ネット時代の無断コラボレーションについて【無料公開中】
目黒雅也さんとのコラボレーション、第一回のライブが終わりました。いまインターネットでは、無断コラボレーションが盛んです。好意でやってくださっているのだと思うし、うれしく感じることも多いのですが、「うーん、程度問題だなあ」「ちょっとした、さじ加減だなあ」と考えてしまうことも多いです。萎縮ムードになるのもいやだから今まで黙っていましたが、私みたいな空気を読まない人が発言しないとだれも発言しないと思い、嫌われ役を買って出ることにします。
ツイッターのbotはだれでも発行できる電子書籍だと思っています。お金を稼がないだけです。だから本来なら、書き手に許可をとらずに、だれかの書いた言葉をbot化するのは著作権侵害。「作者に無断で好きな作品を集め、アンソロージー本を編んで出版する」のと同等の行為です。多くの書き手は「黙認」しているだけだと思います。私も基本そうなのですが、あまりに誤字脱字改変が多いから時々どうしても我慢できなくて、こんなまとめ【←リンク先のまとめサイトがもう消失しています】をつくってみたり、botの作者宛に直接メッセージしたりしてしまいます。ひとつのbotに収録される私の短歌の数がけっこう多いと、ありがたい気持ちもありつつ、「そんなに載せてもらうとbotをフォローしてるだけで枡野浩一短歌集をすっかり読んだ気分になっちゃうなあ。原典は歌の並び順や歌の数も考えぬいてるんだけどなあ」「出典も明記されてないしなあ」などと悶々とします。
詩歌、とりわけ短歌や俳句や川柳は、慣習として無断転載に寛容です。なぜなら短いから。部分的な引用では意味をなさないため、全文を引用する。結果的に無断転載になってしまうのです。新聞の「折々のうた」的な欄は、自作短歌が掲載されても作者に連絡も来ないし、掲載紙や掲載誌や掲載本が送られてくることはまれです。作品評の体裁をとっているから法的にも問題がない「引用」と解釈されます。もっと法的にグレーゾーンな「引用」のされ方も時々ありますが、詩歌作品集はもともと商業出版にそぐわないほど売れないため「掲載してもらってありがたい」という気持ちのほうがまさってしまうのでしょう。
無論いわゆる評論の中に詩歌を「引用」する場合、いちいち作者に連絡する必要はないし、連絡されたらかえって煩わしいかもです。掲載誌を送っていただいたら有り難く拝読しておりますが、お礼状も出せずにすみません。(関係ない話ですが枡野浩一は詩歌のシンポジウム的なものにはよほどの事情がないかぎり参加しません。参加不参加確認葉書の投函もわすれがちで本当にすみません。こんな場ですが、おわびします)
自著が商業出版でないかたの気持ちは私には想像できません。逆に俵万智さんくらい商業出版本が圧倒的に売れていると、いまさら気にしないのかもしれません。
私の短歌は高校国語教科書に掲載されているのですが、当初それに対する対価はないものと勘ちがいしていました。「でもまあ教科書に自分の短歌が載るなんて面白すぎる」と思ったから、掲載依頼があったとき快諾しました(ここで「教科書に載る短歌なんてロックじゃねえ!」とか思わないところが私らしいです。「ロックだぜ」的価値観はマッチョで苦手なんです)。
要するにお金の問題でなく、「そういうことするなら一言ほしい」ということなのかもとも思います。事後報告でOKな場合もあるのですが、先に言ってほしいケースが多いかなあ。センチメンタル岡田くんが私の短歌とエッセイをラップにして歌っちゃってCDに焼いて手売りしているのは、絶妙なタイミングで連絡があったからいやじゃなかったし、むしろ楽しいです。
安福望さんのツイッター『食器と食パンとペン』は単行本化もされましたが、好きな短歌をひろって勝手に絵をかいてツイートする時点では無断。単行本化の時点では短歌作者に連絡が行っているはずだと思う(想像)。著作権的にはすれすれなゲリラ活動だと思うけど、絵の好感度も高く、短歌作者にむしろ喜ばれるケース。
山下敦弘監督が無断でQ.B.B.(久住昌之&久住卓也)の漫画『中学生日記』の世界を映像化し(ただしエピソードはオリジナルだから盗作でもないし法的にはシロ)、原作者のお墨付きでDVD化されたケースもあるから、こういうのはほんと、やりかただと思いますよ。(『中学生日記』DVD発売記念イベント、枡野もトークゲストとして呼んでいただきました。原作も映像も面白いです)
ちょうどひと月前、以下のようなメールを出したのです。そしたら返信もありませんでした。感情をおさえて丁寧に書いたつもりですが、返信を出す気がしないほど怖かったですか? 私自身、著作権侵害と思わず似たようなことをしてしまう可能性がないとも言えないし、皆様にご迷惑をおかけしながら生きております。ある偏狭な歌人の一意見として、参考にしていただけると幸いに存じます。
---------- メッセージ ----------
From: 枡野浩一 <ii@masuno.de>
日付: 2015年10月3日 0:40
件名: Re: 許可のお願い
To:
短歌を気にいってくださったらしいことは
有り難いのですが。
短歌を「書」にして展覧会をやる前に、
連絡していただきたかったです。
同様のことを希望される方は
時々いらっしゃいますが、
その場合は権利を管理する
出版社へ確認をとる必要があるし、
書名などの「初出」「出典」を
明記していただいております。
私自身が雑誌などに書いた
自分の文章を自分のサイトに載せる場合も、
可能なかぎり雑誌編集部に連絡した上で、
「初出」は名記しています。
事後報告は初めてで、
たいへん残念です。
私の作品に限らず、
以後は、
そのような手続きを必ず
おとりになってください。
http://www.
ネットの告知ページを拝見しましたが、
書に落款が押されているものの
それはむろん私の落款やサインではなく、
言葉の作者がだれかは
明らかになっていません。
これでは通りすがりのお客様には、
言葉の作者がわからないのでは。
「はじめまして、
枡野浩一と申します。
短歌をやっておりまして、
新しい感覚の表現をしたいと、
あなたの書をコラージュして
自分の短歌を14点ほど表現し、
個展をいたしました。
ご覧になった方から、
カレンダーにしてほしいと言われまして、
さすがに勝手にするわけにはいかないだろうと
メールを差し上げています。
できれば許可を頂きたく、
よろしくお願いします。」
という端的なメールが、
突然送られてきたら、
どう感じますか。
カレンダー化は私たちのほうで
準備している別の案件との兼ね合いもあり、
お断わりします。
何卒ご理解ください。
枡野浩一
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