なんとなくSEになって、なんとなく続けてたら鬱になった話
情シスSlackのAdvent Calendarに参加させていただいた。
テーマフリーということばに甘えて、技術系でなくキャリアに関することを。それも自分語り系。
誰かのためになるかわからないが、これまで書いたnoteをまとめながら自分の根っこを記してみる。
なんとなくで生きているうちに、自分らしさを見失って鬱になったという人生。
2枠いただいているのでもう1枠は中小企業の情シスへの転職のすすめ(前職と現職の比較)を書く予定。
↓2記事目はこちらから
のらりくらりと生きた幼少期〜大学生
詳しくはこちらの記事で。
ざっとまとめると下記のような感じ。
・末っ子で小さい頃から自己表現が苦手
・苦手すぎて好きな子から告白されても返事ができず
・スポーツと楽器が唯一の自己表現できるツール
・大きな挫折も悩みもなく、なんとなくうまくやってきた
小さい頃から自己表現、自分らしさの発揮が苦手だけど、とても好きでそんな場所を探し求めていた。
大手SIerにぬるっと就職
新しいもの好き、ということでなんとなく選んだ情報系の学部から、エスカレーターに乗るようにSEの世界に飛び込んだ。
就活では挫折も深く悩むこともなく、誰もが知るグループ企業に入社することができた。
希望の部署にも配属され、楽しく働けていた。
大規模な開発プロジェクトに一貫して携わったり、半月ほどインドに行ったり、働き方改革のプロジェクトを立ち上げたり。
初めての東京暮らしということも相まって、キラキラした生活を送っている気分だった。
やりがいはどこにあるの?
概ね楽しく働けていた反面、たまに感じていた違和感。
いわゆる「やりがいがない」という気持ちが少しずつ大きくなっていった。
表向きの自分は楽しそうにそつなく仕事をこなすのだけれど、「なんのために働いているの?」という内側の自分の想いが強くなっていき、楽しいよりも辛い時間が長くなっていった。
「他人の仕事をやってお金をもらう」
自分がすべきことじゃないけど仕事だから、、と割り切って働く人に囲まれて
自分もそんな風になっているんだなあと。
西村佳哲さんの「自分をいかして生きる」を読みながらそんなことを思った。
自分を殺しながら生きているなあ。
やがて、朝ベッドからなかなか出られず、日曜日の夜は胸がぎゅーーっと締め付けられる日々が続いた。
メールボックスを開くのも、着信音も怖くなった。
鬱状態になり退職
長期休暇をとったときも仕事の連絡が止まらず、ろくに楽しめなかったとき、「このままだと自分は仕事に支配されたままだ」と悟った。
それでも仕事を続けていると、仕事にまったく手がつかなくなってしまった。
誰かに相談しないと進められない仕事なのに、誰にも相談できなくなった。
仕事は完全に止まってしまい、スケジュールも遅れに遅れた。
オフィスの外にふらっと出たときに涙がぶわーっと溢れてきた。
そうして私は6年続けた会社を辞めた。
人生で一番悩んだ時間
退職前から転職までの半年間は人生で一番悩んだと思う。
移住先、仕事先、そして自分を探した。
やりたいこと探しをしても、やりたいことは見つからなかった。
けれど、こうありたい、こんな仕事をしたい、というのが少しずつ見えてきた。
失業保険もあって、半年ゆっくり自分と向き合う時間がとれて、現時点での生き方が見えてきた。
少しだけ自分の芯ができたと思う。
本当にいい時間を過ごせた。
そして無事転職
悩みに悩んだ時間を過ごした後、よいご縁をいただき今の会社に入社した。
やりたいこと(What)にたどり着けている感覚はまだないものの、こうありたい(How)、という欲求は限りなく満たせていると思う。
仕事ってこんなに楽しかったのね、と自分でも驚くぐらい。
少しだけ今の楽しさに熱中していようと思う。
自分らしさが発揮できる場づくりを
自分が辛い経験をしたからこそ、周りの人に同じ想いは絶対にして欲しくない。
誰しも自分らしくいてほしい、自分の想いをまっすぐ仕事で表現して生きてほしい。
それが顧客にまっすぐ届けられたらどれだけ楽しいだろう。
そんな世界を目指して今を生きている実感がある。
このnoteで何を伝えたかったのか自分でもまだわからないが、
今の自分は残せたと思う。