうな、と思う。片言の日本語でチップをせがまれ、トゥクトゥクの客引きはしつこく、きっとホテルの部屋の鍵は閉まらない。屋台のおばちゃんの愛想は最悪だし、道路を渡るためには「勇気」が必要だ。
三歩あるくと汗が吹き出るバンコク、すぐに停電がおきるプノンペン。ひとりで降り立ったタンソンニャット空港では、入国審査の軍人に英語で文句を言わなければならなかった。ブッキングの名前が違うから帰れ?チケットはうちの夫が予約したんだよ!
ああ、面倒くさい。そう思いながら、それでも最後にはいつも東南アジアをゆるした。これがよかった。ゆるす、というのはわたしにとって外部から仕入れる必要がある感覚だった。言い換えれば「まあいいか」。わりに短気で感情的、些細なことで腹を立てる、そんなわたしは定期的に東南アジアにむかい「まあいいか」を仕入れた。それは否応なく常識の境界域を広げ、わかり合えないひとびとへの許容をもたらした。つまり、東南アジアはわたしが優しくなるために必要だったし、それは裏を返せばわたし自身が「ゆるされていく」過程でもあったのだった。
ハンター・バレーだ。
今回わたしたちはシドニー発のツアーに参加した。運転手はドイツ人のベン。カウボーイハットをかぶり、陽気で、おしゃべりで、丁寧なオーストラリア英語を話す。「ベンヌ、と発音するんだ。ベンジャミンなんて呼ばれてるよ。さあみんな、シートベルトを締めて!」
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ベンの車には7人の多国籍なメンバーが集った。人の良さそうなイギリス人カップル、一見クールな韓国美女、シャイなニューカレドニアの親子、そして、我々日本人夫婦。シドニーは今日も土砂降り。ワールドワイドな旅のはじまりだ。
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ハンター・バレーはオーストラリアで最初にワイン用葡萄の栽培が行われるようになった歴史的な地だ。しかし伝統が必ずしも品質を保証しないように、葡萄にとっては決して順風満帆な土地ではなかった。
温暖で、よく雨が降る。まさに日本がそうであるように、ワイン用葡萄にとってこれはあまり良い条件ではない。特に収穫期にそれはやって来た。結果的に葡萄は完熟を待たずに収穫された。すると必然葡萄の糖度は上がりきらず、アルコール度数も低くなる。特に多く栽培されていたのがセミヨンという葡萄品種で、これがハンター・セミヨンと呼ばれる独特の(ほかの地域とは違う)風味のワインを生み出すこととなった。
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「ステンレスタンクで発酵させ、熟成を待たずすぐにボトリングされる。だからフレッシュで軽やかな味わいになる。これがハンター・セミヨンの特徴だ。そう、基本的には(basically、バイシカリーと発音する。ベンは丁寧なオーストラリア英語を話す)」
ハンター・セミヨンは、熟成のポテンシャルが高い。10年、20年と熟成を経ると、まったく違う味に変化する。らしい。らしい、というのは、わたしも飲んだことがないし、たぶんベンも飲んだことがないからだ。熟成セミヨンは高級品なのだ、基本的には(basically、バイシカリー)。こうしてベンはしょっちゅう基本に戻る。おかげで何度も自転車(bicycle、バイセコー)が頭をよぎった。
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最初に訪れたのはサドラーズ・クリーク・ワインズ。テラス席で優雅に6種のテイスティングだ。天気は悪い。「気候がいい」という各種旅行サイトの誘惑を振り切り、春物のコートを持ってきてよかった。
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ここでこの旅初のハンター・セミヨンとご対面した。聞きしに及ぶ淡さとフレッシュさ。グリーンのノートと硬水のようなミネラル感。まったく想像通りの、過不足ないハンター・セミヨンである。
面白いのが、シラーズを飲んでも「ハンター味」を感じることだった。オーストラリアワインらしいコテコテの果実味は鳴りを潜め、どこか淡くフレッシュな雰囲気になる。ここでは葡萄はみんな早摘みされるのだ。好もうと好まざるとに関わらず。
途中、ワイナリーで飼われているラブラドールレトリバーのグース君が遊びに来てくれた。地面に落ちていた木の枝(かなり太い)をくわえ、わりに積極的に近寄ってくる。わたしも一度枝を投げてやったら喜んで取りに行ったが、ワイナリーのスタッフに叱られて(わたしではなくグース君です)、仕方なく頭をなでられる作戦にシフトチェンジしていた。気持ちの切り替えがはやい。見習いたい能力だ。
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続いてサドラーズ・クリークから車で5分ほど、ハンギング・ツリー・ワインズへと向かう。
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ここでも数種類のテイスティングをおこなった。サドラーズ・クリークと比べると、こちらはより酸味がありフレッシュ感が際立つ。わたしは今回めぐった中でいちばん好きな味わいだったが、夫はよりシックなサドラーズ・クリークのほうが好みのようだった。いずれにせよ、ハンター味はぶれない。
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だんだんアルコールもまわってきて、旅の仲間たちも打ち解け始める。クールビューティに見えていた韓国女子(シンガポール在住)が意外にも場をまわし、みなの出身国やワインについて話題をふる。へえ、ニッポンはトーキョーに行ったことがあるわ!ワインも飲んだことあるわよ。フクオカはまだないの、これから行ってみたいところのひとつね!
思えば、わたしと彼女はほとんど同じ顔(美女かどうかは問わない)をしているのに、英語を介してしかコミュニケーションができないのだ。ふとそんなことを思い、妙な気持ちになる。こんな南半球くんだりまでやってきて、地球規模では点ほどしか離れていない国どうしで、ほとんど同じ顔(美女かどうかは問わない)をしているのなら、話が通じたっていいじゃないか。あるいは国境を持たない島国の人間だからこそ、その切なさに慣れていないだけなのだろうか。
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次のワイナリーへと移動する途中、ベンが急に車の速度を落とした。「おいみんな、見てみな。あそこにカンガルーがいるだろう?あれは野生のカンガルーだよ」
野生のカンガルー!
オーストラリアには、野生のカンガルーがいるのだ、当たり前に。その事実にはたと驚く。ベンによればこのあたりのカンガルーは葡萄を食べてしまうし、特に黒葡萄のほうがお好みとのことだった。迷惑なやつらだな。しかしどんなに目を凝らしても、わたしには野生のカンガルーは見えなかった。野生のカンガルーを見つけるには、そのための特殊訓練か、カウボーイハットか、オーストラリアでの在住歴が必要なのだ、きっと。
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3つめのワイナリーに向かう前に、レストランでランチを食べた。すっかり打ち解けた雰囲気のなか、お互いの国についての話題が行き来する。ニューカレドニアの親子が「わたしたちの国では、地域が違うと言葉も通じないのよ」と話す。そうか、島国でもそんなことがあるのか。人の良さそうなイギリス人カップルの彼女が「えっ?!もしかしてベンって、ドイツ語しゃべれるの?!」と無邪気に驚く。そりゃあしゃべれるだろうさ、ドイツ人だもの!外国語がしゃべれることに驚くのは、小学生も大人も一緒なのだ。
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さてこのあとチーズ工房に向かったのだが、ついに我々は目撃することとなる。特殊訓練も、カウボーイハットも、オーストラリア在住歴もないが、運がよければ見ることができる。ここでは野生のカンガルーは、オーロラみたいに扱われる。たぶん。
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最後はアーネスト・ヒル・ワインズへ。ここでもハンター味のワインをいくつかテイスティングする。なんとなく説明が聞き取りづらいなと思っていたが、夫によると「オタクっぽい早口のおばちゃんだった」とのこと。そうだったかなぁ。ただ我々が酔っ払ってただけじゃないのかなぁ。
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結局ハンター・セミヨンはここで手に入れた。あとから日本に帰って飲んでみたら、記憶よりもずいぶん香りが華やかだった。やっぱりハンター・バレーのワインを飲みすぎていたのかもしれない。最後はみんな無言だったもの。
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シドニーに帰り着いたのは夜だった。旅の仲間たちと別れたあと、夕飯をとりにいく。胃もだんだん疲れてきたところなので、ここらでいったん魚介をはさむ。Jordons Seafood Restaurant(ジョーダンズ・シーフード・レストラン)。前日のMEAT DISTRICT COとおなじダーリング・ハーバー沿いの、小洒落たシーフードレストランだ。
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高いが、美味い。だいたいにおいてシドニーのレストランはそうだ。高いが、美味い。ペンフォールズのピノ・ノワールとともに、魚介スープの旨味を流し込む。ほっとする味だ。
さて、20時のラストオーダーが過ぎると、突然爆音でインド音楽が流れ始めた。というか、店内BGMは変わらずお洒落なカフェミュージックなのだが、そこに重なるように、というか、掻き消すほどの音量で、インドの音楽が流れ始めたのだ。ときおり「ヘイ!」などと合いの手が入る。間違いない。見なくてもわかる。厨房のシェフは、インド人たちだ!
それからしばらくのあいだ、お洒落なカフェミュージックと、けたたましいインド音楽と、ときおり入る合いの手をBGMにしながら残りのピノ・ノワールを飲むこととなった。シェフたちは楽しそうに仕事をしていた。それは何よりだと思った。そして東南アジアに行かなくとも「ゆるす」旅はできるのだ、とも。
(シドニー!!!③に続く)
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■ ますたやとは:
関東在住の30代。ワイン好きが高じて2023年3月から都内のワイナリーで働きはじめ、2024年7月から六本木で『WineBarやどり葉』をオープンします。
2021年J.S.A.認定ワインエキスパート取得/2022年コムラードオブチーズ認定。夫もおなじくワイン好き。夫はWSETLevel3を英語で挑戦中。
▶WineBarやどり葉について
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![WineBarやどり葉 店主|ますたや](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/95540218/profile_7b31c69e91f7e15cb72a14ee333bcc6a.png?width=600&crop=1:1,smart)