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「夢を否定される夢」を見て気付いたこと
4:30に目が覚めた。
今は5時。見た夢のせいか心がもやもやしている。
もやもやをそのままぶつける自分用note。
夢を否定される夢
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スリーピースバンドとして売れるべく、なぜか夜明け前の歩道橋の上でエレキギター、エレキベース、雑誌ドラムの生音で練習に励んでいた自分と誰か2人。
「生音小さくない?」、「鳴り弱くね?」
「そもそも鳴ってないだろ」
みたいなやり取りをした後、気付けば実家の自分の部屋で生ドラムと合わせていた。
「やっぱ違うねー!」と大きな音を出す気持ち良さに溺れていた。
時計を見ると朝9時。
「朝早くからこんな音出して怒られないかな」と心配になっていた。
(今考えるとそんな早朝でもないのだけれど)
その直後、案の定母からの怒号が。
「何時だと思ってるの!」
「いい加減にしなさい!」
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怒られて夢から目が覚めた。
そして今、心のもやもやを吐き出している。
もやもやの正体はなんだろうと考えている。
どうやら自分の夢を否定されたことにもやもやしているのかもしれない。
というよりも、否定されたことで自分が夢を追いかけていないことにもやもやしているのかもしれない。
母からそんな夢を否定する言葉を受けた記憶はないけれど、言動は常に気にしてしまっていたし、母意外の人にも異常に気を使っている自分はいる。
最近の悩み
最近悩んでいたのが、自分の夢(理想)に近付けているのか、ということ。
移住して生活も落ち着いて、ゆとりある生活はできているのだけれど、
それでいいのだろうか。
人生の理念とか言っておきながら、それを体現できていないのではないか。
まだまだすべきことがあるんじゃないか。
そんな不完全燃焼な日々を過ごしている。
レールの上を走ることは誰しも応援するが、
レールを新しく敷くことは反発を受ける
夢を追いかけることは応援されることもあれば、反発を受けることもある。
小さい頃から努力は得意だった。
サッカーも、勉強も、頑張ったら頑張った分だけ褒めてもらえるし、それなりの成果にもつながる。
そして誰にも迷惑をかけないし、誰からも文句を言われない。
それが、大学を卒業して社会に出るとレールなんてものはほとんどなくて、新しくレールを作らないといけない。
レールを作ることは、少なからず誰かの土地にお邪魔しないといけず、反発を受ける。
反発を受けながらも、線路を敷きたいからどうか協力してくれ、と自分の夢を語り、説得する。
どうやら自分には、他人から何を言われても気に留めない、自分を突き通せる夢がないみたいだ。
夢からの気付き、とるべきアクション
「レールを走るのは得意だが、レールを敷くのは苦手」
→まずはそんな自分を認識する
そして小さなレールから敷いて成功体験を重ねる
「明確な夢(目標)がない」
→ビジョン(理念)からミッションとバリューを考える
とりとめのないnoteとなってしまいました。
もやもやした朝の、綺麗な朝日にありがとう。
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